世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
西本願寺のサイトによると、8月7日に東京・築地本願寺に、ジャーナリストの
鳥越俊太郎氏が講演に来る、とのこと。
鳥越氏の公式サイトを見ると、確かに、8月7日に、「東京築地本願寺で講演」と
書かれている。
ところが、当の「築地本願寺」のサイトには、8月7日は「納涼盆踊り」としか
出ていない。その「納涼盆踊り」の説明を見ても、「18:00から」とあるの
で、「15時~16時」の鳥越氏の講演は、一行もない。
いや、もちろん、どっかにかくれているのかもしれないが、もっとドーンと見える
ところに、出ていてもよかろうに。招待して、話に来てもらうのに、これじゃあ、
失礼というものだろう。
そも、鳥越俊太郎氏とは・・・・
福岡県生まれ、久留米大附設高校(すごーい進学校!)を出て、京都大学文学部に
学ぶ。(筆者とは、だいぶ学年は離れているので、キャンパスであったことは、
たぶん、ない)毎日新聞で、取材畑を歩み、サンデー毎日の編集長もつとめる。
日本記者クラブ賞や、ギャラクシー賞を受賞、その後は、毎日新聞を退社し、
テレビでキャスターなどをつとめる。
しゃべると、やはり九州なまりが抜けないが、筆者も隣の熊本生まれなので、まあ
まあ理解できる。
思想・信条・宗教的に、何か不都合が出てきたわけではないだろう。ならば、
せっかく来て話をしてもらうのに、表に出せないワケでもあるのか?
東京親鸞会、というのも、なにやらよく判らない団体だが、そこのサイトはない
ので、調べようがない。(もしご存知の方があれば、教えてください。)
少なくとも、「親鸞会」と名乗るからには、親鸞聖人の教えを明かにする団体で
あってもらいたいが、実態は、どうもそうではなさそうだし。
築地本願寺にしても、東京親鸞会にしても、親鸞聖人の教えを明かにするという
使命を、すでに放棄したのだ、と、筆者は推測する。
「東京ボーズコレクション」なんかを見せられちゃ、もうガックリだからね。
鳥越俊太郎氏が講演に来る、とのこと。
鳥越氏の公式サイトを見ると、確かに、8月7日に、「東京築地本願寺で講演」と
書かれている。
ところが、当の「築地本願寺」のサイトには、8月7日は「納涼盆踊り」としか
出ていない。その「納涼盆踊り」の説明を見ても、「18:00から」とあるの
で、「15時~16時」の鳥越氏の講演は、一行もない。
いや、もちろん、どっかにかくれているのかもしれないが、もっとドーンと見える
ところに、出ていてもよかろうに。招待して、話に来てもらうのに、これじゃあ、
失礼というものだろう。
そも、鳥越俊太郎氏とは・・・・
福岡県生まれ、久留米大附設高校(すごーい進学校!)を出て、京都大学文学部に
学ぶ。(筆者とは、だいぶ学年は離れているので、キャンパスであったことは、
たぶん、ない)毎日新聞で、取材畑を歩み、サンデー毎日の編集長もつとめる。
日本記者クラブ賞や、ギャラクシー賞を受賞、その後は、毎日新聞を退社し、
テレビでキャスターなどをつとめる。
しゃべると、やはり九州なまりが抜けないが、筆者も隣の熊本生まれなので、まあ
まあ理解できる。
思想・信条・宗教的に、何か不都合が出てきたわけではないだろう。ならば、
せっかく来て話をしてもらうのに、表に出せないワケでもあるのか?
東京親鸞会、というのも、なにやらよく判らない団体だが、そこのサイトはない
ので、調べようがない。(もしご存知の方があれば、教えてください。)
少なくとも、「親鸞会」と名乗るからには、親鸞聖人の教えを明かにする団体で
あってもらいたいが、実態は、どうもそうではなさそうだし。
築地本願寺にしても、東京親鸞会にしても、親鸞聖人の教えを明かにするという
使命を、すでに放棄したのだ、と、筆者は推測する。
「東京ボーズコレクション」なんかを見せられちゃ、もうガックリだからね。
PR
お通夜、葬儀を行わず、火葬だけで済ませる「直葬」が増えている。
<専門家の推定では、2008年時点で東京都下の20~30%、
地方の5~10%が直葬だと見られます。>
という分析もある。(「遺言情報局-直葬」というサイトより)
生活困窮者が、葬儀費用を準備できず、やむなく火葬のみで済ませ
たという例は、以前にもわずかながらあったが、今では、他の理由も
あって、直葬が増えているようだ。
そもそも読経を中心とした、死者への供養としての葬儀に、意味が
あるとは思えない、という意見もある。
そんな意味のない、カタチだけの儀式に、金をかけるくらいなら、
残った遺族のその後の生活資金に回したい、という理由も頷ける。
つまりは、葬儀を、死者への儀礼のみととらえ、「生きている私達
のために勤めるものだ」とは、知らないからだろう。
亡くなった人をご縁として、無常を見つめ、真剣に後生の一大事を
心にかけて、一心に弥陀の本願を聞けば、永遠の幸せに救われる。
さればこそ、生きている私達のための、大切な聞法の勝縁である。
まさにそこで、命がけで弥陀の本願が説かれ、参集した縁者が、
そろって真剣に聞法させていただくための法要でなければならない。
単なるカタチだけの儀礼で済ませている、葬式仏教、法事仏教は、
早晩、地上から姿を消すであろう。いや、すでに消えつつあると
言ってもよかろう。
<専門家の推定では、2008年時点で東京都下の20~30%、
地方の5~10%が直葬だと見られます。>
という分析もある。(「遺言情報局-直葬」というサイトより)
生活困窮者が、葬儀費用を準備できず、やむなく火葬のみで済ませ
たという例は、以前にもわずかながらあったが、今では、他の理由も
あって、直葬が増えているようだ。
そもそも読経を中心とした、死者への供養としての葬儀に、意味が
あるとは思えない、という意見もある。
そんな意味のない、カタチだけの儀式に、金をかけるくらいなら、
残った遺族のその後の生活資金に回したい、という理由も頷ける。
つまりは、葬儀を、死者への儀礼のみととらえ、「生きている私達
のために勤めるものだ」とは、知らないからだろう。
亡くなった人をご縁として、無常を見つめ、真剣に後生の一大事を
心にかけて、一心に弥陀の本願を聞けば、永遠の幸せに救われる。
さればこそ、生きている私達のための、大切な聞法の勝縁である。
まさにそこで、命がけで弥陀の本願が説かれ、参集した縁者が、
そろって真剣に聞法させていただくための法要でなければならない。
単なるカタチだけの儀礼で済ませている、葬式仏教、法事仏教は、
早晩、地上から姿を消すであろう。いや、すでに消えつつあると
言ってもよかろう。
ここのところ何度か、「みほとけとともに ~西本願寺の時間~」
では、布教使と門徒推進員とが、一緒に出ておられましたが、最近は
門徒推進員だけの時も多くなってきました。
7月3週 山口 圭二郎 福岡県両徳寺門徒
7月1週 中嶋 君子 奈良県西光寺門徒
6月3週 石橋 寿美 広島県称名寺門徒
6月1週 三嶋 統吾 熊本県覚法寺門徒
5月4週 井野 盛夫 静岡県教覚寺門徒
などなど・・・・
そのお話も、親鸞聖人のお言葉を挙げて、それを分かりやすく説か
れるのではなく、自分の体験であったり、感想であったり、およそ
それは、「法話」とは、異なるものになってしまっています。
みなが求めているのは、親鸞聖人の教えであって、ある個人の
感想や、体験談ではないのです。いつの時代、どこへいっても変わ
らない、真実の教えこそ、全人類が求めてやまないものです。
ついに「みほとけとともに」には、布教使は登場されなくなるの
でしょうか。「法話」ではなく、感想文や、体験談を、紹介する
コーナーになったのでしょうか。
残念な気がしますね。
では、布教使と門徒推進員とが、一緒に出ておられましたが、最近は
門徒推進員だけの時も多くなってきました。
7月3週 山口 圭二郎 福岡県両徳寺門徒
7月1週 中嶋 君子 奈良県西光寺門徒
6月3週 石橋 寿美 広島県称名寺門徒
6月1週 三嶋 統吾 熊本県覚法寺門徒
5月4週 井野 盛夫 静岡県教覚寺門徒
などなど・・・・
そのお話も、親鸞聖人のお言葉を挙げて、それを分かりやすく説か
れるのではなく、自分の体験であったり、感想であったり、およそ
それは、「法話」とは、異なるものになってしまっています。
みなが求めているのは、親鸞聖人の教えであって、ある個人の
感想や、体験談ではないのです。いつの時代、どこへいっても変わ
らない、真実の教えこそ、全人類が求めてやまないものです。
ついに「みほとけとともに」には、布教使は登場されなくなるの
でしょうか。「法話」ではなく、感想文や、体験談を、紹介する
コーナーになったのでしょうか。
残念な気がしますね。