世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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1月15日、親鸞聖人報恩講のご親教において、大谷光真門主より
参詣者へ、異例のメッセージがありました。
「門信徒へ、お願いがあります。
寺院の少ない地域では、特に積極的に
寺院の活動に参加していただきたい」
750回忌についての「消息」でも、
「今日、宗門を概観しますと、布教や儀礼と
生活との間に隔たりが大きくなり、寺院の
活動には門信徒が参加しにくく」
昨秋の御誕辰祝賀会では、
「日本の国が非常に厳しい中にあって、
本当に人々のいのち、人生を支える
浄土真宗になれるか」
とも、言われていました。
すなわち、お寺と、大衆とが、かけ離れ、
僧侶と、門信徒とも、隔たってしまっている
宗門が、社会から隔絶してしまっている悲しい
現状を、嘆かれたものでした。
いよいよもって、宗会も、宗派全体も、
「政争に明け暮れている場合ではない」(桑羽議長)
のは、明らかです。
参詣者へ、異例のメッセージがありました。
「門信徒へ、お願いがあります。
寺院の少ない地域では、特に積極的に
寺院の活動に参加していただきたい」
750回忌についての「消息」でも、
「今日、宗門を概観しますと、布教や儀礼と
生活との間に隔たりが大きくなり、寺院の
活動には門信徒が参加しにくく」
昨秋の御誕辰祝賀会では、
「日本の国が非常に厳しい中にあって、
本当に人々のいのち、人生を支える
浄土真宗になれるか」
とも、言われていました。
すなわち、お寺と、大衆とが、かけ離れ、
僧侶と、門信徒とも、隔たってしまっている
宗門が、社会から隔絶してしまっている悲しい
現状を、嘆かれたものでした。
いよいよもって、宗会も、宗派全体も、
「政争に明け暮れている場合ではない」(桑羽議長)
のは、明らかです。
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1月24日の中外日報の記事からです。
西本願寺は、昨年の「宗制」改定にともない、今まで宗祖の
大師号「見真大師」について、
「宗門の成立に関係が無い」
という理由で、これを廃する方向を定めたのでしたが、では
御堂の正面に掲げられていた額を、どうするのか?ということ
が、今、論議されている、とのこと。
大師号の額もそうですが、より大切な、いや、最も根本に尊ぶ
べき「御本尊」について、「南無阿弥陀仏のご名号」である
と宗制に明記されたのですから、そちらこそ、「どうする?」
と議論すべきではないでしょうか。
隣家の火事が、自宅に燃え移り、ただちに脱出、消火をせねば
ならぬのに、「今、食事どきだから、食べ終わってから消そう」
と、食事を続けているような、愚行ではないでしょうか。
西本願寺は、昨年の「宗制」改定にともない、今まで宗祖の
大師号「見真大師」について、
「宗門の成立に関係が無い」
という理由で、これを廃する方向を定めたのでしたが、では
御堂の正面に掲げられていた額を、どうするのか?ということ
が、今、論議されている、とのこと。
大師号の額もそうですが、より大切な、いや、最も根本に尊ぶ
べき「御本尊」について、「南無阿弥陀仏のご名号」である
と宗制に明記されたのですから、そちらこそ、「どうする?」
と議論すべきではないでしょうか。
隣家の火事が、自宅に燃え移り、ただちに脱出、消火をせねば
ならぬのに、「今、食事どきだから、食べ終わってから消そう」
と、食事を続けているような、愚行ではないでしょうか。
1月27日の中外日報に掲載された記事です。
浄土真宗仏光寺派の集会で、僧侶に対しての訓戒です。
「仏法は、生きている間に聞くもの。
僧侶は、生きている人間を相手にしなければならない」
はからずも、今の僧侶は、生きている人間を相手にしていない
ということを、告白されたものです。
ということは、死んだ人間を相手にしている、ということか。
葬式、法事に明け暮れている現状を、ズバリ指摘したものと
いえるでしょう。
「親鸞閉眼せば、賀茂川に入れて、魚に与うべしと云々。
(中略)これをもって思うに、いよいよ葬喪を一大事と
すべきにあらず。最も停止すべし」(覚如上人)
「あわれあわれ存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり」(蓮如上人のご遺言)
存命のうちにと、手に汗握って、ご教化になっておられます。
浄土真宗仏光寺派の集会で、僧侶に対しての訓戒です。
「仏法は、生きている間に聞くもの。
僧侶は、生きている人間を相手にしなければならない」
はからずも、今の僧侶は、生きている人間を相手にしていない
ということを、告白されたものです。
ということは、死んだ人間を相手にしている、ということか。
葬式、法事に明け暮れている現状を、ズバリ指摘したものと
いえるでしょう。
「親鸞閉眼せば、賀茂川に入れて、魚に与うべしと云々。
(中略)これをもって思うに、いよいよ葬喪を一大事と
すべきにあらず。最も停止すべし」(覚如上人)
「あわれあわれ存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり」(蓮如上人のご遺言)
存命のうちにと、手に汗握って、ご教化になっておられます。