世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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親鸞聖人、教行信証に、
「悲しきかな 愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、
定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近づくことをたのし
まず、恥ずべし、傷むべし」
と仰せです。
「ああ、情けない親鸞だなぁ。愛欲の広海におぼれ、名誉欲と利益欲に
ふりまわされて、〝浄土へ往ける身になった(定聚の数に入る)こと〟
をよろこばず、〝仏のさとり(真証の証)に近づいていること〟も、
たのしまないとは。どこどこまでも痺れ切った奴だなぁ!
恥ずかしきことよ、悲しきことか」
このお言葉を聞いて、「私も、愛欲や、名利でいっぱいだ。親鸞様と
一緒だなあ。こんな私でも、死ねば極楽へ往かせて頂けるとは、なんと
有り難いことか!」と、よろこんでいる人が多いのですが、では、
「恥ずべし、傷むべし」という懺悔の心は、あるのでしょうか。
欲や怒りがあって当たり前、それがどうした、煩悩はいくらあっても
往生のさわりにはならないのだから、と、少しも懺悔の心はありません。
懺悔がないから、歓喜もない。これでは、親鸞聖人がこう仰せられた
御心とは、かけ離れていること千万里ではないでしょうか。
先日、ある人との会話で、ふと気になったことです。
「悲しきかな 愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、
定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近づくことをたのし
まず、恥ずべし、傷むべし」
と仰せです。
「ああ、情けない親鸞だなぁ。愛欲の広海におぼれ、名誉欲と利益欲に
ふりまわされて、〝浄土へ往ける身になった(定聚の数に入る)こと〟
をよろこばず、〝仏のさとり(真証の証)に近づいていること〟も、
たのしまないとは。どこどこまでも痺れ切った奴だなぁ!
恥ずかしきことよ、悲しきことか」
このお言葉を聞いて、「私も、愛欲や、名利でいっぱいだ。親鸞様と
一緒だなあ。こんな私でも、死ねば極楽へ往かせて頂けるとは、なんと
有り難いことか!」と、よろこんでいる人が多いのですが、では、
「恥ずべし、傷むべし」という懺悔の心は、あるのでしょうか。
欲や怒りがあって当たり前、それがどうした、煩悩はいくらあっても
往生のさわりにはならないのだから、と、少しも懺悔の心はありません。
懺悔がないから、歓喜もない。これでは、親鸞聖人がこう仰せられた
御心とは、かけ離れていること千万里ではないでしょうか。
先日、ある人との会話で、ふと気になったことです。
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