世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
三業惑乱、ちょっと閑話休題、といっても、大いに関係のある
話題ですので書きます。最近読んだ、以下の文章に、なるほど
いずこも現状はこうなのか、と思わずにおれませんでした。
非常に真摯にみ教えを求めておられた方のようで、そんな方に
こそ、宗祖の真の御心を、お伝えせねばならないのに、
このままではいかん!と、奮い立った次第です。
≪写真は、島根県のある無住の寺です≫
< 島根県に生まれ、仏法熱心な家庭で『正信偈』を聞き
ながら育ちました。
高校時代、仏教への関心から罪悪を知らされ、後生の
不安を感じるようになりました。
死んだらどうなるのか。その答えが知りたくて、京都
の龍谷大学の短大へ行くことに、決めたのです。将来は、
坊守(寺の住職の妻)になって、自らご法話を真剣に聞
き、参詣された方のお世話をしたい。そんな夢を抱いて
いました。
ところが大学の講義に、まず失望しました。『正信偈』
は、通り一ぺんの解釈だけで、帰命とは何か、分からな
い。魂に響くものがなく、生死の問題はハッキリしない
まま、すべて素通りしていきました。
クラブ活動は、浄土真宗の教えを多くの人に伝えよう
としている人が集まる伝道部に、迷わず入りました。
しかし、ふたを開けてみると、寺の跡取りで、嫌々来
ている学生がほとんどだったのです。「なんで寺に生ま
れたのか」「これからどうやって生活していこう」と、
いつも寺の愚痴をこぼしていました。真宗の実態を知っ
て落胆し、間もなく退部しました。
説教所である総会所や、大阪、奈良、滋賀などの別院
に通っても、念仏さえ称えておれば極楽へ往けるという
説教ばかりで、現在の明らかな救いは聞けません。
「死んだら極楽」と、ひたすら信じて、有り難そうに
念仏を称えている人もいましたが、何かしっくりこなく
て、なじめませんでした。
こんなハッキリしないものが、親鸞聖人の教えなのか。
それとも、浄土真宗はもう廃れてしまったのだろうかと
思い始めたのです。(つづく)>
全文は、こちらをどうぞ。
「龍谷大学でも聞けなかった一念」
話題ですので書きます。最近読んだ、以下の文章に、なるほど
いずこも現状はこうなのか、と思わずにおれませんでした。
非常に真摯にみ教えを求めておられた方のようで、そんな方に
こそ、宗祖の真の御心を、お伝えせねばならないのに、
このままではいかん!と、奮い立った次第です。
≪写真は、島根県のある無住の寺です≫
< 島根県に生まれ、仏法熱心な家庭で『正信偈』を聞き
ながら育ちました。
高校時代、仏教への関心から罪悪を知らされ、後生の
不安を感じるようになりました。
死んだらどうなるのか。その答えが知りたくて、京都
の龍谷大学の短大へ行くことに、決めたのです。将来は、
坊守(寺の住職の妻)になって、自らご法話を真剣に聞
き、参詣された方のお世話をしたい。そんな夢を抱いて
いました。
ところが大学の講義に、まず失望しました。『正信偈』
は、通り一ぺんの解釈だけで、帰命とは何か、分からな
い。魂に響くものがなく、生死の問題はハッキリしない
まま、すべて素通りしていきました。
クラブ活動は、浄土真宗の教えを多くの人に伝えよう
としている人が集まる伝道部に、迷わず入りました。
しかし、ふたを開けてみると、寺の跡取りで、嫌々来
ている学生がほとんどだったのです。「なんで寺に生ま
れたのか」「これからどうやって生活していこう」と、
いつも寺の愚痴をこぼしていました。真宗の実態を知っ
て落胆し、間もなく退部しました。
説教所である総会所や、大阪、奈良、滋賀などの別院
に通っても、念仏さえ称えておれば極楽へ往けるという
説教ばかりで、現在の明らかな救いは聞けません。
「死んだら極楽」と、ひたすら信じて、有り難そうに
念仏を称えている人もいましたが、何かしっくりこなく
て、なじめませんでした。
こんなハッキリしないものが、親鸞聖人の教えなのか。
それとも、浄土真宗はもう廃れてしまったのだろうかと
思い始めたのです。(つづく)>
全文は、こちらをどうぞ。
「龍谷大学でも聞けなかった一念」
PR
三業惑乱
さて、一連の騒動を静めるために、本山が、法主の名において
発布した「御裁断書」を見てみよう。
(表記は『本願寺史』に準ずる)
「・・・しかるに近頃は当流に沙汰せざる三業の規則を穿鑿し、
又はこの三業につきて、自然の名をたて、年月日時の覚不覚を
論じ、或は帰命の一念に妄心をはこび、または三業をいめるま
またのむことばをきらひ、この余にもまどへるものこれあるよ
し、まことにもてなげかしき次第なり・・・」
三業帰命の異安心を正し、今後このようなことがあってはなら
ないと、戒められている。
ここに、「三業につきて、年月日時の覚不覚を論じ」ることが
「まことにもてなげかしき」といわれているために、これ以降、
帰命の一念、たのむ一念について、その「覚不覚」を論じること
を避けるようになった。
それからは、一念にふれることを極度に怖れ、一念を説く者を
ただちに異安心呼ばわりするようになり、たのむ一念を毛嫌いす
るようになって、今日に至っている。
そこで、歴史は繰り返す、で、またもや宗門こぞって、無帰命
安心、十劫安心に、なってしまったのである。
その十劫安心については、次回、述べたい。
さて、一連の騒動を静めるために、本山が、法主の名において
発布した「御裁断書」を見てみよう。
(表記は『本願寺史』に準ずる)
「・・・しかるに近頃は当流に沙汰せざる三業の規則を穿鑿し、
又はこの三業につきて、自然の名をたて、年月日時の覚不覚を
論じ、或は帰命の一念に妄心をはこび、または三業をいめるま
またのむことばをきらひ、この余にもまどへるものこれあるよ
し、まことにもてなげかしき次第なり・・・」
三業帰命の異安心を正し、今後このようなことがあってはなら
ないと、戒められている。
ここに、「三業につきて、年月日時の覚不覚を論じ」ることが
「まことにもてなげかしき」といわれているために、これ以降、
帰命の一念、たのむ一念について、その「覚不覚」を論じること
を避けるようになった。
それからは、一念にふれることを極度に怖れ、一念を説く者を
ただちに異安心呼ばわりするようになり、たのむ一念を毛嫌いす
るようになって、今日に至っている。
そこで、歴史は繰り返す、で、またもや宗門こぞって、無帰命
安心、十劫安心に、なってしまったのである。
その十劫安心については、次回、述べたい。
三業惑乱
三業惑乱の当時の学林にひろがっていた、そして、智洞が
蓮如上人300回忌で講演して、一気に全国にひろまったの
が、三業安心、三業帰命といわれる異安心です。
その萌芽は、六代能化の功存にも、それ以前にも見られま
したが、無帰命安心を正す過程で、一気に全国にひろがって
いきました。
彼らの主張は、心と口と体で、つまり三業で、阿弥陀仏に
お願いしなければ、信心獲得はできない、というものでした。
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄
に堕在すべきものなり」 (蓮如上人『御文章』)
と仰せの通り、信心獲得を強調することは、決して誤りでは
ありません。いや、むしろ、これを言わねば、親鸞聖人の教
えを明らかにはできないのですが、「信心獲得せよ」と強調
すればするほど、「では、どうすれば」と焦る心につけこん
で、「こうすれば助かる」と三業で獲信を語ろうとする輩が
はびこる、ということであります。
ですから、現代にも通じる、極めて重大な問題をふくんで
いるのです。
三業惑乱の当時の学林にひろがっていた、そして、智洞が
蓮如上人300回忌で講演して、一気に全国にひろまったの
が、三業安心、三業帰命といわれる異安心です。
その萌芽は、六代能化の功存にも、それ以前にも見られま
したが、無帰命安心を正す過程で、一気に全国にひろがって
いきました。
彼らの主張は、心と口と体で、つまり三業で、阿弥陀仏に
お願いしなければ、信心獲得はできない、というものでした。
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄
に堕在すべきものなり」 (蓮如上人『御文章』)
と仰せの通り、信心獲得を強調することは、決して誤りでは
ありません。いや、むしろ、これを言わねば、親鸞聖人の教
えを明らかにはできないのですが、「信心獲得せよ」と強調
すればするほど、「では、どうすれば」と焦る心につけこん
で、「こうすれば助かる」と三業で獲信を語ろうとする輩が
はびこる、ということであります。
ですから、現代にも通じる、極めて重大な問題をふくんで
いるのです。