世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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「独生独死 独去独来」
・・・一人生まれ、一人死ぬ
一人来たから、一人で去っていく
お釈迦様は、すべての人は、生まれてから死ぬまで孤独であると
おっしゃっています。家族、友人など、肉体の連れはありますが、
魂の連れ、心の友がいないのだと。
「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、藤田哲史氏が、
『女性専用車両』と題して、話をされました。
例によって、結論部分は、また上層部のチェックが入ったので
しょう、本人は、もっとハッキリ言いたかったことが言えなくて、
十劫異安心の話で終わっていますが、
前半は、なかなか描写もいいし、身近で、分かりやすくて、クスッ
と笑いも誘う、いいお話でしたよ。
遅刻寸前で、飛び込んだ電車が、なんと「女性専用車両」だった
もんで、冷や汗、冷や汗。次の駅までが、長かったこと、長かった
こと。ほんと、えらい目にあいました、という話です。
誰にもわかってもらえない、心が一人ぼっち、ということは、誰
しも感ずることがあります。
「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり
されば若干の業を持ちける身にてありけるを
助けんと思しめしたちける本願のかたじけなさよ」
(歎異抄)
その私を、未来永劫の幸せに救い摂る、と誓われた、阿弥陀如来
の本願に、摂取せられるところまで、一日もすみやかに、聞きぬか
せていただきましょう。
藤田氏のこのエピソード、法座かどこかで紹介させていただくかも
知れません。よろしくお願いします。
・・・一人生まれ、一人死ぬ
一人来たから、一人で去っていく
お釈迦様は、すべての人は、生まれてから死ぬまで孤独であると
おっしゃっています。家族、友人など、肉体の連れはありますが、
魂の連れ、心の友がいないのだと。
「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、藤田哲史氏が、
『女性専用車両』と題して、話をされました。
例によって、結論部分は、また上層部のチェックが入ったので
しょう、本人は、もっとハッキリ言いたかったことが言えなくて、
十劫異安心の話で終わっていますが、
前半は、なかなか描写もいいし、身近で、分かりやすくて、クスッ
と笑いも誘う、いいお話でしたよ。
遅刻寸前で、飛び込んだ電車が、なんと「女性専用車両」だった
もんで、冷や汗、冷や汗。次の駅までが、長かったこと、長かった
こと。ほんと、えらい目にあいました、という話です。
誰にもわかってもらえない、心が一人ぼっち、ということは、誰
しも感ずることがあります。
「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり
されば若干の業を持ちける身にてありけるを
助けんと思しめしたちける本願のかたじけなさよ」
(歎異抄)
その私を、未来永劫の幸せに救い摂る、と誓われた、阿弥陀如来
の本願に、摂取せられるところまで、一日もすみやかに、聞きぬか
せていただきましょう。
藤田氏のこのエピソード、法座かどこかで紹介させていただくかも
知れません。よろしくお願いします。
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本願寺新報に掲載された「みんなの法話」、ネットでも
読めますが、奈良県の西光 義秀氏の「いつでも どこ
でも だれでも」が掲載されていました。
→全文へのリンクはこちら!
そのラストの部分に、こう言われています。
「何よりも、"わが名を称えよ"と阿弥陀さまがよび続けられ、
願い続けられているのです。そのおこころを、とことんまで
聞かせていただくのが聴聞なのです。」
「とことんまで聞かせていただくのが聴聞」とのこと。
とことんまで、とは、どこまでなのか。
そこを、親鸞聖人のお言葉で、聞かせていただきましょう。
「聞というは、衆生、仏願の生起本末をききて疑心あることなし。
これを聞というなり」(教行信証信巻)
ここは、本願成就文の「聞其名号」の聞について、述べられた
ところです。
衆生とは、私たち、すべての者です。
仏願とは、阿弥陀仏の本願のことです。
生起とは、生まれ起こされた、ということで、阿弥陀仏が本願を
建てられた、ということです。
その本末とは、もとから、末まで、です。
なぜ、阿弥陀仏は、本願を建てられねばならなかったか、
そのもとから末まで、聞かせていただいて、それに「疑心ある
ことなし」疑いの心、あることなし、となったことを、「聞」と
いうのだ、と仰せです。
「あることなし」ですから、今、一時、なくなるだけでなく、
ずっとないこと、金輪際なくなったことを、「あることなし」と
言われているのです。
ゆえに、浄土真宗では、「聞」とは「信」のことであり、故に
正信偈では、「聞信如来弘誓願 如来の弘誓願を聞信すれば」と
言われています。
では、その仏願の生起本末とは、どういうことか。
折を見て、また書かせていただきたいと思います。
西本願寺公式サイトより「お茶所で入仏法要」の記事
あのー、この言葉遣いは、正しいのでしょうか?
<「お茶所」で入仏法要がお勤まりになりました。>
そもそも、「入仏」とは、どういうことか?
「お勤まりになる」とは、日本語としてどうなのか?
まあ、きれいになったお茶所で、けっこうなことですが、
文章として、どうなんでしょうねえ。
今日は、ちょっと、細かいネタでした。
あのー、この言葉遣いは、正しいのでしょうか?
<「お茶所」で入仏法要がお勤まりになりました。>
そもそも、「入仏」とは、どういうことか?
「お勤まりになる」とは、日本語としてどうなのか?
まあ、きれいになったお茶所で、けっこうなことですが、
文章として、どうなんでしょうねえ。
今日は、ちょっと、細かいネタでした。