世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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実話です。
あるところに、あわてものの布教使がいました。
あるとき、友人の布教使の法座で、
「親鸞聖人は、天親菩薩の親の字と、
曇鸞大師の鸞の字をいただかれて、
親鸞と名乗られたのです」
という話を聞いた。黒板の「親」と「鸞」にマルをつけ、
分かりやすい話じゃなあ、と、多くの参詣者も頷いた。
なるほど、そうか、と感心したあわてものの布教使、
さっそく、自分もどこかで、この話をして、みんなを
アッと言わせようと、機会をねらっていました。
そうして立った、ある日の法座で。
「親鸞聖人は」
と言いかけたのはよかったが、慣れぬ黒板に字を書いて
話をしていたために、丸で囲むところを間違えた。
「天親菩薩の、天の字と、
曇鸞大師の、曇の字をいただかれて、
天曇と名乗られたのでした」
参詣者は、大笑い。村の顔役は、
「布教使サン、よほど腹へっておられるんか。
天丼食べたいんなら、お昼にとろうか」
と、まぜっかえしたそうな。
参詣者を、笑わせようとか、ビックリさせようとか、
「物知りな先生じゃなあ」と感心させよう、などと思って
説法するのは、邪道もいいところ。
親鸞聖人常の仰せの通り、
「如来の教法を、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
に、私たちも徹していきたいものです。
あるところに、あわてものの布教使がいました。
あるとき、友人の布教使の法座で、
「親鸞聖人は、天親菩薩の親の字と、
曇鸞大師の鸞の字をいただかれて、
親鸞と名乗られたのです」
という話を聞いた。黒板の「親」と「鸞」にマルをつけ、
分かりやすい話じゃなあ、と、多くの参詣者も頷いた。
なるほど、そうか、と感心したあわてものの布教使、
さっそく、自分もどこかで、この話をして、みんなを
アッと言わせようと、機会をねらっていました。
そうして立った、ある日の法座で。
「親鸞聖人は」
と言いかけたのはよかったが、慣れぬ黒板に字を書いて
話をしていたために、丸で囲むところを間違えた。
「天親菩薩の、天の字と、
曇鸞大師の、曇の字をいただかれて、
天曇と名乗られたのでした」
参詣者は、大笑い。村の顔役は、
「布教使サン、よほど腹へっておられるんか。
天丼食べたいんなら、お昼にとろうか」
と、まぜっかえしたそうな。
参詣者を、笑わせようとか、ビックリさせようとか、
「物知りな先生じゃなあ」と感心させよう、などと思って
説法するのは、邪道もいいところ。
親鸞聖人常の仰せの通り、
「如来の教法を、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
に、私たちも徹していきたいものです。
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昨日の続き、機関紙「安穏」について。
定期宗会でもう一つ問題になったは、広告が掲載されている
「あんのん保険」のことでした。
「宗門が運営しているような錯覚を与える」
「なぜこの一社しかないのか」
「このままでは門徒の皆さんにこの機関紙を配れない」
などなどの、批判が出ました。
でも、ちょっと待ってよ。
この「あんのん保険」の広告は、別に「安穏」に初めて掲載
されたのではありません。
すでに「本願寺新報」には、仏壇店、法衣店などの広告に
まじって、広告が掲載されています。
宗会の議員のみなさま、ご存知なかった?
「新報」に掲載された時には、誰も問題にしなかったの?
もしかして、「本願寺新報」なんて、読んでいないとか?
宗会の議員先生さえ、読んでいない「本願寺新報」だとした
ら、こりゃ、余りに情けない?
「安穏」が「これじゃ門徒に配れない」のなら、「本願寺新報」
だって、配れない、のではありませんか?
それに、この保険会社、あまり名前を聞かない会社なのですが、
その経営母体は、どこ?もしかして、宗門の誰かが、役員として
関わっているから、これだけの特別扱いなの?
これら一連の批判を浴びても、少しも引っ込める気配がないの
は、何か背景があるのでは?
などというような、???がいっぱい出てきます。
このあたりの事情、宗門の貴公子こと、吉村隆真師、あざやかに
解説していただけると、有り難いのですが。
もっとも詳細を見てみると、この保険、さほど条件のよい内容
とはいえない気がしますけどね。おっと、あまりそれを書くと、
営業妨害に当たるのかな。失礼致しました。
定期宗会でもう一つ問題になったは、広告が掲載されている
「あんのん保険」のことでした。
「宗門が運営しているような錯覚を与える」
「なぜこの一社しかないのか」
「このままでは門徒の皆さんにこの機関紙を配れない」
などなどの、批判が出ました。
でも、ちょっと待ってよ。
この「あんのん保険」の広告は、別に「安穏」に初めて掲載
されたのではありません。
すでに「本願寺新報」には、仏壇店、法衣店などの広告に
まじって、広告が掲載されています。
宗会の議員のみなさま、ご存知なかった?
「新報」に掲載された時には、誰も問題にしなかったの?
もしかして、「本願寺新報」なんて、読んでいないとか?
宗会の議員先生さえ、読んでいない「本願寺新報」だとした
ら、こりゃ、余りに情けない?
「安穏」が「これじゃ門徒に配れない」のなら、「本願寺新報」
だって、配れない、のではありませんか?
それに、この保険会社、あまり名前を聞かない会社なのですが、
その経営母体は、どこ?もしかして、宗門の誰かが、役員として
関わっているから、これだけの特別扱いなの?
これら一連の批判を浴びても、少しも引っ込める気配がないの
は、何か背景があるのでは?
などというような、???がいっぱい出てきます。
このあたりの事情、宗門の貴公子こと、吉村隆真師、あざやかに
解説していただけると、有り難いのですが。
もっとも詳細を見てみると、この保険、さほど条件のよい内容
とはいえない気がしますけどね。おっと、あまりそれを書くと、
営業妨害に当たるのかな。失礼致しました。
仏法との縁の浅い、一般の方にも読んで頂きたいと、
今年から、年二回をめどに発刊されることになりました
西本願寺の機関紙「安穏」に対して、先日の定期宗会で
問題になりました。
「約230万部発行と聞くが、その経費は」
「1回2500万、年二回なので、年に5000万円」
「予算には、計上されていなかったが」
「今年度の書籍購入費から充てた」
「それは教学伝道審議会にかけたのか?」
「いいえ」
「それほどの多額の経費、独断で支出してよいのか!」
「すみません。次からは、審議会に諮るようにします」
ということで、今回は、経費面の話ばかりでしたが、
いえいえ、もっと問題にすべきは、「安穏」の内容。
これほどの経費をかけても、宗祖親鸞聖人の教えを、
世に伝えるのに有効であれば、大いにけっこうですが、
はたして、そういう内容になっているのか、どうか。
もちろん、それを定期宗会で議論すべきかどうか、は
あるでしょうが、最も論じ合うべきは、その内容です。
どうも、そうではなさそうで。
季刊誌「ジッポウ」の項でも書きましたが、仏法色
をわざと薄くし、当たり障りのない内容にしてしまった
だけに、結局読んだ人に、何も残らない、結局、発行
そのものが、終息してしまう、そんな予感がします。
あ、すみません、予感なんて、あやふやな言い方じゃ
よくないんですけどね。
でも、まだ1回しか出ていませんので、今後「安穏」
がどうなるのか、ようすを見ましょうか。
今年から、年二回をめどに発刊されることになりました
西本願寺の機関紙「安穏」に対して、先日の定期宗会で
問題になりました。
「約230万部発行と聞くが、その経費は」
「1回2500万、年二回なので、年に5000万円」
「予算には、計上されていなかったが」
「今年度の書籍購入費から充てた」
「それは教学伝道審議会にかけたのか?」
「いいえ」
「それほどの多額の経費、独断で支出してよいのか!」
「すみません。次からは、審議会に諮るようにします」
ということで、今回は、経費面の話ばかりでしたが、
いえいえ、もっと問題にすべきは、「安穏」の内容。
これほどの経費をかけても、宗祖親鸞聖人の教えを、
世に伝えるのに有効であれば、大いにけっこうですが、
はたして、そういう内容になっているのか、どうか。
もちろん、それを定期宗会で議論すべきかどうか、は
あるでしょうが、最も論じ合うべきは、その内容です。
どうも、そうではなさそうで。
季刊誌「ジッポウ」の項でも書きましたが、仏法色
をわざと薄くし、当たり障りのない内容にしてしまった
だけに、結局読んだ人に、何も残らない、結局、発行
そのものが、終息してしまう、そんな予感がします。
あ、すみません、予感なんて、あやふやな言い方じゃ
よくないんですけどね。
でも、まだ1回しか出ていませんので、今後「安穏」
がどうなるのか、ようすを見ましょうか。