世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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先日、このブログで、「親鸞さま」を作った割には、「上映会を
やりました」というような話が、どこからも聞こえてこないな、と
文句を言いました。
それをどこかで聞いてくれたのか、本願寺新報7月1日号に、
ブラジルの750回祖師聖人大遠忌にて、上映会があった、との
記事が掲載されました。(Kさん、ありがとう)
6月10日のことだったそうです。
発売から3ヶ月もたって、しかも、地球の反対側ブラジルで、と
いうことですから、逆に、実は、「親鸞さま」は、ぜーんぜん、
観られていない、ということが、明らかになったのでした。
そういえば、広告も、掲載されなくなりましたね。
宣伝する意欲もない、ということでしょうか。
ところが、「あんのん保険」だけは、「目標1万人」などと実数
まで掲げて、相変わらず、広告が掲載され続けているのです。
こんなにあからさまに、目標値なんて、ふつう書かないでしょう!
ここらへん、編集部サン、よく考えて、常識的な内容に是正して
くださいよ。
それにしても、祖師のご一生を伝え、教義を開顕することよりも、
保険加入で、金儲けのほうに、力が入っている、というのは、何とも
悲しい実情です。
やりました」というような話が、どこからも聞こえてこないな、と
文句を言いました。
それをどこかで聞いてくれたのか、本願寺新報7月1日号に、
ブラジルの750回祖師聖人大遠忌にて、上映会があった、との
記事が掲載されました。(Kさん、ありがとう)
6月10日のことだったそうです。
発売から3ヶ月もたって、しかも、地球の反対側ブラジルで、と
いうことですから、逆に、実は、「親鸞さま」は、ぜーんぜん、
観られていない、ということが、明らかになったのでした。
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こんなにあからさまに、目標値なんて、ふつう書かないでしょう!
ここらへん、編集部サン、よく考えて、常識的な内容に是正して
くださいよ。
それにしても、祖師のご一生を伝え、教義を開顕することよりも、
保険加入で、金儲けのほうに、力が入っている、というのは、何とも
悲しい実情です。
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真宗界に関する、出版情報です。
全国紙に掲載された広告によると、
『なぜ生きる』(高森顕徹監修、明橋大二・伊藤健太郎著)が、
累計60万部を超えました。
『歎異抄をひらく』(高森顕徹著)は、13万部を超えました。
『なぜ生きる』の著者の一人、哲学者の伊藤健太郎氏の新刊が
『男のための自分探し』に決まりました。8月発売の予定です。
プロモーションビデオも、アップされています。
You Tubeに掲載されたPVはこちら
以上、参考まで。
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『なぜ生きる』(高森顕徹監修、明橋大二・伊藤健太郎著)が、
累計60万部を超えました。
『歎異抄をひらく』(高森顕徹著)は、13万部を超えました。
『なぜ生きる』の著者の一人、哲学者の伊藤健太郎氏の新刊が
『男のための自分探し』に決まりました。8月発売の予定です。
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以上、参考まで。
中外日報でも報じられたとおり、本願寺派の全国布教使大会が
あり、門信徒との溝をどう埋めるか、ということについて、討議
されました。
開会式で、ご門主自らが、苦言を呈されました。
「話の中で、あー、とか、うー、とか、雑音を減らして欲しい」
なんと、そんな程度のダラダラした布教しかしていないのかと、
アキレるような実情でした。
また、こんなことも。
「初めての方も意識して、たとえば善導大師と言うだけで
なく、中国の唐の時代の僧侶で、親鸞聖人が大変尊崇
されている方です、と説明を加えて欲しい」
えっ?そんなことも、布教の現場では、言ってなかったの?
と驚くようなご門主の発言もありました。
そりゃ、分かりにくい話になるわな。
中外の記事では「純化された教義に縛られた現状の変革が求め
られる」との記述もありましたが、「純化された教義」どころで
はなく、本山学僧たちによって、ネジ曲げられた教義こそ、変革
されねばならない最たるものだと思いました。
ともかく中外でも「伝わらぬ他力本願」「言葉が上滑り」「現
代人は教団に対する信頼感を失っている」と手厳しく書いていま
す。ああ、問題山積ですね。
あり、門信徒との溝をどう埋めるか、ということについて、討議
されました。
開会式で、ご門主自らが、苦言を呈されました。
「話の中で、あー、とか、うー、とか、雑音を減らして欲しい」
なんと、そんな程度のダラダラした布教しかしていないのかと、
アキレるような実情でした。
また、こんなことも。
「初めての方も意識して、たとえば善導大師と言うだけで
なく、中国の唐の時代の僧侶で、親鸞聖人が大変尊崇
されている方です、と説明を加えて欲しい」
えっ?そんなことも、布教の現場では、言ってなかったの?
と驚くようなご門主の発言もありました。
そりゃ、分かりにくい話になるわな。
中外の記事では「純化された教義に縛られた現状の変革が求め
られる」との記述もありましたが、「純化された教義」どころで
はなく、本山学僧たちによって、ネジ曲げられた教義こそ、変革
されねばならない最たるものだと思いました。
ともかく中外でも「伝わらぬ他力本願」「言葉が上滑り」「現
代人は教団に対する信頼感を失っている」と手厳しく書いていま
す。ああ、問題山積ですね。