世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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最新の本願寺新報によると、いよいよ目前になった参院選、
宗門は、特別推薦として、民主党の藤谷光信氏、自民党の谷川
秀善氏、二人を推すことになりました。
自民でも、民主でも、とにかく、宗門の僧侶等が出馬すれば
宗門として推薦する、ということらしいですが、いよいよ我が
宗門は、選挙一色、集票団体へと衣替えか、という感じです。
親鸞聖人が、弥陀の本願徹底に東奔西走されたのとは大違い、
一票入れてくださいと、票乞い、票頼みに、南北を飛び回る、
総長以下、役員たち、これ、なんか変だと思いませんか。
あいもかわらず本願寺新報では、ご門主の南米ご布教の報道
は最終面に追いやられています。南米のご門徒がたのさまざま
なニュースもあるのに、それよりも、「選挙だ!」一辺倒で、
藤谷氏を励ます会のメンバーの氏名が、ズラズラーッと一面の
トップに並んでいる。「こんだけ、たくさんの人が応援してい
るんだから、あなたも、藤谷氏を応援してよ」と、編集方針は
あからさまに言えば、そうです。
ちがいますか!?新報編集部サン。
宗門は、特別推薦として、民主党の藤谷光信氏、自民党の谷川
秀善氏、二人を推すことになりました。
自民でも、民主でも、とにかく、宗門の僧侶等が出馬すれば
宗門として推薦する、ということらしいですが、いよいよ我が
宗門は、選挙一色、集票団体へと衣替えか、という感じです。
親鸞聖人が、弥陀の本願徹底に東奔西走されたのとは大違い、
一票入れてくださいと、票乞い、票頼みに、南北を飛び回る、
総長以下、役員たち、これ、なんか変だと思いませんか。
あいもかわらず本願寺新報では、ご門主の南米ご布教の報道
は最終面に追いやられています。南米のご門徒がたのさまざま
なニュースもあるのに、それよりも、「選挙だ!」一辺倒で、
藤谷氏を励ます会のメンバーの氏名が、ズラズラーッと一面の
トップに並んでいる。「こんだけ、たくさんの人が応援してい
るんだから、あなたも、藤谷氏を応援してよ」と、編集方針は
あからさまに言えば、そうです。
ちがいますか!?新報編集部サン。
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かつて「知ってるつもり」という日テレの番組で、
「親鸞聖人」といえば、必ず顔を出してひとこと言った
ひろさちや。
しばらく顔を見ないし、この前のNHK「その時歴史が動いた」
でも、まったく出てこなかった。
どうしていることやら、と思ってたら、こんなことしてたのです。
------------------------------------------------------------
集英社新書
「狂い」のすすめ
(2007年 1月 22日出版)
ひろ さちや【著】 販売価:\714(税込) (本体価:\680)
人生は無意味 「生き甲斐」は不要
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
自分を楽しく生きましょう。
「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術は
ここにあるのです。
(本の紹介文より)
------------------------------------------------------------
これじゃ、NHKも、番組に出てもらおうとは、思いませんよね。
人生は無意味なんだもん、生きていることに意味なんてないんだもん。
テレビに出るのも、そこで解説するのも、意味ないんだもん。
「当代きっての仏教思想家である著者」と集英社は持ち上げる。
集英社なんていう、出版事業も、意味ないって言ってるんだよ。
働くのも、食べるのも、みんな意味ないんだよ。
問題は、これが「仏教」だと誤解する人が出てくることです。
人生に意味がないのなら、その意味のない人間に生まれたことを
「人身受け難し 今すでに受く」(華厳経)
人間に生まれてよかった!と、喜ばれるはずがない。
人間に生まれたことは、大変よろこぶべきことだと、教えられる
はずがない。
じゃあ、ひろさちやが正しくて、釈尊が間違いなのか。
ひろさちやがまともで、釈尊が狂っているのか。
・・・・・ははーん、読めてきた。
ひろさちやは、自分が主張するとおり「狂った」わけだ。
他人に「狂いましょう」と勧めるのだから、自分がまず率先して
狂ったわけだ。
だから、釈尊の教えとも異なるし、世間の常識ともかけ離れるワケだ。
とすれば、こんな狂った人に、狂った本に、まともに相手になるほうが
バカらしい、というものだ。
古い言葉だけど、プッツン、しちゃったのですね。
その本の紹介は、こちらです。
「狂い」のすすめ(紀伊國屋WEBより)
ちょっとは、ここで勉強したら、どうですか。
浄土真宗 講座
「親鸞聖人」といえば、必ず顔を出してひとこと言った
ひろさちや。
しばらく顔を見ないし、この前のNHK「その時歴史が動いた」
でも、まったく出てこなかった。
どうしていることやら、と思ってたら、こんなことしてたのです。
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集英社新書
「狂い」のすすめ
(2007年 1月 22日出版)
ひろ さちや【著】 販売価:\714(税込) (本体価:\680)
人生は無意味 「生き甲斐」は不要
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
自分を楽しく生きましょう。
「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術は
ここにあるのです。
(本の紹介文より)
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これじゃ、NHKも、番組に出てもらおうとは、思いませんよね。
人生は無意味なんだもん、生きていることに意味なんてないんだもん。
テレビに出るのも、そこで解説するのも、意味ないんだもん。
「当代きっての仏教思想家である著者」と集英社は持ち上げる。
集英社なんていう、出版事業も、意味ないって言ってるんだよ。
働くのも、食べるのも、みんな意味ないんだよ。
問題は、これが「仏教」だと誤解する人が出てくることです。
人生に意味がないのなら、その意味のない人間に生まれたことを
「人身受け難し 今すでに受く」(華厳経)
人間に生まれてよかった!と、喜ばれるはずがない。
人間に生まれたことは、大変よろこぶべきことだと、教えられる
はずがない。
じゃあ、ひろさちやが正しくて、釈尊が間違いなのか。
ひろさちやがまともで、釈尊が狂っているのか。
・・・・・ははーん、読めてきた。
ひろさちやは、自分が主張するとおり「狂った」わけだ。
他人に「狂いましょう」と勧めるのだから、自分がまず率先して
狂ったわけだ。
だから、釈尊の教えとも異なるし、世間の常識ともかけ離れるワケだ。
とすれば、こんな狂った人に、狂った本に、まともに相手になるほうが
バカらしい、というものだ。
古い言葉だけど、プッツン、しちゃったのですね。
その本の紹介は、こちらです。
「狂い」のすすめ(紀伊國屋WEBより)
ちょっとは、ここで勉強したら、どうですか。
浄土真宗 講座
中外日報6月20日号が報じているとおり、6月9日、浄土宗
と浄土真宗が合同で「念仏法難800年」記念のシンポジウムを
開きました。
各派の代表が、基調講演をした中で、まあ、風前の灯である
浄土宗各派やら、真宗大谷派などが何を言っても、問題にもな
りませんし、取り上げる価値もありませんが、本派の藤本信隆氏
が話した内容は、聞き捨てなりません。
「真宗では、越後流罪は、弾圧というより、念仏伝道の御縁で
あったと受け止めている」と延べ、「越後流刑によって、聖人に
よって悪人とされた被差別民への救いの根拠を決定的にした」と
まあこれは全くの私見でしょうが、講演しています。
まず、越後流刑、いわゆる承元の法難は、明らかに弾圧です。
親鸞聖人は、「主上臣下、法に背き、義に違す」と、権力者への
義憤を教行信証にお書きになっています。命より大切に思ってお
られたお師匠様、法然上人を流罪にあわせた権力者を、断じて
許されなかったのです。
もちろん、転悪成善で、越後へ本願を伝える御縁と喜ばれ、
「これなお師教の恩致なり」と述べられましたが、だからといっ
て、弾圧ではなかったとは、言えません。弾圧であり、同時に、
本願弘通の御縁でもあったところに、弥陀の願力不思議が輝く
のではないでしょうか。おそらくは、藤本氏も、転悪成善の益
をご存知ないのでしょう。
さらに、私見ではあっても「親鸞聖人が悪人とされたのは、
被差別民のこと」という発言は、断固、誤りです。藤本信隆氏
は教行信証も読まれたことがないのか。
「一切凡小一切時の中に、貪愛の心つねによく善心をけがし、
瞋憎の心つねによく法財を焼く。急作急修して頭燃をはらうが
如くすれども、すべて雑毒雑修の善と名づけ、また虚仮顛偽の
行と名づく、真実の業と名づけざるなり。この虚仮雑毒の善を
もって無量光明土に生ぜんと欲す。これ必ず不可なり」(信巻)
全人類が、悪人であると仰せではないか。
被差別民だけだなどと、どこをどう聖人の教えを聞いている
のか。あきれ返るばかりです。
このあと、参加者は、知恩院から鹿ケ谷の安楽寺まで、行進
したそうですが、何を思いながら歩いたのやら。
死刑、流刑も覚悟で、一向専念無量寿仏を徹底された祖師の
ご苦労を偲ぶ人は、おそらく皆無だったでしょうね。
Today's Link
浄土真宗を憂う
と浄土真宗が合同で「念仏法難800年」記念のシンポジウムを
開きました。
各派の代表が、基調講演をした中で、まあ、風前の灯である
浄土宗各派やら、真宗大谷派などが何を言っても、問題にもな
りませんし、取り上げる価値もありませんが、本派の藤本信隆氏
が話した内容は、聞き捨てなりません。
「真宗では、越後流罪は、弾圧というより、念仏伝道の御縁で
あったと受け止めている」と延べ、「越後流刑によって、聖人に
よって悪人とされた被差別民への救いの根拠を決定的にした」と
まあこれは全くの私見でしょうが、講演しています。
まず、越後流刑、いわゆる承元の法難は、明らかに弾圧です。
親鸞聖人は、「主上臣下、法に背き、義に違す」と、権力者への
義憤を教行信証にお書きになっています。命より大切に思ってお
られたお師匠様、法然上人を流罪にあわせた権力者を、断じて
許されなかったのです。
もちろん、転悪成善で、越後へ本願を伝える御縁と喜ばれ、
「これなお師教の恩致なり」と述べられましたが、だからといっ
て、弾圧ではなかったとは、言えません。弾圧であり、同時に、
本願弘通の御縁でもあったところに、弥陀の願力不思議が輝く
のではないでしょうか。おそらくは、藤本氏も、転悪成善の益
をご存知ないのでしょう。
さらに、私見ではあっても「親鸞聖人が悪人とされたのは、
被差別民のこと」という発言は、断固、誤りです。藤本信隆氏
は教行信証も読まれたことがないのか。
「一切凡小一切時の中に、貪愛の心つねによく善心をけがし、
瞋憎の心つねによく法財を焼く。急作急修して頭燃をはらうが
如くすれども、すべて雑毒雑修の善と名づけ、また虚仮顛偽の
行と名づく、真実の業と名づけざるなり。この虚仮雑毒の善を
もって無量光明土に生ぜんと欲す。これ必ず不可なり」(信巻)
全人類が、悪人であると仰せではないか。
被差別民だけだなどと、どこをどう聖人の教えを聞いている
のか。あきれ返るばかりです。
このあと、参加者は、知恩院から鹿ケ谷の安楽寺まで、行進
したそうですが、何を思いながら歩いたのやら。
死刑、流刑も覚悟で、一向専念無量寿仏を徹底された祖師の
ご苦労を偲ぶ人は、おそらく皆無だったでしょうね。
Today's Link
浄土真宗を憂う