世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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今日の午後、東北地方で発生した大地震は、
大津波も引き起こし、未曾有の災害をもたらしています。
東北方面には、私も多くの友人があり、
しかも今もって、安否が確認できずにおります。
特に、宮城・岩手で布教している親友が、心配です。
皆様のご無事を、心より念じあげます。
大津波も引き起こし、未曾有の災害をもたらしています。
東北方面には、私も多くの友人があり、
しかも今もって、安否が確認できずにおります。
特に、宮城・岩手で布教している親友が、心配です。
皆様のご無事を、心より念じあげます。
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昨日、念仏為先さんより「自信教人信の通り」とのコメントがありました。
「何だ?」と思われた方もあったでしょう。
「自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩」
というのは、善導大師(中国・唐の時代、約1300年前)の
有名なお言葉です。
「自ら信じ、人に教えて信ぜしめることは、
難きが中にうたた更に難し、
大悲を伝えて普く化す、
真に仏恩報ずるになる」
と読みます。
この意味は、
「自分が信心決定(阿弥陀仏の絶対の救済にあずかること)
することが難しい。
他人を同じく信心決定まで教え導くことは尚更難しい
ことである。
しかしその困難なことをやりとげてこそ、真の仏恩に
報い奉る道である」
ということです。
その最も素晴らしい、そして大切な布教、法施を忘れて
しまっては、真宗に未来がないのは、当然のことです。
「何だ?」と思われた方もあったでしょう。
「自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩」
というのは、善導大師(中国・唐の時代、約1300年前)の
有名なお言葉です。
「自ら信じ、人に教えて信ぜしめることは、
難きが中にうたた更に難し、
大悲を伝えて普く化す、
真に仏恩報ずるになる」
と読みます。
この意味は、
「自分が信心決定(阿弥陀仏の絶対の救済にあずかること)
することが難しい。
他人を同じく信心決定まで教え導くことは尚更難しい
ことである。
しかしその困難なことをやりとげてこそ、真の仏恩に
報い奉る道である」
ということです。
その最も素晴らしい、そして大切な布教、法施を忘れて
しまっては、真宗に未来がないのは、当然のことです。
★ちょっと情報、から。
3月1日のクロ現「岐路に立つ寺」の中で、納骨堂で失敗し、
破産した寺が紹介されていました。法友に聞きましたところ、
「あれは、芦原の寺だよ」と、教えてくれました。福井県の
北のほうです。番組では「西日本」とボカしてありましたが
地元では、よく知られている話だそうです。
★蓮如上人500回忌にお参りされたという方が言われました。
「説法は、10分か、15分だけ。
あとは、坊さんの衣装、見に行ったようなもんや」
延々と続く法要に対し、「もう次回からはやめとこう」と
言っていた人もあったとか。
じゃあ、今回の750回忌では、どうだろうか。
予定表によると、午前に一座60分、午後にも60分
しかもその大半は、和讃等の勤行であって、
「記念のお言葉」が、ちょっとあるだけ。
いつものように、ペーパーを読み上げるだけのもの。
あれは、説法といえるようなものではありません。
「仏法は聴聞に極まる」
といわれるように、説法、法話がなくて、
何が宗祖750回大遠忌でしょうか。
・・・しかし、これが本願寺派最後の店終いバーゲンのようなもの。
最後の最後まで、いかにも、というスタイルと、言えなくもありません。
今まで、長いこと、お疲れ様でした。どうぞゆっくりお休みくだされ、
ということで、最後、見送らせていただきましょうか。
3月1日のクロ現「岐路に立つ寺」の中で、納骨堂で失敗し、
破産した寺が紹介されていました。法友に聞きましたところ、
「あれは、芦原の寺だよ」と、教えてくれました。福井県の
北のほうです。番組では「西日本」とボカしてありましたが
地元では、よく知られている話だそうです。
★蓮如上人500回忌にお参りされたという方が言われました。
「説法は、10分か、15分だけ。
あとは、坊さんの衣装、見に行ったようなもんや」
延々と続く法要に対し、「もう次回からはやめとこう」と
言っていた人もあったとか。
じゃあ、今回の750回忌では、どうだろうか。
予定表によると、午前に一座60分、午後にも60分
しかもその大半は、和讃等の勤行であって、
「記念のお言葉」が、ちょっとあるだけ。
いつものように、ペーパーを読み上げるだけのもの。
あれは、説法といえるようなものではありません。
「仏法は聴聞に極まる」
といわれるように、説法、法話がなくて、
何が宗祖750回大遠忌でしょうか。
・・・しかし、これが本願寺派最後の店終いバーゲンのようなもの。
最後の最後まで、いかにも、というスタイルと、言えなくもありません。
今まで、長いこと、お疲れ様でした。どうぞゆっくりお休みくだされ、
ということで、最後、見送らせていただきましょうか。