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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 マスコミでは、もうとっくにスルーしているようですが、集団暴行
で傷害致死事件を起こした、長野の宗教法人「紀元会」。
 法規違反の部分を取り上げるのは、宗教には門外漢のマスコミだか
らしかたないにしても、祈願をしたり、霊能のある水を飲んだらガン
が治るとか、その辺の教義そのものに、目を向けるところは、ほとん
どないようです。

 しかし、当ブログ的には、ふれずにはおけません。
 拝めば病気が治るだの、商売繁盛するだの、因果の大道理に反した
迷信は、紀元会に限らず、何時の時代でも横行しています。
 親鸞聖人は、それら迷信外道を「九十五種」といわれ、
「九十五種世をけがす
   唯仏一道きよくます
   菩提に出到してのみぞ
   火宅の利益は自然なる」(和讃)
とおっしゃっています。弥陀の誓願によらねば、一人として助からぬ
ことを、叫び抜かれました。
 しかも、家は代々仏教であり、浄土真宗でありながら、これら外道
に迷っている者がまた多いことを嘆かれて、
「悲しきかなやこのごろの
   和国の道俗みなともに
   外儀は仏教のすがたにて
   内心外道を帰敬せり」(和讃)
とも仰せです。

 八百年前も、今日も、いかに人間の迷いは深いか、知らされると
同時に、御門徒の中から、外道邪教に迷っていく人があれば、それは
住職として、如来聖人にまことに申し訳のないことであります。
 その重責を自覚し、御門徒の皆様に、弥陀の願心を、正しくお伝え
しなければなりません。

 ちょっと、そういうお勉強のページを紹介しておきます。
浄土真宗 講座
ま、抵抗のある方もおいででしょうが、昨日のコメントにもありまし
たように、小異を捨てて大同につくことも大事ですから。
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 住職のつれづれ日記というブログがあります。
 福岡の熱心なご住職が運営しておられます。
 10月22日の文中に、次のように書かれていました。

    「うちの門徒、よその門徒」という閉ざされた思考では
     このような形態はとても無理であろう。
      ご門徒は親鸞聖人のご門徒であって、そのご門徒を
     たまたまお預かりしているのが各寺院であることを
     忘れてはならない。」

 仰せの通り、御門徒は、如来聖人からお預かりしており、一人残らず、
お浄土へ導くのだぞ、と、重大な責任を任されていること、教化に当たる
者は、ゆめゆめ忘れてはならないでしょう。決して私の弟子、というよう
なものではないのです。

   「専修念仏のともがらの、我が弟子、人の弟子、という
    相論の候らんこともってのほかの次第なり。
    親鸞は弟子一人も持たず候」(『歎異抄第6章』)

と親鸞聖人も厳しく戒められたことが記されています。
「あれは、私の弟子だ、あれはあの人の弟子だ」という争いが、当時あった
ことを、嘆かれてのお言葉ですが、今日でも、あれはウチの門徒、あれは
隣の門徒、という分け隔てが有りはしないでしょうか。
 ご縁有ってお参りされたならば、弥陀の願心をあやまたず伝えなければ
ならない責任があります。
 「親鸞は弟子一人も持たず」の御心については、『世界の光 親鸞聖人 完結編』にも出てますし、
『親鸞聖人に本当に弟子はいなかったのか』にも書いてあります。

「住職つれづれ日記」では、他の寺院の皆さんとの交流が種々書かれています。
 ご住職は福岡、長崎、そのほか、各地を東奔西走で、けっこうお忙しいようです。
いつも楽しく読ませてもらっています。
 
 なお一件だけ、ちょっと気になったことを。
 9月26日の文中、「薬ありとて毒を好むべからず」との引用があります。
 歎異抄13章の御文からでしょうが、そこには「御消息に」との前書きが
ありますけれども、実は、親鸞聖人の御消息にはないお言葉です。
 末灯鈔21「放逸無漸なるまじき事」の中には、
「「薬あり、毒を好め」と候らんことは、あるべくも候はず」
このように宗祖は書かれています。
 この二つ、全く違いますよね。
 ご住職ならば、お分かりになると思います。
 たしかに歎異抄が有名ではありますが、宗祖直筆ではありませんので、
せっかくの引用であれば、末灯鈔のほうをされたらいかがかと思いました。
 いえ、勝手なことを口をはさみまして、失礼の段、お許し下さい。
 案内されている通り、来年1月13日に、第56回「本山成人式」が
行なわれます。要綱が発表され、参加者が募られていますが、はたして
各地で、申し込み状況はどうでしょう?

 今年の成人式には、新成人がたったの143人。
 そのうち、帰敬式(おかみそり)に参加したのが43人。
 しかも、丸一日の行事なのに「記念講演」いわゆる聞法はたった1時間。

 これ、「仏法は聴聞に極まる」の蓮師のお言葉に照らして、どうです?
全国から、京都見物もかねてでもいい、参加しませんか、と集った新成人
が143人というのも、さびしい感じですが、まあ人数は少なくても、
いつもご紹介しますように、蓮師は、
「一宗の繁昌というは、人の多く集まり、威の大なることにてはなく候。
 一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候」
一人でも多くの人が、「信心をとる」の聞法心に燃えていれば、それは
それで尊いことなのですが、記念講演も、式典も、すべてイス席!
 真剣に聞こうと思ったら、当然、正座ではないですか?
 事実、帰敬式では、正座しているではないですか。
 143人の人たちに「正座して、真剣に聞きましょう」となぜ言えないか!

 真剣な聞法を勧めきれない、ということは、説く者も、真剣に伝えていな
いからではないのか。このままで、本山成人式は、存続できるのでしょうか。
 ここはやはり、宗祖親鸞聖人の御教えにしたがわねばなりません。

 「たとい大千世界に
   みてらん火をもすぎゆきて
   仏のみ名をきく人は
   ながく不退にかなうなり」(親鸞聖人)

 「仏法には 世間のヒマ(仕事)を欠きて 聞くべし
  世間のヒマ(仕事)をあけて 法を聞くべきように思うこと
  あさましきことなり」(蓮如上人)

 火中突破の、真剣な聞法を、もっと勧めましょうよ。
 宗門を挙げて。
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