世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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民主党政権となって、子育て支援のために、さまざまな
苦心をしています。
マスコミでは、「就学3年前の子供に支給する手当てを
廃止する」という点ばかりが強調され、いかにも民主党は
子育てを軽視しているかのように報道していますが、実は、
就学3年前だけに限定せず、さらに幅広い年齢層の子供を
持つ家族への支援策を、しかもより多額の援助を企図して
いるのであって、決して子育て軽視どころではなく、重視
しています。
どうも、こういうところ、官僚のマスコミ操作による、
いやがらせかと思ったりもします。
とはいえ、子供をもうけ、育て、一人前にするのは大変
なことです。稚児の初参りのとき、お母さんの代表が、こ
んな誓いの言葉を、無上仏の前で述べておられました。
「我が子を、真摯な親鸞学徒に育てることは、母として、
如来聖人より課せられた、一大使命であると、自覚せずに
おれません」
私も、子を持つ身となったとき、その責任を、感ぜずに
おれませんでした。
「人身受け難し 今すでに受く」(釈迦)
生まれ難い人間に生まれることができてよかった。
人間に生まれたことは、大変喜ばねばならないことなの
だと、お釈迦様は仰せです。
ところが、喜んでいるどころか、何で生まれてきたんだ
ろう、人間に生まれてさえこなければ、こんなに苦しまな
くてもよかったのに、と、人間に生まれたことを恨んだり、
後悔したりしています。
それは、何のために生まれてきたのか、何のために生き
ているのか、なぜ苦しくとも生きねばならないのか、生きる
目的が分からないからではないでしょうか。
本当の出世の本懐を知らされ、その本懐を果たしたとき、
「人身受け難し、今すでに受く」
人間に生まれてよかった!という、生命の大歓喜をあじわう
ことができるのです。
「そうか、ボクが生まれて来たのは、大事なことを成し
遂げるためなんだ!」
そう明らかに知らされた時、よし頑張るぞ!のファイト
もわくでしょうし、苦しみも悲しみも「この大目的を果た
すまでは」と、乗り越える勇気も沸き起こってくるでしょう。
「苦しくとも、なぜ生きるか」これを明らかにすること
こそ、最大の子育て支援ではなかろうか。ニュースを見な
がら、ふとそんな感じがしてきました。
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台風18号は、愛知県に上陸後、日本列島を縦断し、
各地に甚大な被害をもたらしました。
過ぎ去ってみると、進路の真下だった地方と、少し
でもそれた地域とでは、被害はまるで違いました。
こんなところから、台風情報を見ておりますと、
ちょっとでも自分の地域をそれると、ホッとする心が
出てきます。
直撃を受けた地域は、たいへんなことになっている
のに、不謹慎なと思いながらも、自分さえよければ、
という勝手な心があることに、ぞっと致します。
一方で、災害を受けて苦しんでいる人に、「お気の
毒に」とは言いながら、その時の、我が心はどうか、
と振り返ると、そのドス黒いみにくい心に、慄然と
致します。
「悪性さらにやめがたし 心は蛇蝎の如くなり」
(親鸞聖人)
この世で弥陀に救われても、悪性はさらに変わること
なく、ヘビを見たときのようにゾッとする心、サソリを
見たときのような「恐ろしい!」という心が、いっぱい
だ、と聖人は仰せです。
仏教という法の鏡に照らして、映し出された自分の姿
を、まじめに見つめなければなりませんね。
各地に甚大な被害をもたらしました。
過ぎ去ってみると、進路の真下だった地方と、少し
でもそれた地域とでは、被害はまるで違いました。
こんなところから、台風情報を見ておりますと、
ちょっとでも自分の地域をそれると、ホッとする心が
出てきます。
直撃を受けた地域は、たいへんなことになっている
のに、不謹慎なと思いながらも、自分さえよければ、
という勝手な心があることに、ぞっと致します。
一方で、災害を受けて苦しんでいる人に、「お気の
毒に」とは言いながら、その時の、我が心はどうか、
と振り返ると、そのドス黒いみにくい心に、慄然と
致します。
「悪性さらにやめがたし 心は蛇蝎の如くなり」
(親鸞聖人)
この世で弥陀に救われても、悪性はさらに変わること
なく、ヘビを見たときのようにゾッとする心、サソリを
見たときのような「恐ろしい!」という心が、いっぱい
だ、と聖人は仰せです。
仏教という法の鏡に照らして、映し出された自分の姿
を、まじめに見つめなければなりませんね。
滋賀県のある友人からの情報です。
近くの大谷派のお寺で、知人のお通夜があったので行ってみると
祭壇の御本尊が、南無阿弥陀仏のご名号であった!とのこと。
昨年、本願寺派では、宗制が改定されて、「本尊・南無阿弥陀仏」
と、ご名号こそ正しい真宗の御本尊であることが明記されました。
大谷派でも、上記のような動きがあります。
記憶では、龍谷大学の入学式等では、以前から御本尊はご名号で
あったと思います。
中外日報でも、北海道で行われた本願寺派の大会で、ご名号本尊
であった写真が掲載されていました。
少しずつですが、真宗の流れが変わりつつあることを感じます。
近くの大谷派のお寺で、知人のお通夜があったので行ってみると
祭壇の御本尊が、南無阿弥陀仏のご名号であった!とのこと。
昨年、本願寺派では、宗制が改定されて、「本尊・南無阿弥陀仏」
と、ご名号こそ正しい真宗の御本尊であることが明記されました。
大谷派でも、上記のような動きがあります。
記憶では、龍谷大学の入学式等では、以前から御本尊はご名号で
あったと思います。
中外日報でも、北海道で行われた本願寺派の大会で、ご名号本尊
であった写真が掲載されていました。
少しずつですが、真宗の流れが変わりつつあることを感じます。