世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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「みほとけとともに 西本願寺の時間」の中で、小林 義教氏
(北海道西林寺住職、中央基幹運動推進相談員)がお話ししてお
られました。
「現代は、お念仏の教えを聞くことが難しい時代になっている」
と慨嘆され、その理由について、いくつか挙げておられます。
「長寿の時代になり、死が身の周りから遠のいている」
「死の問題を避けている」
「厳しい事実と向き合いたくない」
「楽しみごとを優先している」
などなど。確かに、そういう事情もありましょう。
しかし、釈迦は、「人身受け難し 仏法聞き難し」と教えられ、
親鸞聖人も、
「善知識にあうことも おしうることもまた難し
よくきくことも難ければ 信ずることもなお難し」
と和讃に仰せです。いつの時代でも、善知識におあいして、
真実の法を聞くということは、容易なことではないのです。
されば、あれこれ嘆いているひまがあったら、一人でも、
二人でも、聞く人を求めて、布教に打って出るべきではない
でしょうか。
かつて、国民的作家・吉川英治氏は言いました。
「法然出でよ、親鸞出でよ。蓮如、今日に生れよ。なんて、
そんな大それたことを、今日の教団に向って、私はねがわ
ない。到底、失望しているからである。――が、せめて、
末法的なら末法なりに、蓮如さんの草鞋の一そく分ぐらい
な慈悲をもつ人はあっていいはずと、たれもおもうであろう。
ことし、蓮如上人の450年の大遠忌と聞くにつけても。
(中略)
わたくしは、何ということなく、親鸞がすきだ。蓮如が
すきだ。すき、嫌いでいうのはへんだけれど、正直な表現
でいえば、そうなる。
蓮如のすきな点は、仏法も世すごしも、かろがろと言って
いる、あの明るい無態度がいい、何か訊いてくれるだろうと、
夜がたりの膝を交じえ、人々が固くなったり、眠気をこらえ
ているむなしさを見て、慈愛のやりばを託っている。あの
親切なおもいやりの温かさがなつかしい。
(中略)
蓮如の持っていたのは、わずかなる弟子、信徒と、裸馬の
一足の草鞋とだけだった。
が、庶民は、この人を、光とした。
けれど、法然に起り、親鸞を祖とし、蓮如によって、中興
を見、今日まで庶民に〝たのまれ〟て来た宗教としては、
いまはよほどな考え時――と、私には考えられる。蓮如上人
の大遠忌を修行するというにつけても、その蓮如をいまに偲ぶ
につけても、私は考えられてならない。これでみな、浄土真宗
の宗教家として、安んじて居られるのだろうかと、ふしぎに
さえおもわれる。
たとえば、敢て、本願寺とあきらかにいうが、その本願寺が、
四世紀にもわたる長い間、今日までの栄誉と、荘厳と、安住と、
尊敬とを、世表のうえにうけてきたのは、ひとえに庶民の力に
よるものではなかったろうか。平たくいえば、信徒の親代々、
家代々の浄財による支持、素直なる尊敬、それであった。
なぜことしも、蓮如の大遠忌などをやるのだろう。いや、
大遠忌はけっこうである。が、依然たる大伽藍の荘厳と、
儀式と、むなしい法会修行の群集をほしがるような形式を
捨てないのであろうか。私には、わからない。
仏教の慈雨は、そんなことで降らないとおもう。仏教のさかん
とは、そんな作った光栄や、演出ではないとおもう。
目には見えず、しかも急速に、真宗崩壊の音が、どこかでする
ばかりである。
本願寺のもつ使命の晩鐘とならなければ倖せである。
私はもう、歯に衣着せずに言っておく。今にして心から醒め
なければ、ああ勿体ない、本願寺は、地上からなくなるだろう。
(折々の記)
※吉川英治(1892-1962)
吉川英治は「鳴門秘帖」で文壇デビューし「親鸞」「宮本武蔵」
「太閤記」「新・平家物語」「私本太平記」をはじめ、長編約80
編、短編約180編という膨大な小説を執筆し、多くの人々に愛読
され、国民文学作家と親しまれました。
また、生涯、親鸞聖人を慕い続けた人でした。
上記記事は、「作家・吉川英治さんの悲嘆(折々の記)として」から、引用しました。
全文は、ここをクリックして、そちらのページをお読みください。
(北海道西林寺住職、中央基幹運動推進相談員)がお話ししてお
られました。
「現代は、お念仏の教えを聞くことが難しい時代になっている」
と慨嘆され、その理由について、いくつか挙げておられます。
「長寿の時代になり、死が身の周りから遠のいている」
「死の問題を避けている」
「厳しい事実と向き合いたくない」
「楽しみごとを優先している」
などなど。確かに、そういう事情もありましょう。
しかし、釈迦は、「人身受け難し 仏法聞き難し」と教えられ、
親鸞聖人も、
「善知識にあうことも おしうることもまた難し
よくきくことも難ければ 信ずることもなお難し」
と和讃に仰せです。いつの時代でも、善知識におあいして、
真実の法を聞くということは、容易なことではないのです。
されば、あれこれ嘆いているひまがあったら、一人でも、
二人でも、聞く人を求めて、布教に打って出るべきではない
でしょうか。
かつて、国民的作家・吉川英治氏は言いました。
「法然出でよ、親鸞出でよ。蓮如、今日に生れよ。なんて、
そんな大それたことを、今日の教団に向って、私はねがわ
ない。到底、失望しているからである。――が、せめて、
末法的なら末法なりに、蓮如さんの草鞋の一そく分ぐらい
な慈悲をもつ人はあっていいはずと、たれもおもうであろう。
ことし、蓮如上人の450年の大遠忌と聞くにつけても。
(中略)
わたくしは、何ということなく、親鸞がすきだ。蓮如が
すきだ。すき、嫌いでいうのはへんだけれど、正直な表現
でいえば、そうなる。
蓮如のすきな点は、仏法も世すごしも、かろがろと言って
いる、あの明るい無態度がいい、何か訊いてくれるだろうと、
夜がたりの膝を交じえ、人々が固くなったり、眠気をこらえ
ているむなしさを見て、慈愛のやりばを託っている。あの
親切なおもいやりの温かさがなつかしい。
(中略)
蓮如の持っていたのは、わずかなる弟子、信徒と、裸馬の
一足の草鞋とだけだった。
が、庶民は、この人を、光とした。
けれど、法然に起り、親鸞を祖とし、蓮如によって、中興
を見、今日まで庶民に〝たのまれ〟て来た宗教としては、
いまはよほどな考え時――と、私には考えられる。蓮如上人
の大遠忌を修行するというにつけても、その蓮如をいまに偲ぶ
につけても、私は考えられてならない。これでみな、浄土真宗
の宗教家として、安んじて居られるのだろうかと、ふしぎに
さえおもわれる。
たとえば、敢て、本願寺とあきらかにいうが、その本願寺が、
四世紀にもわたる長い間、今日までの栄誉と、荘厳と、安住と、
尊敬とを、世表のうえにうけてきたのは、ひとえに庶民の力に
よるものではなかったろうか。平たくいえば、信徒の親代々、
家代々の浄財による支持、素直なる尊敬、それであった。
なぜことしも、蓮如の大遠忌などをやるのだろう。いや、
大遠忌はけっこうである。が、依然たる大伽藍の荘厳と、
儀式と、むなしい法会修行の群集をほしがるような形式を
捨てないのであろうか。私には、わからない。
仏教の慈雨は、そんなことで降らないとおもう。仏教のさかん
とは、そんな作った光栄や、演出ではないとおもう。
目には見えず、しかも急速に、真宗崩壊の音が、どこかでする
ばかりである。
本願寺のもつ使命の晩鐘とならなければ倖せである。
私はもう、歯に衣着せずに言っておく。今にして心から醒め
なければ、ああ勿体ない、本願寺は、地上からなくなるだろう。
(折々の記)
※吉川英治(1892-1962)
吉川英治は「鳴門秘帖」で文壇デビューし「親鸞」「宮本武蔵」
「太閤記」「新・平家物語」「私本太平記」をはじめ、長編約80
編、短編約180編という膨大な小説を執筆し、多くの人々に愛読
され、国民文学作家と親しまれました。
また、生涯、親鸞聖人を慕い続けた人でした。
上記記事は、「作家・吉川英治さんの悲嘆(折々の記)として」から、引用しました。
全文は、ここをクリックして、そちらのページをお読みください。
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ご本山のサイトに、こういう記事が出ていました。
なるほどなあ、と思いましたね。
全文は、をどうぞ。
「3月16日、NHKラジオ第2「宗教の時間」に蓮下義昭氏
3月16日(日)午前8時30分から放送されるNHKラジオ第2「宗教の時間」
に、和歌山県海南市・西光寺住職の蓮下義昭氏が出演する。
「テレホン法話にこめた親ごころ」がテーマ。蓮下氏は23年ほど前から
3分間のテレホン法話を行っているが、その中で一番多く語ったのが
”親ごころ”だという。このことを通し、阿弥陀さまの親ごころを
話していく」
親ごころ、といえば、こちらの本、書店に並んでいました。一読して、
涙があふれました。皆様も、ぜひどうぞ。
『親のこころ』木村耕一著
なるほどなあ、と思いましたね。
全文は、をどうぞ。
「3月16日、NHKラジオ第2「宗教の時間」に蓮下義昭氏
3月16日(日)午前8時30分から放送されるNHKラジオ第2「宗教の時間」
に、和歌山県海南市・西光寺住職の蓮下義昭氏が出演する。
「テレホン法話にこめた親ごころ」がテーマ。蓮下氏は23年ほど前から
3分間のテレホン法話を行っているが、その中で一番多く語ったのが
”親ごころ”だという。このことを通し、阿弥陀さまの親ごころを
話していく」
親ごころ、といえば、こちらの本、書店に並んでいました。一読して、
涙があふれました。皆様も、ぜひどうぞ。
『親のこころ』木村耕一著
先日、御本尊について書きました。
その後、岐阜の友人から入った情報では、飛騨のある本願寺派
の寺院で、ご住職とご門徒の総意で、浄土真宗の正しい御本尊、
南無阿弥陀仏のご名号になされたところがある、とのことでした。
素晴らしい、まさにそれでこそ、宗祖親鸞聖人のみあとを慕う
者といえるでしょう。
その後、岐阜の友人から入った情報では、飛騨のある本願寺派
の寺院で、ご住職とご門徒の総意で、浄土真宗の正しい御本尊、
南無阿弥陀仏のご名号になされたところがある、とのことでした。
素晴らしい、まさにそれでこそ、宗祖親鸞聖人のみあとを慕う
者といえるでしょう。