世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
人気漫才コンビの、有名なギャグに、
「そんなこと言われたら、往生しまっせえー」
というのがあります。
お客さんは、ここで大笑いとなるのですが、
私達は、笑っておれないところです。
「往生」というのを、「困った」とか「弱った」
という意味で誤用しているからです。
他には「隣のおばあさん、今朝、往生したそうだ」
とか「弁慶の立ち往生」のように、「死んだ」
ことを、「往生」と言っております。
これは、全くの間違いです。
字を見ても判りますように、「往生」の「往」は
往く、という字であり、「生」は生まれるという
ことですから、「困る」とか「死ぬ」という意味は
どこにも、見当たりません。
それどころか、その反対です。
「若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜する人は
往生必ず定まりぬ」(浄土和讃)
親鸞聖人は仰せです。この「往生」を、「困る」とか
「死ぬ」という意味で読んだら、たいへんな間違い
になることは、明らかです。
「往生」の語源は仏教にあるのですから、特に
親鸞聖人の教えにおいては、極めて重要な仏語
ですから、その誤用を正し、正しい意味を明ら
かにしなければならないと思いました。
なお、「往生」の正しい意味について、こちらなど
参考にされてはいかがでしょうか。
親鸞聖人の「体失不体失往生の諍論」について
「そんなこと言われたら、往生しまっせえー」
というのがあります。
お客さんは、ここで大笑いとなるのですが、
私達は、笑っておれないところです。
「往生」というのを、「困った」とか「弱った」
という意味で誤用しているからです。
他には「隣のおばあさん、今朝、往生したそうだ」
とか「弁慶の立ち往生」のように、「死んだ」
ことを、「往生」と言っております。
これは、全くの間違いです。
字を見ても判りますように、「往生」の「往」は
往く、という字であり、「生」は生まれるという
ことですから、「困る」とか「死ぬ」という意味は
どこにも、見当たりません。
それどころか、その反対です。
「若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜する人は
往生必ず定まりぬ」(浄土和讃)
親鸞聖人は仰せです。この「往生」を、「困る」とか
「死ぬ」という意味で読んだら、たいへんな間違い
になることは、明らかです。
「往生」の語源は仏教にあるのですから、特に
親鸞聖人の教えにおいては、極めて重要な仏語
ですから、その誤用を正し、正しい意味を明ら
かにしなければならないと思いました。
なお、「往生」の正しい意味について、こちらなど
参考にされてはいかがでしょうか。
親鸞聖人の「体失不体失往生の諍論」について
PR
この記事にコメントする