世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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「みほとけとともに 西本願寺の時間」で、京都府善蓮寺
(ぜんれんじ)住職で、本願寺派布教使の冨井 都美子(と
みい とみこ)さんが、
「やさしさに囲まれて」
と題して、話をしておられました。
ずっと、「親鸞聖人と、どう関係する話なのかなあ」と
やきもきしながら聞いておりましたが、終わりのほうで、
ようやく親鸞聖人のお言葉を出され、
「南無阿弥陀仏を称えれば
たくさんの仏がたが
百重千重に取りまいて
喜んでまもってくだされるのですよ」
という意味のことを言われました。
えっ?口に念仏さえ称えたら、ホントにそんなことになるの?と
思われた方があったようです。
そこで、このままでは、説明が尽くされていませんので、僭越
ながら・・・。
まず、これは、親鸞聖人が「教行信証信巻」に、
「金剛の真心を獲得する者は、横に五趣・八難の道を超え、
必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。
一つには冥衆護持の益、
二つには至徳具足の益、
三つには転悪成善の益、
四つには諸仏護念の益、
五つには諸仏称讃の益、
六つには心光常護の益、
七つには心多歓喜の益、
八つには知恩報徳の益、
九つには常行大悲の益、
十には入正定聚の益なり」
と書かれている中の、「諸仏護念の益」を言われたものです。
このことを、御和讃には、
「南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり」
と教えられています。
ここで、「南無阿弥陀仏を称うれば」とあるから、口に、ただ
お念仏を称えてさえいれば、みな、このようになれるのだろうか
と思う人もあるので、教行信証にははっきりと、
「金剛の真心を獲得する者は」
と教えられています。金剛の真心とは、他力金剛の真実信心のこと
でありますから、口にただお念仏さえ称えていれば、誰でも彼でも
「百重千重にまもっていただける」のではありません。
他力の信心を獲得した人は、このような幸せになれますよ、との
ご教導です。
そこのところ、冨井さんのお話では、明確になっていなかったので、
僭越ながら、記させて頂きました。
(ぜんれんじ)住職で、本願寺派布教使の冨井 都美子(と
みい とみこ)さんが、
「やさしさに囲まれて」
と題して、話をしておられました。
ずっと、「親鸞聖人と、どう関係する話なのかなあ」と
やきもきしながら聞いておりましたが、終わりのほうで、
ようやく親鸞聖人のお言葉を出され、
「南無阿弥陀仏を称えれば
たくさんの仏がたが
百重千重に取りまいて
喜んでまもってくだされるのですよ」
という意味のことを言われました。
えっ?口に念仏さえ称えたら、ホントにそんなことになるの?と
思われた方があったようです。
そこで、このままでは、説明が尽くされていませんので、僭越
ながら・・・。
まず、これは、親鸞聖人が「教行信証信巻」に、
「金剛の真心を獲得する者は、横に五趣・八難の道を超え、
必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。
一つには冥衆護持の益、
二つには至徳具足の益、
三つには転悪成善の益、
四つには諸仏護念の益、
五つには諸仏称讃の益、
六つには心光常護の益、
七つには心多歓喜の益、
八つには知恩報徳の益、
九つには常行大悲の益、
十には入正定聚の益なり」
と書かれている中の、「諸仏護念の益」を言われたものです。
このことを、御和讃には、
「南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり」
と教えられています。
ここで、「南無阿弥陀仏を称うれば」とあるから、口に、ただ
お念仏を称えてさえいれば、みな、このようになれるのだろうか
と思う人もあるので、教行信証にははっきりと、
「金剛の真心を獲得する者は」
と教えられています。金剛の真心とは、他力金剛の真実信心のこと
でありますから、口にただお念仏さえ称えていれば、誰でも彼でも
「百重千重にまもっていただける」のではありません。
他力の信心を獲得した人は、このような幸せになれますよ、との
ご教導です。
そこのところ、冨井さんのお話では、明確になっていなかったので、
僭越ながら、記させて頂きました。
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