世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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ほぼ全国で梅雨があけ、本格的な猛暑となりました。
この暑い中、御門徒の皆さんを回っておられる方も
多いと思います。
さて、なぜ「門徒」に「御」の字をつけるのか?
あるところの御法座で聞かせて頂いたことがあります。
門徒は、阿弥陀如来から、「これだけの人たちを、
まちがいなく、お浄土まで導きなさいよ。それが、
手次の寺の者の、責任なのですよ」ということで、
お預かりしている方々です。
如来聖人から、お預かりしている尊い方々なのです
から、「門徒」というのはもったいない、「御」の
字をつけて、「御門徒」と、蓮如上人も仰せなの
です・・・・。
なるほど、そういえば、宗祖親鸞聖人も、
「御同朋 御同行」と、やはり「御」の字をつけて
おられます。阿弥陀如来のご念力によって、ともに
無上の道を進ませて頂いている方々ですから、「御
同朋 御同行」と言わずにはおられなかったのでし
ょう。
私たちも、「御同朋」「御同行」「御門徒」と
呼ばせていただきたいと思います。
この暑い中、御門徒の皆さんを回っておられる方も
多いと思います。
さて、なぜ「門徒」に「御」の字をつけるのか?
あるところの御法座で聞かせて頂いたことがあります。
門徒は、阿弥陀如来から、「これだけの人たちを、
まちがいなく、お浄土まで導きなさいよ。それが、
手次の寺の者の、責任なのですよ」ということで、
お預かりしている方々です。
如来聖人から、お預かりしている尊い方々なのです
から、「門徒」というのはもったいない、「御」の
字をつけて、「御門徒」と、蓮如上人も仰せなの
です・・・・。
なるほど、そういえば、宗祖親鸞聖人も、
「御同朋 御同行」と、やはり「御」の字をつけて
おられます。阿弥陀如来のご念力によって、ともに
無上の道を進ませて頂いている方々ですから、「御
同朋 御同行」と言わずにはおられなかったのでし
ょう。
私たちも、「御同朋」「御同行」「御門徒」と
呼ばせていただきたいと思います。
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「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、吉川昭恵氏の
「おすくい」と題してのお話でした。
「教行信証」の総序の「救済」という語句について、話を
されたのですが、「え?どこに・・・」という方もありま
しょう。
「権化の仁ひとしく、苦悩の群萌を救済し、
世雄の悲、まさしく逆謗セン提を恵まんと欲してなり」
ここに、「救済」という言葉があります。ここのことでしょう。
また、最後のほうで、
「異学・異見のものより、やぶられぬよう、護り、そのもの
を支え、この賜ったいのちを全うさせ、現生正定聚の身とし
て、一筋の道を歩ましめ、やがていのち終わる時、無上の仏果
をひらくため、この世から浄土へ渡る。これを済度というの
です。現在も救われていく、やがても救われていく、これが
現当二世の救い、浄土真宗なのです」
と言われていました。こんな話、初めて聞いた、という方も
おありでしょうが・・・。
現生正定聚、この世で、正定聚不退転の身に救われるという
ことは、まさに浄土真宗の一枚看板であって、これをまた、
不体失往生とも、平生業成ともいわれます。
では、この世で正定聚に救われるには、どうすればよいか。
今回のお話では、
「阿弥陀さまの仰せのままにおまかせし、心開かれた」
ことだと、言われていますが、これでは、今一つ、ハッキリ
しないという方もおられましょう。
何が、どうなったことを言われるのか。
実は、親鸞聖人は、教行信証にハッキリと仰せです。
「聞というは、衆生、仏願の生起本末をききて、疑心あること
無し、これを聞というなり」(信巻)
阿弥陀如来が本願を建てられた、そのいわれを聞かせていた
だき、それに疑心あることなし、ツユチリほども疑心のなく
なったことを、「聞」というのだ、と仰せです。
「仏法は聴聞に極まる」といわれるが、どこまで聞けばよいの
だろうか、という質問をよく受けます。
親鸞聖人は、上記のように、明らかに教えてくださってい
ます。
では、仏願の生起本末とは、何か。これは、まさに仏教の
全体になりますので、よくよく聞法していただきたいと思い
ます。
「おすくい」と題してのお話でした。
「教行信証」の総序の「救済」という語句について、話を
されたのですが、「え?どこに・・・」という方もありま
しょう。
「権化の仁ひとしく、苦悩の群萌を救済し、
世雄の悲、まさしく逆謗セン提を恵まんと欲してなり」
ここに、「救済」という言葉があります。ここのことでしょう。
また、最後のほうで、
「異学・異見のものより、やぶられぬよう、護り、そのもの
を支え、この賜ったいのちを全うさせ、現生正定聚の身とし
て、一筋の道を歩ましめ、やがていのち終わる時、無上の仏果
をひらくため、この世から浄土へ渡る。これを済度というの
です。現在も救われていく、やがても救われていく、これが
現当二世の救い、浄土真宗なのです」
と言われていました。こんな話、初めて聞いた、という方も
おありでしょうが・・・。
現生正定聚、この世で、正定聚不退転の身に救われるという
ことは、まさに浄土真宗の一枚看板であって、これをまた、
不体失往生とも、平生業成ともいわれます。
では、この世で正定聚に救われるには、どうすればよいか。
今回のお話では、
「阿弥陀さまの仰せのままにおまかせし、心開かれた」
ことだと、言われていますが、これでは、今一つ、ハッキリ
しないという方もおられましょう。
何が、どうなったことを言われるのか。
実は、親鸞聖人は、教行信証にハッキリと仰せです。
「聞というは、衆生、仏願の生起本末をききて、疑心あること
無し、これを聞というなり」(信巻)
阿弥陀如来が本願を建てられた、そのいわれを聞かせていた
だき、それに疑心あることなし、ツユチリほども疑心のなく
なったことを、「聞」というのだ、と仰せです。
「仏法は聴聞に極まる」といわれるが、どこまで聞けばよいの
だろうか、という質問をよく受けます。
親鸞聖人は、上記のように、明らかに教えてくださってい
ます。
では、仏願の生起本末とは、何か。これは、まさに仏教の
全体になりますので、よくよく聞法していただきたいと思い
ます。
各紙報道の通り、とうとう、その日が来ました。
産経新聞のサイトからです。
浄土真宗本願寺派・不二川公勝総長が辞表
<2009.7.27 11:06
浄土真宗本願寺派(京都市下京区、本山・西本願寺)の不二川公勝
総長(72)=広島県三次市、明覚寺住職=が27日、大谷光真門主
(63)に辞表を提出した。同派によると、平成23年に迎える宗祖
・親鸞の750回大遠忌を控え、「人心を一新する」ことが理由という。
今後、宗会が招集され、新総長が選出される見込み。
不二川総長は3年11月に総長に就任し、現在3期目。>
2年後に大行事を控え、別に体調が思わしくないとか、急な退任理由も
ないまま、トップが辞める、ということで、上記のように、公式発表が
そのまま流れていますが、誰も、「人心一新」なんかじゃなかろう、と
いうニュアンスで、記事を書いているようです。
中外日報を読んでおられる方ならばお分かりの通り、最近の宗議会で、
総長のからむ各種の問題というか、疑惑が、取り沙汰されてきました。
このままじゃ、総長はもたないだろうな、という大方の見方でしたが、
とうとう辞任、ということになってしまいました。
もしかして、この問題が関係していますか?
ポータルサイト問題(当ブログ3月分より)
あるいは、こちらの問題が噴き出したのでしょうか?
あんのん保険問題(一昨年の当ブログの記事より)
いずれにせよ、お金がらみの、話がきっかけだったと、ご門徒の間
では、ウワサされています。
産経新聞のサイトからです。
浄土真宗本願寺派・不二川公勝総長が辞表
<2009.7.27 11:06
浄土真宗本願寺派(京都市下京区、本山・西本願寺)の不二川公勝
総長(72)=広島県三次市、明覚寺住職=が27日、大谷光真門主
(63)に辞表を提出した。同派によると、平成23年に迎える宗祖
・親鸞の750回大遠忌を控え、「人心を一新する」ことが理由という。
今後、宗会が招集され、新総長が選出される見込み。
不二川総長は3年11月に総長に就任し、現在3期目。>
2年後に大行事を控え、別に体調が思わしくないとか、急な退任理由も
ないまま、トップが辞める、ということで、上記のように、公式発表が
そのまま流れていますが、誰も、「人心一新」なんかじゃなかろう、と
いうニュアンスで、記事を書いているようです。
中外日報を読んでおられる方ならばお分かりの通り、最近の宗議会で、
総長のからむ各種の問題というか、疑惑が、取り沙汰されてきました。
このままじゃ、総長はもたないだろうな、という大方の見方でしたが、
とうとう辞任、ということになってしまいました。
もしかして、この問題が関係していますか?
ポータルサイト問題(当ブログ3月分より)
あるいは、こちらの問題が噴き出したのでしょうか?
あんのん保険問題(一昨年の当ブログの記事より)
いずれにせよ、お金がらみの、話がきっかけだったと、ご門徒の間
では、ウワサされています。