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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 今週の「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、
「ありがたき人との出遇い」と題して、群馬県蓮照寺(れんしょうじ)
の住職、松岡満雄(まつおか まんゆう)師のお話でした。
本願寺派布教使でもある松岡師が、なぜ群馬のこの寺に入寺して、
住職になったか、そこには、一人の老婆との出会いがあったからだ、
という話があって、そこに、親鸞聖人のお言葉が引用されていました。

「本願力にあいぬれば  むなしくすぐる人ぞなき
   功徳の宝海みちみちて  煩悩の濁水へだてなし」

 はて?
 このおばあさんとの出会いが、本願力にあった、ということか。
 まさかー!
 では、ここでおばあさんを通して「真実の仏法との出遇い、真実の
幸福とは何かを考えるご縁になった」といわれているので、知遇仏法
のことを、「本願力にあう」といわれるのか。
 そうではないでしょう。
 仏法に出会った人がみな、「むなしくすぐる人ぞなき」と今生で
なれるのならば、仏法聞いている人はみな、助かっていることになる。
 もしそうならば、蓮如上人が、
「この御正忌にうちに参詣をいたし、志をはこび、報恩謝徳をなさん
と思いて、聖人の御前に参らん人の中において、信心を獲得したる人
もあるべし、また不信心の輩もあるべし、もってのほかの大事なり」
と、手に汗握ってご教導くだされることもないはずです。

 親鸞聖人の報恩講に参詣された人の中に、信心獲得している人もいる、
まだ信心獲得していない人もいる、これはもってのほかの大事である、
と仰せだからです。
なぜなら、次に仰せです。
「その故は、信心を獲得せずば、今度の往生は不定なり」
だからです。また、別の御文章では、
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべし」
とも仰せです。

 現在、信心獲得できていない人は、死んで極楽へ往生はできませんよ。
「されば、不信の人も、すみやかに決定の心をとるべし」
と教えてくださっています。
 決定の心をとるとは、信心決定のことで、信心獲得と同義です。

 ただ、毎日念仏ばかり称えて、草むしりばかりしていたおばあさん、
その方との出遭い、そして、仏法聞くようになったという、師の体験は
分かりましたが、それと
「本願力にあいぬれば」
とは、むりやりくっつけるのは、どうも・・・。
 つまりは、「本願力にあうとは、どういうことか」師が、よくご存知
ないからでしょう。
 もし、ご存知なれば、せっかく親鸞聖人のこの御和讃を出されたので
すから、その意味を、お話しいただきたかったですね。

 次回にでも、いかがですか?
 おっと、予定表では、次回は、宮崎県の平野さんだ。
 なになに?題は「父の思い出」またまた、話が脱線しそうな予感です。

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 先日の中外日報の一面は、まさに本願寺派の苦しい事情を
スッパ抜くような報道でした。
「Net縁(えにし)」という名の、寺院後継者をさがす組織
が、いよいよ動き始めました。
 かつてNHKが「寺が消える」という特集番組まで放送した
ように、真宗寺院では、東西とわず、後継者難で、苦悩してい
ます。あるいは、住職の後継者はいるが、奥さんがいない、だ
から、その次の後継者の目処が立たない、あるいは、経済的に
立ち行かないなど、讃嘆たる状況です。

 そこで、何とか寺院後継者をさがそうということで、中には
「団塊の世代が、退職後、第二の人生として、僧侶になろうと
いう人があれば、その受け皿になりうる」
というような、淡い希望も含めて、今回の組織の立ち上げとな
ったのでした。
 無住寺院となり、やがて荒れ果て、朽ちてゆく寺院の数は、
全国で数え切れません。跡継ぎがいない、何とかしなければと
立ち上がるご門徒もいない寺は、まさしく「消えてゆく」だけ
です。

 なぜ、そうなるのか。
「自信教人信」の熱意に燃える人材が、宗派内に育っていない
ことに尽きるのです。
 横に歩く親ガニが、子ガニに、「タテに歩け」と言っても、
詮無いことでしょう。
「燃える人材がいない」のは、そういう布教がなされていない、
伝道の闘士がいないからではないでしょうか。
 かつて、熊本の伝道の勇士、吉村隆真師のすばらしい決意を
紹介しました。このような闘士が、全国で立ち上がってこそ、
宗門の未来は開かれるのではないでしょうか。
 9月22日の朝日新聞でも報じられていたように、宗祖親鸞聖人の
言葉を伝える書といわれる「歎異抄」の解説本が、このところ何冊か
続けて出版され、ちょっとした話題になっています。
 
 真宗大谷派(本山・東本願寺)の研究機関である、親鸞仏教センター
(東京都文京区)では、約10人で研究会を作り、5年間かかって、
「試訳」を機関紙に連載してきました。本山が公式に認めた訳ではない
ので「試訳」なのですが、そうはいっても、同センター名で出したら、
誰だって、お東さん公認の本と、思いますわな。

 さらには、現代、親鸞聖人のことになると、かならず出てくる、作家
五木寛之氏。東京書籍から「私訳 歎異抄」を9月に出版しましたが、
30万、50万と売れた前作ほどは伸びず、朝日の9月22日付け紙面
では「12万部突破の勢い」と書いています。
 この場合、出荷数、すなわち、印刷して、取次(トーハンとか日販)
に送った数を言う場合が多いのですが、それが12万部、ということは、
最近の平均返本率から考えて、売り上げは、せいぜいその6割から7割、
7万から8万、というところでしょうか。
 いえいえ、本屋さんにしばらく置かれて、委託期限切れ頃にどっと
返本されますから、よくて7万、という見通しでしょう。
「突破の勢い」とは、何とも苦しい表現です。

 五木氏といえば、どこにも人生の目的が書かれていない「人生の目的」
とか、蓮如上人500回忌に便乗した「蓮如、われ深きふちより」など、
このところ、仏教関係の本が続いていますが、饒舌に語る割には、宗祖
の教えの誤解や、理解不足が随所に露呈して、少しでも親鸞を知る人か
らは、見放されつつある感じですが、今回の本も、一読しましたが、何
とも苦しい、まさに「私訳」といえましょう。もし親鸞聖人の教えと、
異なるところがあっても「私個人の解釈です」と逃げる手は打ってある
わけです。
 少なくとも、宗祖は、自著には「愚禿釈親鸞」と氏名を明記されて、
著作の全責任は自身にあることを明言されて、まさに身命を賭して執筆
なされたのでした。
 
 ああ、どこかに、本当の聖人の御心、歎異抄の真意をひらいてくれる
書物は、ないものでしょうか。
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