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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 親鸞聖人、教行信証に、
「悲しきかな 愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、
 定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近づくことをたのし
 まず、恥ずべし、傷むべし」
と仰せです。

「ああ、情けない親鸞だなぁ。愛欲の広海におぼれ、名誉欲と利益欲に
 ふりまわされて、〝浄土へ往ける身になった(定聚の数に入る)こと〟
 をよろこばず、〝仏のさとり(真証の証)に近づいていること〟も、
 たのしまないとは。どこどこまでも痺れ切った奴だなぁ!
 恥ずかしきことよ、悲しきことか」

 このお言葉を聞いて、「私も、愛欲や、名利でいっぱいだ。親鸞様と
一緒だなあ。こんな私でも、死ねば極楽へ往かせて頂けるとは、なんと
有り難いことか!」と、よろこんでいる人が多いのですが、では、
「恥ずべし、傷むべし」という懺悔の心は、あるのでしょうか。

 欲や怒りがあって当たり前、それがどうした、煩悩はいくらあっても
往生のさわりにはならないのだから、と、少しも懺悔の心はありません。
 懺悔がないから、歓喜もない。これでは、親鸞聖人がこう仰せられた
御心とは、かけ離れていること千万里ではないでしょうか。

 先日、ある人との会話で、ふと気になったことです。
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1960/10/31
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