世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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「他力というは、如来の本願力これなり」(教行信証)
と、祖師は仰せです。
他力とは、阿弥陀如来の本願力のみをいい、他人の力とか、
天地自然の力を指すのではありません。
ところが、この前も耳にしましたが、カーリングの中継で、
「日本は、あとは、○○(対戦国の名)の攻撃を見守るだけ
であります。他力本願、というところでしょうか」
などと言っていました。
他人の力に頼ること、他人の助けを借りることを、「他力」
と言っていますが、これは、大変な間違いです。
放送局に抗議しても、なかなか受けつけてもらえないでし
ょうが、せめて近くで、一緒に聞いていた人に、「本当は、
他力とは、こういう意味なんですよ」と、法施をするご縁に
したいものです。
と、祖師は仰せです。
他力とは、阿弥陀如来の本願力のみをいい、他人の力とか、
天地自然の力を指すのではありません。
ところが、この前も耳にしましたが、カーリングの中継で、
「日本は、あとは、○○(対戦国の名)の攻撃を見守るだけ
であります。他力本願、というところでしょうか」
などと言っていました。
他人の力に頼ること、他人の助けを借りることを、「他力」
と言っていますが、これは、大変な間違いです。
放送局に抗議しても、なかなか受けつけてもらえないでし
ょうが、せめて近くで、一緒に聞いていた人に、「本当は、
他力とは、こういう意味なんですよ」と、法施をするご縁に
したいものです。
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大阪・津村別院での、日曜講演で、
* ▽2月21日=「明法房弁円を通して」喜多唯信氏(大阪)
という案内がありました。
もとは、播磨公弁円、修験道で、関東に一大勢力を築いていま
したが、親鸞聖人が関東布教に赴かれて後、聖人を不倶戴天の
敵と狙うようになり、ついには殺害せんと押しかけたが、一転、
慈悲温厚の聖人のご尊姿にうたれ、お弟子と生まれ変わったの
でありました。
詳しい経緯は、この作品に出ていました。
「山も山 道も昔に 変わらねど 変わり果てたる 我が心かな」
その明法房が詠んだ歌だといわれています。
* ▽2月21日=「明法房弁円を通して」喜多唯信氏(大阪)
という案内がありました。
もとは、播磨公弁円、修験道で、関東に一大勢力を築いていま
したが、親鸞聖人が関東布教に赴かれて後、聖人を不倶戴天の
敵と狙うようになり、ついには殺害せんと押しかけたが、一転、
慈悲温厚の聖人のご尊姿にうたれ、お弟子と生まれ変わったの
でありました。
詳しい経緯は、この作品に出ていました。
「山も山 道も昔に 変わらねど 変わり果てたる 我が心かな」
その明法房が詠んだ歌だといわれています。
「みほとけとともに 西本願寺の時間」に、若き本願寺の
エース、吉村隆真氏の登場とあって、注目じゃなくて、耳
をそばだてていました。
現代の、身近な話題から、真宗教義の核心へとせまる、
そんな流れですが、例によって、検閲か、指導かが入って、
おかしな内容がありました。
ここです。
「親鸞聖人は、信心を、様々な言葉を用いて、巧みに言い換
えられていますが、その一つに金剛心と表現されています。
どっちに転んでも大丈夫な心と、私は受け止めています」
まず、ここ。
「真実信心すなわちこれ金剛心なり」(教行信証信巻)
真実の信心を「金剛心」と聖人は仰せです。
そしてそれは、善導大師は「四重の破人に攻撃されても
微動だにしない心」と教えられ、『後世物語聞書』には、
「いかなるひときたりていいさまたぐとも、
すこしもかわらざるこころを金剛心という」
と言われています。「どっちに転んでも大丈夫」などとは、
どこにもない、まさに「珍しき法」です。
次です。
「浄土真宗の信心は、何ものにも打ち砕かれない揺るぎない
心を賜ることです」
そこは、よいとしても、
「しかし、その心は、やすやすと形成されるものではあり
ません。人生に起こりくる幾多の苦難や試練によって、
結晶して宿り磨かれ、美しい輝きを放つようになるので
しょう」
そんな、時間をかけて、徐々に形成され、輝きを放つ
ようになるのが、「他力金剛の信心」なのか。
親鸞聖人は、『正信偈』に、
「本願の大智海に開入すれば、
行者、正しく金剛心を受け、
慶喜一念相応の後、
韋提とひとしく三忍を獲」
弥陀の本願に救われた一念で、金剛心を獲ると仰せです。
時間かけて徐々に形成され輝きを放つようになるものとは
全く異なります。
覚如上人も、仰せです。
「この娑婆生死の五蘊所成の肉身いまだやぶれずといえども、
生死流転の本源をつなぐ自力の迷情、「共発金剛心」の一念に
やぶれて、知識伝持の仏語に帰属するをこそ、「自力をすてて
他力に帰する」ともなづけ、また「即得往生」とも、ならい
はんべれ。」(改邪抄)
金剛心を獲得するのは、一念であることは明らかです。
吉村氏自身は、決してそう言いたくはなかったのでしょうが、
このラジオ法話では、こういうことが、しばしばあるようです。
ぜひとも、親鸞聖人の正統な教えを、明らかにしてもらいたい
と思わずにおれません。
エース、吉村隆真氏の登場とあって、注目じゃなくて、耳
をそばだてていました。
現代の、身近な話題から、真宗教義の核心へとせまる、
そんな流れですが、例によって、検閲か、指導かが入って、
おかしな内容がありました。
ここです。
「親鸞聖人は、信心を、様々な言葉を用いて、巧みに言い換
えられていますが、その一つに金剛心と表現されています。
どっちに転んでも大丈夫な心と、私は受け止めています」
まず、ここ。
「真実信心すなわちこれ金剛心なり」(教行信証信巻)
真実の信心を「金剛心」と聖人は仰せです。
そしてそれは、善導大師は「四重の破人に攻撃されても
微動だにしない心」と教えられ、『後世物語聞書』には、
「いかなるひときたりていいさまたぐとも、
すこしもかわらざるこころを金剛心という」
と言われています。「どっちに転んでも大丈夫」などとは、
どこにもない、まさに「珍しき法」です。
次です。
「浄土真宗の信心は、何ものにも打ち砕かれない揺るぎない
心を賜ることです」
そこは、よいとしても、
「しかし、その心は、やすやすと形成されるものではあり
ません。人生に起こりくる幾多の苦難や試練によって、
結晶して宿り磨かれ、美しい輝きを放つようになるので
しょう」
そんな、時間をかけて、徐々に形成され、輝きを放つ
ようになるのが、「他力金剛の信心」なのか。
親鸞聖人は、『正信偈』に、
「本願の大智海に開入すれば、
行者、正しく金剛心を受け、
慶喜一念相応の後、
韋提とひとしく三忍を獲」
弥陀の本願に救われた一念で、金剛心を獲ると仰せです。
時間かけて徐々に形成され輝きを放つようになるものとは
全く異なります。
覚如上人も、仰せです。
「この娑婆生死の五蘊所成の肉身いまだやぶれずといえども、
生死流転の本源をつなぐ自力の迷情、「共発金剛心」の一念に
やぶれて、知識伝持の仏語に帰属するをこそ、「自力をすてて
他力に帰する」ともなづけ、また「即得往生」とも、ならい
はんべれ。」(改邪抄)
金剛心を獲得するのは、一念であることは明らかです。
吉村氏自身は、決してそう言いたくはなかったのでしょうが、
このラジオ法話では、こういうことが、しばしばあるようです。
ぜひとも、親鸞聖人の正統な教えを、明らかにしてもらいたい
と思わずにおれません。