世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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時間があって、京都市左京区の、岡崎御坊界隈を
散策しました。
丸太町通りを東へ、東大路通りを越えて、しばら
く進んだ左側(北側)にあります。石碑があるので
分かりやすいでしょう。
今は、大谷派の所有になっていますが、聖人が、
破天荒の肉食妻帯を断行なされたあと、しばらくは
この岡崎の草庵から、玉日姫とともに、吉水の草庵
まで、法然上人のご説法を聞きに通われたといわれ
ています。
かつての東映映画『親鸞』や、アニメ『世界の光
親鸞聖人』でも描かれていたように、聖人と玉日姫
が乗られた牛車が京の町を行くと、町の人々が取り
囲み、まともに進めないほどだったといわれます。
そんな喧騒をしのぶものは、何も残ってはいませ
んが、聖人のみ教えは、今日もなお、十方衆生救済
の光輝を放っています。
聖人ゆかりの地を、時々こうやって歩いています。
散策しました。
丸太町通りを東へ、東大路通りを越えて、しばら
く進んだ左側(北側)にあります。石碑があるので
分かりやすいでしょう。
今は、大谷派の所有になっていますが、聖人が、
破天荒の肉食妻帯を断行なされたあと、しばらくは
この岡崎の草庵から、玉日姫とともに、吉水の草庵
まで、法然上人のご説法を聞きに通われたといわれ
ています。
かつての東映映画『親鸞』や、アニメ『世界の光
親鸞聖人』でも描かれていたように、聖人と玉日姫
が乗られた牛車が京の町を行くと、町の人々が取り
囲み、まともに進めないほどだったといわれます。
そんな喧騒をしのぶものは、何も残ってはいませ
んが、聖人のみ教えは、今日もなお、十方衆生救済
の光輝を放っています。
聖人ゆかりの地を、時々こうやって歩いています。
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3月5日付け中外日報で、某宗派の管長が語るというコラムに
こんなことが書かれていました。
「映画『おくりびと』が評判になっているが、そこに宗教が
出てこない。今日は、葬儀にも、僧侶が不在になりつつあ
る。これは、僧侶にとって、大きな問題だ」
葬儀を一大事と心得ている僧侶にとっては、確かに大問題に
なるでしょう。
しかし、覚如上人は仰せです。
「某(親鸞)閉眼せば、賀茂川に入れて、魚に与うべしと云々。
これ即ち、この肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべき由
をあらわしましますゆえなり。これをもって思うにいよいよ
葬喪を一大事とすべきにあらず、最も停止すべし」(改邪抄)
私たち浄土真宗の者は、すべからく、この聖人の仰せにしたがって
進ませて頂きたいものです。
こんなことが書かれていました。
「映画『おくりびと』が評判になっているが、そこに宗教が
出てこない。今日は、葬儀にも、僧侶が不在になりつつあ
る。これは、僧侶にとって、大きな問題だ」
葬儀を一大事と心得ている僧侶にとっては、確かに大問題に
なるでしょう。
しかし、覚如上人は仰せです。
「某(親鸞)閉眼せば、賀茂川に入れて、魚に与うべしと云々。
これ即ち、この肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべき由
をあらわしましますゆえなり。これをもって思うにいよいよ
葬喪を一大事とすべきにあらず、最も停止すべし」(改邪抄)
私たち浄土真宗の者は、すべからく、この聖人の仰せにしたがって
進ませて頂きたいものです。
3月4日付けの読売新聞、1面の編集手帳に、
親鸞聖人のお歌が紹介されています。
「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは」
4歳で父君と、8歳で母君と別れ、「次に死ぬのは私の
番だ。死ねばどうなるのか」と、激しい無常を感じ、仏門
に入られた時のお歌と言われています。
記事での解説は、ちょっと違った方向に行ってますが、
まあ、これを見た人の何かのご縁になると思います。
親鸞聖人のお歌が紹介されています。
「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは」
4歳で父君と、8歳で母君と別れ、「次に死ぬのは私の
番だ。死ねばどうなるのか」と、激しい無常を感じ、仏門
に入られた時のお歌と言われています。
記事での解説は、ちょっと違った方向に行ってますが、
まあ、これを見た人の何かのご縁になると思います。