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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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先日書いた、銅像について、メールを頂きました。

「銅像というのは、そういうものでしょう。
  畏敬崇拝の念があるから、そのお姿を、多くの
 人に見てもらいたくて、銅像を建てるのでないか」

との趣旨でした。
 世間の、銅像に対する思いは、そうでしょう。
 しかし、それを、親鸞聖人に対して、当てはめて
よいか、という点を問題にしたのです。問題点が、
お分かりではなかったようで・・・。

 親鸞聖人の教えこそ、世界の光、全人類救済の
唯一の道、と尊崇するのなら、銅像建てるよりも、
親鸞聖人の正しい教えを、ひとことでも説けばよい
ではありませんか。

 銅像は立てても、正しい聖人の教えを、全く説いて
いない、諸寺の釈門に、先日は申し上げたのです。

 説いていない証拠には、御本尊からして、聖人の
ご教誨に違背しているではないですか。宗制でも、
「本尊 南無阿弥陀仏」と定められたというのに。
木像、絵像本尊のまま、そんな寺院ばかりです。

 最も大切な御本尊から聖人に違背していて、何が
「畏敬崇拝の念」でしょう。
 吹きっさらし、雨ざらしにしておいて、何が「畏敬
崇拝の念」でしょう。
 
 要は、親鸞聖人も、その説かれたみ教えも、大切に
する思いが、微塵もないからではないでしょうか?
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男性
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1960/10/31
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