世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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いつの頃からか、話題にものぼらなくなってしまった、
中日新聞そのほかへの、五木寛之氏書下ろしの連載小説
「親鸞」が、8月31日をもって「完」となりました。
35歳で越後・新潟へと流刑にあわれる場面がラスト
だったのですが、ある滋賀県の友人いわく、
「滋賀県が、どのように描かれるか、楽しみにしていたら、
『琵琶湖を通り、険しい山道を、敦賀へ抜けて』の一行で
終わり!おーい、もっと書いてくれよ!って思った」
と語っていました。
確かに、滋賀県から、福井県へ抜ける険しい山道には、
足に血がにじむ中を、わらじがけで越えていかれた木の芽峠
という難所などがあり、しかも、その道筋で、待ちかねて
いた大衆が、村の辻で、宿の軒先で、親鸞聖人のもとに
集まっては、阿弥陀如来の本願を聞かせていただいたという
ところも、たくさんあるのです。
そういうことには一切ふれず、ささっと越えていかれた
というくだりには、その滋賀の友人、かなりがっかり来た
ようでした。
さて、皆さんは、あの小説、どのように読まれたでしょう。
中日新聞そのほかへの、五木寛之氏書下ろしの連載小説
「親鸞」が、8月31日をもって「完」となりました。
35歳で越後・新潟へと流刑にあわれる場面がラスト
だったのですが、ある滋賀県の友人いわく、
「滋賀県が、どのように描かれるか、楽しみにしていたら、
『琵琶湖を通り、険しい山道を、敦賀へ抜けて』の一行で
終わり!おーい、もっと書いてくれよ!って思った」
と語っていました。
確かに、滋賀県から、福井県へ抜ける険しい山道には、
足に血がにじむ中を、わらじがけで越えていかれた木の芽峠
という難所などがあり、しかも、その道筋で、待ちかねて
いた大衆が、村の辻で、宿の軒先で、親鸞聖人のもとに
集まっては、阿弥陀如来の本願を聞かせていただいたという
ところも、たくさんあるのです。
そういうことには一切ふれず、ささっと越えていかれた
というくだりには、その滋賀の友人、かなりがっかり来た
ようでした。
さて、皆さんは、あの小説、どのように読まれたでしょう。
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