世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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少々旧聞に属する話ですが、10月16日の国会で、民主党の石井一氏が
冬柴国土交通相に質問しました。
「P献金という問題がある。Pとはプレジデント、池田大作・創価学会名誉
会長のことだが、国会議員一人当たり30万円を徴収しているというが、
あなたは、やっているのか」
これに対する、冬柴の答が、珍妙だ。
「P献金が何物か知らないが、そんなことはしていない」
何物か知らないのに、しているかどうかがわかるのか?
していない!と言うのは、何物か知っているからではないか?
語るに落ちるとはこのことです。
さらに、石井議員が問う。
「していない?よくそんなところ(大臣席)に座ってそんなことが言えま
すね。もしやっているとなったら、どうするんですか。もう一度、答弁を」
すると、冬柴、真っ赤な顔で、腹立ちまぎれにこう言った。
「あなたそんなこと言うけどね、もしやっていなかったとしたら、貴方も
議員、辞めますね!」
あれあれ、何をそんなにコーフンしているの?と言いたくなります。
そこで、石井議員、
「これは、政教分離を定めた憲法20条に抵触する問題だ」
と指摘し、
「公明党を離党した福本潤一前議員の国会招致を」
と求めたのでした。
さらに、公明党がビビリまくる一言、
「必要に応じて池田名誉会長にも、国会に来ていただきたい」
さあ、いよいよ邪教創価学会の親玉が、国会に呼ばれるか!?
もちろん、公明党は、最大限の抵抗を試みるでしょうから、簡単には
いかないでしょうが、あんまり好き勝手なことやってたら、だまっちゃ
いないよ、という恫喝にはなったでしょう。
念仏無間の暴言を重ね、阿弥陀如来の御本尊を、お仏壇から引きずり
おろし、小便かけて焼き捨てた、かつての折伏の暴挙を、私達は決して
忘れてはいません。
このような謗法の大罪を、真宗人たるわれわれは、断固許すことは
できません。機をとらえて、邪教の正体を明らかにし、釈尊出世の
本懐、弥陀の本願を開顕したいと思います。
さてさて、先の参院選、民主大躍進の結果の一つが、こんなことにも
なって表われたんですね。
冬柴国土交通相に質問しました。
「P献金という問題がある。Pとはプレジデント、池田大作・創価学会名誉
会長のことだが、国会議員一人当たり30万円を徴収しているというが、
あなたは、やっているのか」
これに対する、冬柴の答が、珍妙だ。
「P献金が何物か知らないが、そんなことはしていない」
何物か知らないのに、しているかどうかがわかるのか?
していない!と言うのは、何物か知っているからではないか?
語るに落ちるとはこのことです。
さらに、石井議員が問う。
「していない?よくそんなところ(大臣席)に座ってそんなことが言えま
すね。もしやっているとなったら、どうするんですか。もう一度、答弁を」
すると、冬柴、真っ赤な顔で、腹立ちまぎれにこう言った。
「あなたそんなこと言うけどね、もしやっていなかったとしたら、貴方も
議員、辞めますね!」
あれあれ、何をそんなにコーフンしているの?と言いたくなります。
そこで、石井議員、
「これは、政教分離を定めた憲法20条に抵触する問題だ」
と指摘し、
「公明党を離党した福本潤一前議員の国会招致を」
と求めたのでした。
さらに、公明党がビビリまくる一言、
「必要に応じて池田名誉会長にも、国会に来ていただきたい」
さあ、いよいよ邪教創価学会の親玉が、国会に呼ばれるか!?
もちろん、公明党は、最大限の抵抗を試みるでしょうから、簡単には
いかないでしょうが、あんまり好き勝手なことやってたら、だまっちゃ
いないよ、という恫喝にはなったでしょう。
念仏無間の暴言を重ね、阿弥陀如来の御本尊を、お仏壇から引きずり
おろし、小便かけて焼き捨てた、かつての折伏の暴挙を、私達は決して
忘れてはいません。
このような謗法の大罪を、真宗人たるわれわれは、断固許すことは
できません。機をとらえて、邪教の正体を明らかにし、釈尊出世の
本懐、弥陀の本願を開顕したいと思います。
さてさて、先の参院選、民主大躍進の結果の一つが、こんなことにも
なって表われたんですね。
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今年9月の宗制改正で、御本尊について、
「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)一仏である」
と定められ、浄土真宗の正しい御本尊は、名号であると、宗門は
明言したのでした。
その影響か、さっそく各地の真宗寺院、ご門徒の間で、では、
さっそくご名号本尊にしましょう、という動きが出ていると各地
の友人が伝えてくれています。
もちろん、最も大切な御本尊のことで、しかも長年、形像本尊
を礼拝してきた人には抵抗もあるようで、「決まったからという
て、すぐにはなあ」と、渋い顔の御仁もあるとか。
しかし、かつて「伝道院紀要」でも、
「親鸞聖人が本尊とされたのは、どの歴史的史料を見ても、
名号本尊であったことは明白である」
とすでに明言されており、さらに今回の「宗制」改訂を受け、
本来の姿にならねばならないと、真宗界全体が動き出したのは、
歓迎すべきことでしょう。
「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)一仏である」
と定められ、浄土真宗の正しい御本尊は、名号であると、宗門は
明言したのでした。
その影響か、さっそく各地の真宗寺院、ご門徒の間で、では、
さっそくご名号本尊にしましょう、という動きが出ていると各地
の友人が伝えてくれています。
もちろん、最も大切な御本尊のことで、しかも長年、形像本尊
を礼拝してきた人には抵抗もあるようで、「決まったからという
て、すぐにはなあ」と、渋い顔の御仁もあるとか。
しかし、かつて「伝道院紀要」でも、
「親鸞聖人が本尊とされたのは、どの歴史的史料を見ても、
名号本尊であったことは明白である」
とすでに明言されており、さらに今回の「宗制」改訂を受け、
本来の姿にならねばならないと、真宗界全体が動き出したのは、
歓迎すべきことでしょう。
今週の「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、「父の思い出」と題して
宮崎県光源寺・本願寺派布教使の、平野 孝史氏が、話をしていました。
大学を留年した話から、(平野クン、ごめんね。でもラジオで公言しちゃった
から、いいよね)お父さんとの衝突、拒絶、しかしそれでも励まし、見守ってく
れたお父さんの思い出は、感動する話でした。
ただ、そこからどう親鸞聖人の教えに結びつけるかと思っていましたが、
「阿弥陀様は南無阿弥陀仏を通して、私たちにはたらいてくださっています」
「いつでもどこでも、あなたと一緒にいます。あなたの親だから」
という、いつものパターンの話になって、すぐにエンド。
布教使というのは、如来聖人の御心を伝える「使い」であって、自分の体験や
己れの考え、意見を話すのではありません。今日の話だと、自分の体験が9割、
最後の部分が1割。
どっちに重きを置いた話なのか、これじゃ、さかさまじゃないの?
それに、毎度このブログで指摘していますが、宗祖親鸞聖人のお言葉が一つも
出てこない。これじゃ、「本願寺の時間」という名が泣きますぞ。どなたを宗祖
とするお寺なのですか、本願寺は。
たとえば、聖人のご和讃、
「無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」
を讃題として紹介し、弥陀の大悲をお話しして、その分かりやすい譬えとして、
自身の体験を披露されたらよかったのではないか、と思います。
以前の吉村隆真師のお話では、ちゃんと聖人のご和讃をあげて、お話ししてい
られたので、やはり説得力が違うなあ、と思いました。
何と言っても、親鸞聖人のお言葉です。私ごときの言葉を何万、何億重ねても
遠く及ばない威力があるのです。
蓮如上人が、常に「聖人一流の御勧化のおもむきは」とか「祖師聖人御相伝一
流の肝要は」とおっしゃり、親鸞聖人のお言葉を挙げてお話しされたことをよく
知っておきたいと思います。
宮崎県光源寺・本願寺派布教使の、平野 孝史氏が、話をしていました。
大学を留年した話から、(平野クン、ごめんね。でもラジオで公言しちゃった
から、いいよね)お父さんとの衝突、拒絶、しかしそれでも励まし、見守ってく
れたお父さんの思い出は、感動する話でした。
ただ、そこからどう親鸞聖人の教えに結びつけるかと思っていましたが、
「阿弥陀様は南無阿弥陀仏を通して、私たちにはたらいてくださっています」
「いつでもどこでも、あなたと一緒にいます。あなたの親だから」
という、いつものパターンの話になって、すぐにエンド。
布教使というのは、如来聖人の御心を伝える「使い」であって、自分の体験や
己れの考え、意見を話すのではありません。今日の話だと、自分の体験が9割、
最後の部分が1割。
どっちに重きを置いた話なのか、これじゃ、さかさまじゃないの?
それに、毎度このブログで指摘していますが、宗祖親鸞聖人のお言葉が一つも
出てこない。これじゃ、「本願寺の時間」という名が泣きますぞ。どなたを宗祖
とするお寺なのですか、本願寺は。
たとえば、聖人のご和讃、
「無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」
を讃題として紹介し、弥陀の大悲をお話しして、その分かりやすい譬えとして、
自身の体験を披露されたらよかったのではないか、と思います。
以前の吉村隆真師のお話では、ちゃんと聖人のご和讃をあげて、お話ししてい
られたので、やはり説得力が違うなあ、と思いました。
何と言っても、親鸞聖人のお言葉です。私ごときの言葉を何万、何億重ねても
遠く及ばない威力があるのです。
蓮如上人が、常に「聖人一流の御勧化のおもむきは」とか「祖師聖人御相伝一
流の肝要は」とおっしゃり、親鸞聖人のお言葉を挙げてお話しされたことをよく
知っておきたいと思います。