世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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6月17日は、午前9時30分から午前11時30分まで
第12回全国布教使大会記念として、聞法会館で、
以下のような行事があります。
09:30 開会・勤行
09:50 記念布教(30分)
野瀬善隆師(本願寺派布教使/滋賀県)
10:20 記念布教(30分)
北條宗圀師(本願寺派布教使/奈良県)
10:50 記念布教(30分)
清水正宣師(本願寺派布教使/和歌山県)
11:30 閉会
さてどんな記念布教となるか。大切なのは、その内容です。
宗祖親鸞聖人の教えを、正確に伝える布教であってほしい
ものです。
こういうことこそ、「聞法」会館にふさわしいものです。
第12回全国布教使大会記念として、聞法会館で、
以下のような行事があります。
09:30 開会・勤行
09:50 記念布教(30分)
野瀬善隆師(本願寺派布教使/滋賀県)
10:20 記念布教(30分)
北條宗圀師(本願寺派布教使/奈良県)
10:50 記念布教(30分)
清水正宣師(本願寺派布教使/和歌山県)
11:30 閉会
さてどんな記念布教となるか。大切なのは、その内容です。
宗祖親鸞聖人の教えを、正確に伝える布教であってほしい
ものです。
こういうことこそ、「聞法」会館にふさわしいものです。
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聞法会館のHPを開いてみると、まず出てくるのが、「宿泊」です。
「日曜講演」「イベント」よりも、真っ先に、「宿泊」です。
案内文も言います。
「聞法会館(もんぼうかいかん)は西本願寺の宿泊施設です。
ご参拝に、団体旅行、個人旅行に、どなたさまにもご利用
いただけます。」
聞法会館HP
何ですか、これは。
かつて本山正面にあった「総会所」を廃止して、新たに建てられた
のが、「聞法」会館でした。
なのに、法を聞くための会館、ではなく、「宿泊施設です」と、
堂々と、自分から表明して、どうするんですか。
かつて、総会所は、布教使のひのき舞台で、ここで常例布教に
立つとなると、それだけ一目置かれる存在であったのです。
その総会所も、今や昔。聞法会館の一角に押し込まれ、しかも
「宿泊」の後塵を拝すことになってしまいました。
現在の本山が、何を優先しているかが、如実に分かる側面です。
「日曜講演」「イベント」よりも、真っ先に、「宿泊」です。
案内文も言います。
「聞法会館(もんぼうかいかん)は西本願寺の宿泊施設です。
ご参拝に、団体旅行、個人旅行に、どなたさまにもご利用
いただけます。」
聞法会館HP
何ですか、これは。
かつて本山正面にあった「総会所」を廃止して、新たに建てられた
のが、「聞法」会館でした。
なのに、法を聞くための会館、ではなく、「宿泊施設です」と、
堂々と、自分から表明して、どうするんですか。
かつて、総会所は、布教使のひのき舞台で、ここで常例布教に
立つとなると、それだけ一目置かれる存在であったのです。
その総会所も、今や昔。聞法会館の一角に押し込まれ、しかも
「宿泊」の後塵を拝すことになってしまいました。
現在の本山が、何を優先しているかが、如実に分かる側面です。
いやあ、衝撃的でしたねえ。6月2日の朝日新聞、第3面。
「寺離れ 地方も 都市も」と題して、本派にとっても、真宗
各教団にとっても、深刻な問題が、突きつけられました。
ここに出ているようなことは、しかし、寺院関係者ならば、
日々実感していることではないでしょうか。今さら、言われ
なくても、わかっている、それをどうしようかと考えている
んだ、と言いたくなった人もあるでしょう。
さっそくブログで取り上げた人もあります。他宗の方ですが。
つつじ寺ブログ
この方のように、「プロとして、感動を与える葬式を」と、
葬式仏教に徹して行く人、というのも、たしかにあります。
しかし、平生業成の親鸞聖人のみ教えを信奉する私たちは、
そんな死後の肉体の後始末については、覚如上人より
「いよいよ葬喪を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし」
と教えていただいております。
有名な歎異抄にも、
「親鸞は、父母の孝養のためとて、念仏一遍にても申したること
いまだ候わず」
と仰せです。
いずれも、死者への供養を全面否定なされています。
ですから、つつじ寺の神原氏には、断固反対です。
まあ、天台僧の方なので、真実分かられぬのも仕方ありませんが。
そうそう、「歎異抄」といえば、昨日の朝日の記事の直下に、
「歎異抄をひらく」(高森顕徹著)の広告が出ていたのも、何か、
因縁を感じましたね。
「寺離れ 地方も 都市も」と題して、本派にとっても、真宗
各教団にとっても、深刻な問題が、突きつけられました。
ここに出ているようなことは、しかし、寺院関係者ならば、
日々実感していることではないでしょうか。今さら、言われ
なくても、わかっている、それをどうしようかと考えている
んだ、と言いたくなった人もあるでしょう。
さっそくブログで取り上げた人もあります。他宗の方ですが。
つつじ寺ブログ
この方のように、「プロとして、感動を与える葬式を」と、
葬式仏教に徹して行く人、というのも、たしかにあります。
しかし、平生業成の親鸞聖人のみ教えを信奉する私たちは、
そんな死後の肉体の後始末については、覚如上人より
「いよいよ葬喪を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし」
と教えていただいております。
有名な歎異抄にも、
「親鸞は、父母の孝養のためとて、念仏一遍にても申したること
いまだ候わず」
と仰せです。
いずれも、死者への供養を全面否定なされています。
ですから、つつじ寺の神原氏には、断固反対です。
まあ、天台僧の方なので、真実分かられぬのも仕方ありませんが。
そうそう、「歎異抄」といえば、昨日の朝日の記事の直下に、
「歎異抄をひらく」(高森顕徹著)の広告が出ていたのも、何か、
因縁を感じましたね。