世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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べらんめい口調で、歯に衣着せぬ論評が注目されていた、
大阪府選出で、自民党参議院議員の、谷川秀善議員が、先の
同党参議院議員会長選挙で、中曽根弘文氏と争い、票数が
並んだ為、くじ引きとなり、おしくも落選しました。
だから、正確には「敗れる」ではないんだけど、ね。
でも、一般には、「派閥体制から脱却を云々」「世代交代
の波が云々」と言われています。
さて、谷川議員、生家は浄土真宗本願寺派の萬徳寺、住職は
息子の谷川正秀氏に譲っています。
その正秀氏は、4年前、地元尼崎市の市長選挙に出て、現職
の白井文さんに大敗、今は、父議員の秘書をしています。
親子そろって、政治が好きなようで。
いまや、ほとんどこの人しかいなくなった、本願寺派推薦の
国会議員ですが、しかも既にして野党、推薦していてもほとん
どメリットはないのではないでしょうか。どうでしょう?
大阪府選出で、自民党参議院議員の、谷川秀善議員が、先の
同党参議院議員会長選挙で、中曽根弘文氏と争い、票数が
並んだ為、くじ引きとなり、おしくも落選しました。
だから、正確には「敗れる」ではないんだけど、ね。
でも、一般には、「派閥体制から脱却を云々」「世代交代
の波が云々」と言われています。
さて、谷川議員、生家は浄土真宗本願寺派の萬徳寺、住職は
息子の谷川正秀氏に譲っています。
その正秀氏は、4年前、地元尼崎市の市長選挙に出て、現職
の白井文さんに大敗、今は、父議員の秘書をしています。
親子そろって、政治が好きなようで。
いまや、ほとんどこの人しかいなくなった、本願寺派推薦の
国会議員ですが、しかも既にして野党、推薦していてもほとん
どメリットはないのではないでしょうか。どうでしょう?
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先日書いた、銅像について、メールを頂きました。
「銅像というのは、そういうものでしょう。
畏敬崇拝の念があるから、そのお姿を、多くの
人に見てもらいたくて、銅像を建てるのでないか」
との趣旨でした。
世間の、銅像に対する思いは、そうでしょう。
しかし、それを、親鸞聖人に対して、当てはめて
よいか、という点を問題にしたのです。問題点が、
お分かりではなかったようで・・・。
親鸞聖人の教えこそ、世界の光、全人類救済の
唯一の道、と尊崇するのなら、銅像建てるよりも、
親鸞聖人の正しい教えを、ひとことでも説けばよい
ではありませんか。
銅像は立てても、正しい聖人の教えを、全く説いて
いない、諸寺の釈門に、先日は申し上げたのです。
説いていない証拠には、御本尊からして、聖人の
ご教誨に違背しているではないですか。宗制でも、
「本尊 南無阿弥陀仏」と定められたというのに。
木像、絵像本尊のまま、そんな寺院ばかりです。
最も大切な御本尊から聖人に違背していて、何が
「畏敬崇拝の念」でしょう。
吹きっさらし、雨ざらしにしておいて、何が「畏敬
崇拝の念」でしょう。
要は、親鸞聖人も、その説かれたみ教えも、大切に
する思いが、微塵もないからではないでしょうか?
「銅像というのは、そういうものでしょう。
畏敬崇拝の念があるから、そのお姿を、多くの
人に見てもらいたくて、銅像を建てるのでないか」
との趣旨でした。
世間の、銅像に対する思いは、そうでしょう。
しかし、それを、親鸞聖人に対して、当てはめて
よいか、という点を問題にしたのです。問題点が、
お分かりではなかったようで・・・。
親鸞聖人の教えこそ、世界の光、全人類救済の
唯一の道、と尊崇するのなら、銅像建てるよりも、
親鸞聖人の正しい教えを、ひとことでも説けばよい
ではありませんか。
銅像は立てても、正しい聖人の教えを、全く説いて
いない、諸寺の釈門に、先日は申し上げたのです。
説いていない証拠には、御本尊からして、聖人の
ご教誨に違背しているではないですか。宗制でも、
「本尊 南無阿弥陀仏」と定められたというのに。
木像、絵像本尊のまま、そんな寺院ばかりです。
最も大切な御本尊から聖人に違背していて、何が
「畏敬崇拝の念」でしょう。
吹きっさらし、雨ざらしにしておいて、何が「畏敬
崇拝の念」でしょう。
要は、親鸞聖人も、その説かれたみ教えも、大切に
する思いが、微塵もないからではないでしょうか?
布教に歩いている時、その在所の寺に、通りかかります。
すると、かなり高い率で、親鸞聖人の銅像があります。
自分自身が炎天下、歩き回っているから余計に思うのです
けれども、親鸞聖人を炎天下に立たれたままにしておいて、
住職は、冷房の効いた部屋で、テレビでも見ているのは、
どういう神経でしょう。
冬は、降りしきる雪の中に立たれ、台風の季節には、吹き
荒れる暴風雨にさらされて、そんな親鸞聖人のお姿を拝し、
何とも思わないのか。
ただの銅像だから、と言うのでしょうが、祖師聖人を尊崇
する心があれば、とてもそのままにはできないはずです。
以前に、京都で布教をしていた頃、四条通りで、「近くの
会場で、法話会をしています」と、案内チラシを、道行く人
たちに配っていました。
しかし、多くの人が、近くのゴミ箱に捨てるやら、甚だし
きは、道にポイと捨てて行かれます。
聖人のお名前を記したチラシが、道端に捨てられ、しかも
その上を誰かが踏んでいく、そんなこととても耐えられず、
すぐに拾い集め、以後、この方法は、改めました。
親鸞聖人の銅像を見るたび、これでよいのか、と思わずに
おれず、ここに書きおくものです。
すると、かなり高い率で、親鸞聖人の銅像があります。
自分自身が炎天下、歩き回っているから余計に思うのです
けれども、親鸞聖人を炎天下に立たれたままにしておいて、
住職は、冷房の効いた部屋で、テレビでも見ているのは、
どういう神経でしょう。
冬は、降りしきる雪の中に立たれ、台風の季節には、吹き
荒れる暴風雨にさらされて、そんな親鸞聖人のお姿を拝し、
何とも思わないのか。
ただの銅像だから、と言うのでしょうが、祖師聖人を尊崇
する心があれば、とてもそのままにはできないはずです。
以前に、京都で布教をしていた頃、四条通りで、「近くの
会場で、法話会をしています」と、案内チラシを、道行く人
たちに配っていました。
しかし、多くの人が、近くのゴミ箱に捨てるやら、甚だし
きは、道にポイと捨てて行かれます。
聖人のお名前を記したチラシが、道端に捨てられ、しかも
その上を誰かが踏んでいく、そんなこととても耐えられず、
すぐに拾い集め、以後、この方法は、改めました。
親鸞聖人の銅像を見るたび、これでよいのか、と思わずに
おれず、ここに書きおくものです。