世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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先の宗会で、議論になりました、「あんのん保険」ですが、どうやら、
何のお咎めもなく、続行のようですね。
本願寺新報では、11月になっても、相変わらず、広告が掲載されてい
ます。
「月1000~5000円の各コースあり」
だそうで、これを見せて、各寺院のご住職が、保険の勧誘をするので
しょうか。
ああ、宗祖がご覧になれば、何と嘆かれることでしょう。
わずかの集金手数料欲しさに、聖人の教え徹底の使命を放棄して、
保険の勧誘、集金に回り、本堂ではロックコンサート、別院には、
他宗の坊主を呼んで、他宗の法要をさせ、たまに宗門挙げて取り組むのは
選挙運動、というしまつ。
このままでは、宗門はどうなってしまうのか。
宗門の貴公子、吉村隆真師に、ここは一つ、がんばってもらわねば。
何のお咎めもなく、続行のようですね。
本願寺新報では、11月になっても、相変わらず、広告が掲載されてい
ます。
「月1000~5000円の各コースあり」
だそうで、これを見せて、各寺院のご住職が、保険の勧誘をするので
しょうか。
ああ、宗祖がご覧になれば、何と嘆かれることでしょう。
わずかの集金手数料欲しさに、聖人の教え徹底の使命を放棄して、
保険の勧誘、集金に回り、本堂ではロックコンサート、別院には、
他宗の坊主を呼んで、他宗の法要をさせ、たまに宗門挙げて取り組むのは
選挙運動、というしまつ。
このままでは、宗門はどうなってしまうのか。
宗門の貴公子、吉村隆真師に、ここは一つ、がんばってもらわねば。
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11月10日号の本願寺新報を見てください。
親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、浄土真宗の看板を掲げ、「宗制」という最高
規則もありながら、真宗教義にも、宗制にも、公然と違反し、真宗教団
を偽装していると言われても、これじゃ反論できません。
宗会のもようを伝える写真、ご門主のうしろには、なんと木像本尊が
ご安置されています。
先の宗制の改定で、
「御本尊は、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)である」
と、御名号本尊こそ、真宗の正しい御本尊であることが明記されました。
表向きはそういうかっこうにしておいて、それを議決した宗門の最高
機関、宗会の場には、宗制に違背した御本尊がご安置されている。これ
は通らない話でしょう。
表記と内実が、明らかに異なっている。
これを、偽装と言うのです。
食品偽装が世間で問題になり、定められた通りに実施されていなかった
ことを、幹部連中が出てきては、謝罪をしています。中には司直の手が
入り、法規違反、犯罪にまで立件されるケースもあります。
未来永劫の魂の浮沈のかかった仏法、なかんずく、御本尊の問題です。
その重大さたるや、世間の偽装問題の比ではありません。
宗制改訂を議決した、まさにその会議場ではないですか。
「まず隗より始めよ」
真っ先に、範を示さねばならないのではないですか。
次に、本願寺新報の編集部も、写真なら何でも掲載すればいいってもん
じゃないでしょう。この写真にしても、「おい、宗制を改定したばかりで、
この写真はマズイんじゃないか」と、誰か一人くらい、気がつかなかった
のでしょうか。
これは、本堂でロックコンサート、ご門徒は本堂を追い出され、境内で
聞かされている、という、トンデモ写真を掲載するよりも、もっともっと
重大な問題ですよ。
全国仏青の東大寺参拝問題にしろ、本堂ライブハウス化問題にしろ、
このままで、宗門の未来は、どうなるのでしょうか。
まず、根本に尊ぶべき、御本尊から、正さなければ。
そうそう、東京ボーズコレクションまで、載っていましたね。
これは、また次回に。
today's link
御本尊問題については 参考まで。
『親鸞聖人が御名号本尊にされた根拠は何か』に解説されています。
親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、浄土真宗の看板を掲げ、「宗制」という最高
規則もありながら、真宗教義にも、宗制にも、公然と違反し、真宗教団
を偽装していると言われても、これじゃ反論できません。
宗会のもようを伝える写真、ご門主のうしろには、なんと木像本尊が
ご安置されています。
先の宗制の改定で、
「御本尊は、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)である」
と、御名号本尊こそ、真宗の正しい御本尊であることが明記されました。
表向きはそういうかっこうにしておいて、それを議決した宗門の最高
機関、宗会の場には、宗制に違背した御本尊がご安置されている。これ
は通らない話でしょう。
表記と内実が、明らかに異なっている。
これを、偽装と言うのです。
食品偽装が世間で問題になり、定められた通りに実施されていなかった
ことを、幹部連中が出てきては、謝罪をしています。中には司直の手が
入り、法規違反、犯罪にまで立件されるケースもあります。
未来永劫の魂の浮沈のかかった仏法、なかんずく、御本尊の問題です。
その重大さたるや、世間の偽装問題の比ではありません。
宗制改訂を議決した、まさにその会議場ではないですか。
「まず隗より始めよ」
真っ先に、範を示さねばならないのではないですか。
次に、本願寺新報の編集部も、写真なら何でも掲載すればいいってもん
じゃないでしょう。この写真にしても、「おい、宗制を改定したばかりで、
この写真はマズイんじゃないか」と、誰か一人くらい、気がつかなかった
のでしょうか。
これは、本堂でロックコンサート、ご門徒は本堂を追い出され、境内で
聞かされている、という、トンデモ写真を掲載するよりも、もっともっと
重大な問題ですよ。
全国仏青の東大寺参拝問題にしろ、本堂ライブハウス化問題にしろ、
このままで、宗門の未来は、どうなるのでしょうか。
まず、根本に尊ぶべき、御本尊から、正さなければ。
そうそう、東京ボーズコレクションまで、載っていましたね。
これは、また次回に。
today's link
御本尊問題については 参考まで。
『親鸞聖人が御名号本尊にされた根拠は何か』に解説されています。
きょうは、宗祖親鸞聖人のご命日であります。
弘長二年霜月 下旬八日の午の刻でした。
「我が歳、きわまりて
安養浄土に還帰すというとも
和歌の浦曲の 片男波の
寄せかけ 寄せかけ
かえらんに同じ
一人いて 喜ばは
二人と思うべし
二人いて 喜ばは
三人と思うべし
その一人は 親鸞なり」
(親鸞聖人 御臨末の御書)
無限の波動の如く、寄せかけ寄せかけ、苦悩の大衆を救済せんと
還来穢国なされる宗祖を、なつかしく思わずにおれません。
弘長二年霜月 下旬八日の午の刻でした。
「我が歳、きわまりて
安養浄土に還帰すというとも
和歌の浦曲の 片男波の
寄せかけ 寄せかけ
かえらんに同じ
一人いて 喜ばは
二人と思うべし
二人いて 喜ばは
三人と思うべし
その一人は 親鸞なり」
(親鸞聖人 御臨末の御書)
無限の波動の如く、寄せかけ寄せかけ、苦悩の大衆を救済せんと
還来穢国なされる宗祖を、なつかしく思わずにおれません。