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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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4.「善も要らない 悪も怖くない」
  あなた こんなことが
  信じられますか?
  「歎異抄」の言葉

 「歎異抄」で、特に誤解されやすい一節があります。
「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善
なきがゆえに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪
なきがゆえに」(第一章)

 善も要らない、悪も怖くない、この言葉を、自分勝手に聞き、誤解し、
「念仏さえ称えていれば、他の善はしなくてもよい。どんな悪も恐れるこ
とはない」と、平気で悪を犯す輩がある、との警告がなされています。

 いや、これは、そういう意味のお言葉じゃないのか、といぶかる向きも
あるでしょう。「歎異抄」ではいたるところに、善と悪の問題が出され、
これの誤読が、とんでもない親鸞聖人への誤解につながっているといえます。
 では、どこがどう誤読なのか、正しくはどうなのか。
 多くの人が聞き耳を立てるところではないでしょうか。

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3.「念仏さえ称えていたら助かる」
  の誤解を正された
  親鸞聖人のお言葉

 「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えたのが親鸞聖人」という迷妄が
広く世にひろまっています。
 僧俗ともに、「お念仏の日暮しをしましょう」「お念仏相続こそ肝要」と念仏
称えて救われるのだと信じております。
 しかし、その誤りを正されたお言葉が、やはり「歎異抄」にあるのです。

 そこで尋ねたくなるのが、「念仏称えて極楽に往ける、というのでなければ、
じゃあ、どうすれば往けるのか」というポイントです。
 少しく真宗学を勉強した人なら「信心為本」「唯信独達」とは聞いているで
しょうけれども、では、その「信心」とはいかに。
 その点について、「教行信証」「御文章」などを挙げて、解説されています。

「歎異抄をひらく」の紹介サイト
2.「弥陀の救いは死後である」
  の誤解を正された
  親鸞聖人のお言葉

 仏教とか浄土真宗と聞くと、地獄や極楽など死後物語ばかりとされ、阿弥陀仏の
救いと言っても、「死んで極楽参りする、ということやろう」くらいに思われて
います。

 ところが、全人類といってもいい、この誤解を正し、弥陀の救いは平生の一念で
あることが、実は「歎異抄」に明らかにされているのです。
 えっ?どこに?
 そう思うでしょう、あなたも。いえ、実は、かつては、私も。
 それほどに、「歎異抄」は、読まれてはいても、読まれてはいないのです。

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1960/10/31
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