世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
6月1日付けの毎日新聞に、掲載された投書です。
「葬式だけの寺
存在意義あるのか
無職 朝妻義人 74(新潟市東区)
今やお寺は葬祭専用機関と化し、人生相談の場で
ない。かつて、オウム事件の時、既成仏教革新が叫
ばれたが、今は、元のもくあみだ。こころの悩み無
用のお寺に存在意義ありや。仏教界に人物はいない
のか」
切々と、仏教界の現状を嘆いた投書でした。
「葬式だけの寺
存在意義あるのか
無職 朝妻義人 74(新潟市東区)
今やお寺は葬祭専用機関と化し、人生相談の場で
ない。かつて、オウム事件の時、既成仏教革新が叫
ばれたが、今は、元のもくあみだ。こころの悩み無
用のお寺に存在意義ありや。仏教界に人物はいない
のか」
切々と、仏教界の現状を嘆いた投書でした。
PR
先週末のラジオ「みほとけとともに 西本願寺の時間」では
前の週に引き続き、新潟県極楽寺のご住職の登場でした。
「すでに この道あり」と題して、善導大師の二河白道の比喩
をとりあげて、あれこれ話を展開・・・する前に、時間切れに
なってしまいました。
結局、何が言いたかったのか?
私たちは、すでにお念仏の道を歩んでいるのだから、このまま
進んでいけば、死ねばお浄土へ往けるのだ、との論旨。
みんな、この身、このままで、死んだらお浄土、というのは、
一貫して変わらぬ、本山の教説なのですが、問題は、これが、
祖師聖人のみ教えか、どうか、という点です。
「涅槃の真因は、唯信心をもってす」(親鸞聖人)
「信心を決定せずば、今度の報土の往生は不定なり」(蓮如上人)
両聖人の仰せの通り、他力回向の真実信心を獲得しなければ、
絶対に報土往生はできないのです。
ご住職サン、この信心については、ひとことも触れていない。
いや、知らないのだから、触れられない、のでしょう。
せっかく、善導大師のご教示を引用したまではよかったのに、
結論がこれでは、ねえ。
前の週に引き続き、新潟県極楽寺のご住職の登場でした。
「すでに この道あり」と題して、善導大師の二河白道の比喩
をとりあげて、あれこれ話を展開・・・する前に、時間切れに
なってしまいました。
結局、何が言いたかったのか?
私たちは、すでにお念仏の道を歩んでいるのだから、このまま
進んでいけば、死ねばお浄土へ往けるのだ、との論旨。
みんな、この身、このままで、死んだらお浄土、というのは、
一貫して変わらぬ、本山の教説なのですが、問題は、これが、
祖師聖人のみ教えか、どうか、という点です。
「涅槃の真因は、唯信心をもってす」(親鸞聖人)
「信心を決定せずば、今度の報土の往生は不定なり」(蓮如上人)
両聖人の仰せの通り、他力回向の真実信心を獲得しなければ、
絶対に報土往生はできないのです。
ご住職サン、この信心については、ひとことも触れていない。
いや、知らないのだから、触れられない、のでしょう。
せっかく、善導大師のご教示を引用したまではよかったのに、
結論がこれでは、ねえ。
昨年の秋から、鳴り物入りで、加入を呼びかけている寺院保険、
「あんのん保険」ですが、3月末の時点で、加入件数は1611件、
全寺院の15.6%にとどまっています。
目標は6万人の加入で、保険料の5%が、事業費収入になるので、
宗門福利のためにも、皆さん、ご加入を!と、またしても本願寺新報
で大宣伝をしていました。
単純に計算すると、最低の月1000円の保険に、6万人が加入
すれば、保険料は6000万円、その5%、300万円が、毎月、
宗門に入ってくれば、大きいなあ、と思ってスタートしたのですが、
現状では、月10万弱、そりゃあ、ショックでしょうなあ。当局も。
逆に、末寺住職からは、「なぜ、僧侶が、保険の勧誘までやらねば
ならないのか」と、突き上げがくる始末。いや、その突き上げは、
当然のことです。
そろそろ、自分のやっていることのいびつさに、本山も気づかなければ。
「あんのん保険」ですが、3月末の時点で、加入件数は1611件、
全寺院の15.6%にとどまっています。
目標は6万人の加入で、保険料の5%が、事業費収入になるので、
宗門福利のためにも、皆さん、ご加入を!と、またしても本願寺新報
で大宣伝をしていました。
単純に計算すると、最低の月1000円の保険に、6万人が加入
すれば、保険料は6000万円、その5%、300万円が、毎月、
宗門に入ってくれば、大きいなあ、と思ってスタートしたのですが、
現状では、月10万弱、そりゃあ、ショックでしょうなあ。当局も。
逆に、末寺住職からは、「なぜ、僧侶が、保険の勧誘までやらねば
ならないのか」と、突き上げがくる始末。いや、その突き上げは、
当然のことです。
そろそろ、自分のやっていることのいびつさに、本山も気づかなければ。