世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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あるお参りのとき、御同行から尋ねられました。
「報恩講といわれますね。報恩とは、恩に報いるということですが、
親とか、学校の先生とか、お世話になった方々への、ご恩返しという
ことですか」
これは、と思い、しばらくお話ししました。
「まず“恩”という漢字の意味から話しましょう。“恩”という字を
上の部分と下の部分とに分けてみると『因』と『心』になります。
これは『原“因”を知る“心”』ということで、自分が恵まれて
いる原因をよく考えて、正しく知る心ということなのです。
逆にいうと、今を不足に思ったり、不満に思っていたら、恩の心は
出てくるでしょうか?苦しかったりつらかったりしたら、のろう心
しか出てこないのではないでしょうか。
日本で毎年3万人以上の人が自殺しているでしょう。自ら死を選ぶ
人は“恩”を感じるどころじゃないということですね。
悲しいことですけど、ほとんどの人がそうかもしれません。だから
こそ、生まれてきた意味を知ることが大切なのです。
その、生まれてきた目的、生命の歓喜を教えてくだされたのが親鸞
聖人なのです。だからこそ親鸞聖人は“世界の光”といわれているの
です。
報恩講というのは、その親鸞聖人のご恩に報いる集まりということ
なのです」
「報恩講といわれますね。報恩とは、恩に報いるということですが、
親とか、学校の先生とか、お世話になった方々への、ご恩返しという
ことですか」
これは、と思い、しばらくお話ししました。
「まず“恩”という漢字の意味から話しましょう。“恩”という字を
上の部分と下の部分とに分けてみると『因』と『心』になります。
これは『原“因”を知る“心”』ということで、自分が恵まれて
いる原因をよく考えて、正しく知る心ということなのです。
逆にいうと、今を不足に思ったり、不満に思っていたら、恩の心は
出てくるでしょうか?苦しかったりつらかったりしたら、のろう心
しか出てこないのではないでしょうか。
日本で毎年3万人以上の人が自殺しているでしょう。自ら死を選ぶ
人は“恩”を感じるどころじゃないということですね。
悲しいことですけど、ほとんどの人がそうかもしれません。だから
こそ、生まれてきた意味を知ることが大切なのです。
その、生まれてきた目的、生命の歓喜を教えてくだされたのが親鸞
聖人なのです。だからこそ親鸞聖人は“世界の光”といわれているの
です。
報恩講というのは、その親鸞聖人のご恩に報いる集まりということ
なのです」
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報恩講が近づいてきました。御正忌ともいわれ、浄土真宗
にとっては、春の宗祖降誕会とならんで最も大きなご法縁で
あります。
その「御正忌」と名づけられた御文章は有名です。
八十通の御文では、五帖目十一通です。
────────────────────────────
「そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしを
はこび、報恩謝徳をなさんとおもいて、聖人の御まえに
まいらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひと
もあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もっての
ほかの大事なり。そのゆえは、信心を決定せずは、今度の
報土の往生は不定なり。されば不信のひとも、すみやかに
決定のこころをとるべし。(後略)」
────────────────────────────
御正忌(報恩講)に参詣する人たちの中に、信心獲得した人
(弥陀に救い摂られている人)と、不信心の輩(まだ救われて
いない人)がある。これこそ一大事である。なぜならば、信心
決定しなければ報土(極楽)には往生できないからだ。だから
信心決定していない人は、速やかに決定の心を取りなさい。
────────────────────────────
蓮如上人のご教導にしたがい、報恩講には、宗祖親鸞聖人の
み教えを、真剣に聞かせていただきたいと思います。
にとっては、春の宗祖降誕会とならんで最も大きなご法縁で
あります。
その「御正忌」と名づけられた御文章は有名です。
八十通の御文では、五帖目十一通です。
────────────────────────────
「そもそもこの御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしを
はこび、報恩謝徳をなさんとおもいて、聖人の御まえに
まいらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひと
もあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もっての
ほかの大事なり。そのゆえは、信心を決定せずは、今度の
報土の往生は不定なり。されば不信のひとも、すみやかに
決定のこころをとるべし。(後略)」
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御正忌(報恩講)に参詣する人たちの中に、信心獲得した人
(弥陀に救い摂られている人)と、不信心の輩(まだ救われて
いない人)がある。これこそ一大事である。なぜならば、信心
決定しなければ報土(極楽)には往生できないからだ。だから
信心決定していない人は、速やかに決定の心を取りなさい。
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蓮如上人のご教導にしたがい、報恩講には、宗祖親鸞聖人の
み教えを、真剣に聞かせていただきたいと思います。
親鸞聖人750回大遠忌法要が、京都・東山の大谷本廟で
つとめられました。
以下は、10月14日、毎日新聞の記事です。
<親鸞:750回大遠忌 西本願寺の大谷本廟で /京都
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、下京区)は、西本願寺の
飛び地境内の大谷本廟(東山区)で12日、宗祖親鸞の750回
大遠忌法要を始めた。大遠忌の本番といえる本山で営まれる11
年の法要を前にした行事。
この日は、会場の明著堂前に門徒約4000人が集まった。
仏教賛歌の合唱が響く中、稚児約130人と保護者らが列を
成して花を手向けた。その後、大谷光真門主らが入場。仏の徳
をたたえる「宗祖讃仰作法」が唱和された。
16日まで。連日午後1時から記念布教、2時から法要と門主
の「お言葉」がある。>
地方版の小さな記事であり、一般には余り知られぬまま、
終了しました。参詣者は、毎日新聞によると、約4000人。
全国から、この数というのは、どうなんでしょう。
10月3日、当ブログで、書きました。
「ラジオ法話で、赤松氏が話しておられたように、昭和33年
の700回忌法要では、10万人の参詣者があったと、当時
の「本願寺新報」が報じています。この時は、6日間の厳修
でしたが、今回は5日間、前回と同じようにと考えれば、
約8万人、という見込みでしょうか。」
この日で約4000人、5日間、同じくらいの参詣だったと
して、約2万人、ということになりましょうか。
人数の多寡だけでは分かりませんが、この50年間で、これ
だけの変化があったことは、歴然でありましょう。
つとめられました。
以下は、10月14日、毎日新聞の記事です。
<親鸞:750回大遠忌 西本願寺の大谷本廟で /京都
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、下京区)は、西本願寺の
飛び地境内の大谷本廟(東山区)で12日、宗祖親鸞の750回
大遠忌法要を始めた。大遠忌の本番といえる本山で営まれる11
年の法要を前にした行事。
この日は、会場の明著堂前に門徒約4000人が集まった。
仏教賛歌の合唱が響く中、稚児約130人と保護者らが列を
成して花を手向けた。その後、大谷光真門主らが入場。仏の徳
をたたえる「宗祖讃仰作法」が唱和された。
16日まで。連日午後1時から記念布教、2時から法要と門主
の「お言葉」がある。>
地方版の小さな記事であり、一般には余り知られぬまま、
終了しました。参詣者は、毎日新聞によると、約4000人。
全国から、この数というのは、どうなんでしょう。
10月3日、当ブログで、書きました。
「ラジオ法話で、赤松氏が話しておられたように、昭和33年
の700回忌法要では、10万人の参詣者があったと、当時
の「本願寺新報」が報じています。この時は、6日間の厳修
でしたが、今回は5日間、前回と同じようにと考えれば、
約8万人、という見込みでしょうか。」
この日で約4000人、5日間、同じくらいの参詣だったと
して、約2万人、ということになりましょうか。
人数の多寡だけでは分かりませんが、この50年間で、これ
だけの変化があったことは、歴然でありましょう。