世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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これは、再来週の行事ですが、気になったので、アップします。
──────────────────────────────────
武蔵野大学
【日曜講演会】
* ▽5月17日=(午前10時)
「人間は生まれつき善か悪か―孟子の性善説と荀子の性悪説」
大東文化大准教授・吉田篤志氏
──────────────────────────────────
詳細は、こちらのサイトへ→西本願寺「各地の行事」
人間が生まれつき善か、悪か、真宗において、こんなことを論ずる
意味は、いったい何でしょうか?
「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、
穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」
(教行信証)
阿弥陀如来の無碍光に照らし抜かれれば、罪悪生死の凡夫であり、
出離の縁あることなき身と信知させられます。
性善説だの、性悪説だのの議論は吹き飛んで、
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
と親鸞聖人は仰せです。
呼んでくるのが、大東文化大の先生だから、こういう演題になるの
でしょうが、浄土真宗の行事、講演会において、こんなテーマで論ず
るのは、果たして意味があるのでしょうか。
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武蔵野大学
【日曜講演会】
* ▽5月17日=(午前10時)
「人間は生まれつき善か悪か―孟子の性善説と荀子の性悪説」
大東文化大准教授・吉田篤志氏
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詳細は、こちらのサイトへ→西本願寺「各地の行事」
人間が生まれつき善か、悪か、真宗において、こんなことを論ずる
意味は、いったい何でしょうか?
「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、
穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」
(教行信証)
阿弥陀如来の無碍光に照らし抜かれれば、罪悪生死の凡夫であり、
出離の縁あることなき身と信知させられます。
性善説だの、性悪説だのの議論は吹き飛んで、
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
と親鸞聖人は仰せです。
呼んでくるのが、大東文化大の先生だから、こういう演題になるの
でしょうが、浄土真宗の行事、講演会において、こんなテーマで論ず
るのは、果たして意味があるのでしょうか。
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人が亡くなられたとき、「他界された」と言います。
「他の世界へ行った」という意味でしょう。
もうこの世にはおられないのですから、別の世界へ、
即ち他界へ行かれた、ということになります。
では、他界とは、どこなのでしょうか。
皆、あまりそこまで、深く考えないまま、この言葉を
使っているように思います。
故人の「冥福を祈る」とも申します。
「冥土の幸福」即ち、死んだ後の世界での、幸福を祈る、
という意味です。
死ねば皆、お浄土で、幸せになっておられれば、冥土
での幸福を祈る必要はないのですが、祈らずにおれない
ということは、私たち、心のどこかで、亡くなった人は
苦しんでおられるのでなかろうかと、感じているからで
ないでしょうか。
「慰霊祭」とか「慰霊碑の建立」など、「慰霊」という
言葉が使われます。故人の霊がどこかにいて、しかもそれ
を慰めるということは、やはり故人の霊が、苦しんでおら
れるのを想定して、ではないでしょうか。
こう考えて生きますと、「他界」は、何か苦しい世界だと
私たちの心は感じているのではないでしょうか。
この後生への不安な心を、後生暗い心(無明の闇)といわれ、
これを聞即信の一念で破ってみせると誓われたのが、阿弥陀仏
の御本願であります。
「他界」「冥福」「慰霊」など、日常聞かれる言葉を縁に、
親鸞聖人の教えをお伝えするきっかけになりはしないでしょうか、
というご提案でした。
「他の世界へ行った」という意味でしょう。
もうこの世にはおられないのですから、別の世界へ、
即ち他界へ行かれた、ということになります。
では、他界とは、どこなのでしょうか。
皆、あまりそこまで、深く考えないまま、この言葉を
使っているように思います。
故人の「冥福を祈る」とも申します。
「冥土の幸福」即ち、死んだ後の世界での、幸福を祈る、
という意味です。
死ねば皆、お浄土で、幸せになっておられれば、冥土
での幸福を祈る必要はないのですが、祈らずにおれない
ということは、私たち、心のどこかで、亡くなった人は
苦しんでおられるのでなかろうかと、感じているからで
ないでしょうか。
「慰霊祭」とか「慰霊碑の建立」など、「慰霊」という
言葉が使われます。故人の霊がどこかにいて、しかもそれ
を慰めるということは、やはり故人の霊が、苦しんでおら
れるのを想定して、ではないでしょうか。
こう考えて生きますと、「他界」は、何か苦しい世界だと
私たちの心は感じているのではないでしょうか。
この後生への不安な心を、後生暗い心(無明の闇)といわれ、
これを聞即信の一念で破ってみせると誓われたのが、阿弥陀仏
の御本願であります。
「他界」「冥福」「慰霊」など、日常聞かれる言葉を縁に、
親鸞聖人の教えをお伝えするきっかけになりはしないでしょうか、
というご提案でした。
4月23日付け「中外日報」に、次の記事が掲載されていました。
──────────────────────────────────────
『めぐみ』よ伸びよ
宗門最大の教化団体の仏教婦人会総連盟の機関誌『めぐみ』の
講読者数が、平成19年12月発行の第200号をピークにここ
一年間余り徐々に減少傾向をたどっている。(中略)
今年3月発行の第205号の有償購読者数は25524部に
とどまっている。(中略)
ただ、少し気になるのは、仏教婦人会総連盟に加盟している
単位数が『めぐみ』の購読部数と同様に平成13年以降、じわり
じわりと減少していること。
平成20年度の加盟単位数は6367単位で組織率は62.1
パーセント。『めぐみ』の購読部数拡張を図るためには、この数字
の底上げと、若い会員の増加が不可欠だ。
──────────────────────────────────────
その他の機関紙、機関誌においても、部数減少は、同様です。
中外は「このような機関誌の部数増加には特効薬はない。内容の
充実と一人一冊といった地道な取り組みを飽くことなく続ける以外
に方策はないと思われる」と、書いています。
そう、まずもって問題は、「内容」なのです。
ここは一つ、爆発的に、親鸞聖人の教えを、全国に拡大された、
蓮如上人に学ばせていただきましょう。
御文章を拝読しますと、
「聖人一流のご勧化のおもむきは」
「祖師聖人ご相伝一流の肝要は」
「そもそも親鸞聖人のご一流においては」
と、蓮如上人は、常に、親鸞聖人の教え一つを、明らかにしていかれ
ました。ご自分の考えとか、体験などは、一切書かれず、ひたすら
親鸞聖人の教えはこうだ、と説き示していかれたのです。
私の経験でも、話を聞きに来られる皆さんは、私の考えや、体験を
聞きに来ておられるのではなく、「親鸞聖人の教えが聞きたい」と
思って、忙しい中を、集まって来られた方ばかりです。
常に、ご和讃や、正信偈の一節など、親鸞聖人のお言葉を示して、
それは、どういう意味なのかを、ていねいに、ねんごろに、今日が
初めてという人にもわかるように、話をしていく。文章ならば書いて
いく。これ以外にないでしょう。
地道に、しかし堅実に、蓮如上人は、日本全国津々浦々に、親鸞聖人
の教えを、広めていかれました。
『めぐみ』も、その他の文章伝道も、そして、すべての布教活動も、
常に「親鸞聖人の教えを、明らかにする」に、一点集中、全力をあげ
たいと思います。
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『めぐみ』よ伸びよ
宗門最大の教化団体の仏教婦人会総連盟の機関誌『めぐみ』の
講読者数が、平成19年12月発行の第200号をピークにここ
一年間余り徐々に減少傾向をたどっている。(中略)
今年3月発行の第205号の有償購読者数は25524部に
とどまっている。(中略)
ただ、少し気になるのは、仏教婦人会総連盟に加盟している
単位数が『めぐみ』の購読部数と同様に平成13年以降、じわり
じわりと減少していること。
平成20年度の加盟単位数は6367単位で組織率は62.1
パーセント。『めぐみ』の購読部数拡張を図るためには、この数字
の底上げと、若い会員の増加が不可欠だ。
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その他の機関紙、機関誌においても、部数減少は、同様です。
中外は「このような機関誌の部数増加には特効薬はない。内容の
充実と一人一冊といった地道な取り組みを飽くことなく続ける以外
に方策はないと思われる」と、書いています。
そう、まずもって問題は、「内容」なのです。
ここは一つ、爆発的に、親鸞聖人の教えを、全国に拡大された、
蓮如上人に学ばせていただきましょう。
御文章を拝読しますと、
「聖人一流のご勧化のおもむきは」
「祖師聖人ご相伝一流の肝要は」
「そもそも親鸞聖人のご一流においては」
と、蓮如上人は、常に、親鸞聖人の教え一つを、明らかにしていかれ
ました。ご自分の考えとか、体験などは、一切書かれず、ひたすら
親鸞聖人の教えはこうだ、と説き示していかれたのです。
私の経験でも、話を聞きに来られる皆さんは、私の考えや、体験を
聞きに来ておられるのではなく、「親鸞聖人の教えが聞きたい」と
思って、忙しい中を、集まって来られた方ばかりです。
常に、ご和讃や、正信偈の一節など、親鸞聖人のお言葉を示して、
それは、どういう意味なのかを、ていねいに、ねんごろに、今日が
初めてという人にもわかるように、話をしていく。文章ならば書いて
いく。これ以外にないでしょう。
地道に、しかし堅実に、蓮如上人は、日本全国津々浦々に、親鸞聖人
の教えを、広めていかれました。
『めぐみ』も、その他の文章伝道も、そして、すべての布教活動も、
常に「親鸞聖人の教えを、明らかにする」に、一点集中、全力をあげ
たいと思います。