世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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仏青の機関誌「まこと」は、その全文が、PDFで読めます。
→→コチラからご覧ください
その15ページをご覧ください。
編集員の宮崎寿洋が、こんなことを書いているのです!
「最近、私は奈良の寺社巡りをしています」
一体、宗祖親鸞聖人の教えを、あなたがたはどう聞いているのか。
「かなしきかなやこの頃の
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す」(悲嘆述懐和讃)
かっこうだけは仏法者の姿をしていながら、神社に行き、
鬼神を尊敬している者を、嘆いておられるお言葉です。
神社巡りなどしているとは、どれほど、親鸞聖人を
悲しませていることか、分かりませんか?
「聖道、外道におもむきて、余行を修し余仏を念ず、
吉日良辰をえらび占相祭祀をこのむものなり。
これは外道なり。
これは偏に自力をたのむものなり」(一念多念証文)
外道の神社におもむいている、そんな者に、これは外道だ、
との厳しい仰せです。
神社を巡っているような、外道の輩が「仏教青年連盟」の
機関誌を、堂々と編集しているとは、許されることではない!
しかも、そんなことを、臆面もなく、紙面に載せた編集長も
他の編集員も、まったく分かっていない。
違いますか?
→→コチラからご覧ください
その15ページをご覧ください。
編集員の宮崎寿洋が、こんなことを書いているのです!
「最近、私は奈良の寺社巡りをしています」
一体、宗祖親鸞聖人の教えを、あなたがたはどう聞いているのか。
「かなしきかなやこの頃の
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す」(悲嘆述懐和讃)
かっこうだけは仏法者の姿をしていながら、神社に行き、
鬼神を尊敬している者を、嘆いておられるお言葉です。
神社巡りなどしているとは、どれほど、親鸞聖人を
悲しませていることか、分かりませんか?
「聖道、外道におもむきて、余行を修し余仏を念ず、
吉日良辰をえらび占相祭祀をこのむものなり。
これは外道なり。
これは偏に自力をたのむものなり」(一念多念証文)
外道の神社におもむいている、そんな者に、これは外道だ、
との厳しい仰せです。
神社を巡っているような、外道の輩が「仏教青年連盟」の
機関誌を、堂々と編集しているとは、許されることではない!
しかも、そんなことを、臆面もなく、紙面に載せた編集長も
他の編集員も、まったく分かっていない。
違いますか?
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長野の仏青の行事が、コチラに紹介されています。
見てお分かりの通り、わざわざ高い参加費と、遠方までの交通費を
使って、何をしに集まるのかと思えば、スキー、スキー、スキー。
そして、会食や、茶話会と、どこにも仏法色なし。
仏教青年会のはずなんですが、仏法は皆無。これじゃ、世間一般の
スキーツアーと、何ら変わりありません。
この前は、奈良の大仏に参る仏青もあったり、かたや仏法皆無の
行事あり、で、これじゃ、仏青も、事実上、解体ですね。
見てお分かりの通り、わざわざ高い参加費と、遠方までの交通費を
使って、何をしに集まるのかと思えば、スキー、スキー、スキー。
そして、会食や、茶話会と、どこにも仏法色なし。
仏教青年会のはずなんですが、仏法は皆無。これじゃ、世間一般の
スキーツアーと、何ら変わりありません。
この前は、奈良の大仏に参る仏青もあったり、かたや仏法皆無の
行事あり、で、これじゃ、仏青も、事実上、解体ですね。
「みほとけとともに」では、佐々木蓮乗氏の話。
「佛説無量寿経」を引用して、仏様が「あなたが願わず
とも請わずとも、あなたの友になってあげましょう」と
おっしゃってくださった、有難いなあ、という大意。
だから、どうなのか?という部分は、曖昧なままだ。
佐々木氏のいう、「仏」とは、どなたのことなのか。
そこすら、ハッキリ述べられていない。
「友になる」とは、どういうことか。なる前と、なった
後と、どこがどう変わるのか。
何もかも、ハッキリ言われていない。
ただ、かつて佐々木氏自身が体験した、友人とのことに
かこつけて、無量寿経を勝手にこじつけただけだ。
佐々木氏は、答えなければならない。
あなたがここで「友になろう」とおっしゃっていると
言われる「仏」とは、どなたですか。
「友になる」とは、いつなってくださるのですか。
「友になった」ならば、私がどこがどう変わるのですか。
でなければ、この話は、何の意味も持たない。
「佛説無量寿経」を引用して、仏様が「あなたが願わず
とも請わずとも、あなたの友になってあげましょう」と
おっしゃってくださった、有難いなあ、という大意。
だから、どうなのか?という部分は、曖昧なままだ。
佐々木氏のいう、「仏」とは、どなたのことなのか。
そこすら、ハッキリ述べられていない。
「友になる」とは、どういうことか。なる前と、なった
後と、どこがどう変わるのか。
何もかも、ハッキリ言われていない。
ただ、かつて佐々木氏自身が体験した、友人とのことに
かこつけて、無量寿経を勝手にこじつけただけだ。
佐々木氏は、答えなければならない。
あなたがここで「友になろう」とおっしゃっていると
言われる「仏」とは、どなたですか。
「友になる」とは、いつなってくださるのですか。
「友になった」ならば、私がどこがどう変わるのですか。
でなければ、この話は、何の意味も持たない。