世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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9.なぜ善人よりも悪人なのか?
「善人なおもって往生を遂ぐ、
いわんや悪人をや」
の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
善人でさえ浄土へ生まれることができる
まして悪人は、なおさらだ。
日本思想史上、もっとも有名な言葉といわれます。非常にショッキングな
内容だけに、その後たいへんな誤解も生んでいます。
「悪をするほど、浄土へ往けるのか」
「悪をすればするほど、助かるのだ」
と好んで悪を行なう「造悪無碍」とよばれる者たちまで現われ、浄土真宗は
「悪人製造の宗教だ」とまで非難されました。
では、この章の真意は、何だったのか。
実は・・・焦点は「善人」か「悪人」かではなく、まったく別のところに
あったのです!
これは、本書でも、特に注目されている一項です。
「善人なおもって往生を遂ぐ、
いわんや悪人をや」
の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
善人でさえ浄土へ生まれることができる
まして悪人は、なおさらだ。
日本思想史上、もっとも有名な言葉といわれます。非常にショッキングな
内容だけに、その後たいへんな誤解も生んでいます。
「悪をするほど、浄土へ往けるのか」
「悪をすればするほど、助かるのだ」
と好んで悪を行なう「造悪無碍」とよばれる者たちまで現われ、浄土真宗は
「悪人製造の宗教だ」とまで非難されました。
では、この章の真意は、何だったのか。
実は・・・焦点は「善人」か「悪人」かではなく、まったく別のところに
あったのです!
これは、本書でも、特に注目されている一項です。
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8.「弥陀の本願まことだから」と、
言い切られた親鸞聖人
----「弥陀の本願、まことにおわしまさば」の真意
はるばる関東から、京都の親鸞聖人のもとへ、往生極楽の道を
尋ねに来た同行たちに、聖人がおっしゃったお言葉が、第二章に
なりました。
その中で、
「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず」
との一節があります。
ここを、「本願が、まことであるならば」と読む人が意外に多い
ようです。
いっぽうで聖人は、
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」
まことだった、まことだった、弥陀の本願まことだった、
というように、本願まこと、を讃嘆なさっています。
とするならば、第二章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」は、
どう読めばよいのか。
そこには、親鸞聖人の鮮明不動の信念が表明されていたのでした。
言い切られた親鸞聖人
----「弥陀の本願、まことにおわしまさば」の真意
はるばる関東から、京都の親鸞聖人のもとへ、往生極楽の道を
尋ねに来た同行たちに、聖人がおっしゃったお言葉が、第二章に
なりました。
その中で、
「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず」
との一節があります。
ここを、「本願が、まことであるならば」と読む人が意外に多い
ようです。
いっぽうで聖人は、
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」
まことだった、まことだった、弥陀の本願まことだった、
というように、本願まこと、を讃嘆なさっています。
とするならば、第二章の「弥陀の本願まことにおわしまさば」は、
どう読めばよいのか。
そこには、親鸞聖人の鮮明不動の信念が表明されていたのでした。
7.「念仏称えたら地獄か極楽か、
まったく知らん」と
おっしゃった聖人
----「知らん」は「知らん」でも、知りすぎた、知らん
歎異抄第二章には、
「念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、
また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって
存知せざるなり」
と書かれています。
ここを読んで、
「念仏は、浄土に生まれるタネか、地獄に堕つる業か、
親鸞も、まったく分かってはいなかったのだ」
とか、さらには、
「命がけで関東から尋ねに来た者に、答えないのは、無責任
ではないか」
と、言い出す者まであります。
いっぽうで、親鸞聖人は、
「念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門」(浄土和讃)
と、念仏によって仏のさとりをひらく、これが真実の仏法で
あると、断言なされています。
では、なぜこのとき、「知らん」とおっしゃったのか。
この第二章のお言葉が語られるに至った経緯から、詳説
されています。
まったく知らん」と
おっしゃった聖人
----「知らん」は「知らん」でも、知りすぎた、知らん
歎異抄第二章には、
「念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、
また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって
存知せざるなり」
と書かれています。
ここを読んで、
「念仏は、浄土に生まれるタネか、地獄に堕つる業か、
親鸞も、まったく分かってはいなかったのだ」
とか、さらには、
「命がけで関東から尋ねに来た者に、答えないのは、無責任
ではないか」
と、言い出す者まであります。
いっぽうで、親鸞聖人は、
「念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門」(浄土和讃)
と、念仏によって仏のさとりをひらく、これが真実の仏法で
あると、断言なされています。
では、なぜこのとき、「知らん」とおっしゃったのか。
この第二章のお言葉が語られるに至った経緯から、詳説
されています。