世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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個人的な話ですが、先日も、有縁の方を求めて戸別訪問に
歩いておりました。
なにせ、連日の猛暑です。さすがに正午前後は避けました
が、直射日光は半そでからむき出しの腕を焼き、汗は、滝の
ように流れ、日陰を探しても、その村は田んぼばかりで、木陰
とてなく、ただ、たまに吹き渡る風が、一時の慰めでした。
近くて遠いは、田舎の道。
ようやくたどりついた隣の家で、玄関に行こうとすると、
ちょうど郵便物を取りに来られたご主人と、出会いました。
「こんにちわ。実は、こんど、そこの会場で、こんな集まり
をするんですよ」と言いながら、持参の案内チラシを手渡し
ました。
「ほー、仏教入門講座・・・、浄土真宗?」
ご主人は、珍しそうに、チラシを見ておられました。
「はい、親鸞聖人の教えを、学ぶ集まりです」
と案内しますと、
「昔は、よう寺で、説教があったんやがなあ、今は、全然や」
と慨嘆されます。
「ご主人も、ようお参りしはったんですか」
「お参りゆうても、小さい頃、婆さんに連れられてやけどな」
「熱心なお婆さんやったんですねえ」
「まあ、昔は、みな、そうやったで」
「ここらは、皆さん、熱心なところらしいですね」
「そら、あんた、お寺で説教あるのに、田んぼなんか行って
おったら、人間扱いされんかったもんや」
「ほーですか」
「ほーや。御堂に入りきれんほどの、お参りやったなあ」
ご主人は、懐かしそうに言われ、
「今は、あかんなあ」
と、寂しそうに言われます。
かつて、奥能登の柳田村を布教に歩いた時にも、同じような
話を聞きました。山口県の防府、徳山を回った時も、そうで
した。真宗の盛んなところは、いずこもそうだったのでしょう。
なのに、どうして、こんな現状になったのか。
ちょっとご縁のありそうな方だと感じたので、その場で、持参
した正信偈を広げて、話を始めました。
「ご主人やったら、正信偈さん、いつも読んではるでしょう?」
「ほーや。朝晩、欠かしたことない」
やっぱり、熱心な方でした。
「もう、暗記しておられるくらい?」
「ほんでもなあ、意味がよう判らんのや」
そうそう、皆さん、そうなのです。
「たとえば、ご主人、ここに、こんなお言葉、ありますねえ」
と、いよいよ話を始めると、
「あんた、お説教しはる人か。なら、ちょっとこっちへ」
と、立ち話から、玄関に座っての話になりました。板の間に、
私の座る座布団を持ってきてくださいました。
奥のほうから、奥さん(いや、別にシャレじゃなく)らしき
人が、冷たいお茶を持って、きてくださり、一緒に話を聞いて
おられました。
こうして、話ができる家は、数十軒に一軒あるかないか、で
ありますが、どんなに暑い中、汗だくになって回っても、一言
でも聞いて下さる人があると、疲れも一遍で吹き飛び、法施が
できた喜びに、胸がいっぱいになるのでした。
やがて、次に開催する仏教講座の会場での再会を約して、
お宅を辞し、表に出れば、容赦ない夏の日差しは、全身を
照らします。
しかし、そんなとき、ふと思い出すのです。
「この里に 親をなくした 子はなきか
みのりの風に なびく人なし」
流刑の地、越後で、親鸞聖人が読まれた歌と、言い伝え
られております。
かつて親鸞聖人も、蓮如上人も、進まれた道なのです。
暑さにも、寒さにも負けず、さあ、今日も布教に歩くぞと、
勇躍せずにおれません。
日々の布教の一こまを、語らせて頂きました。
歩いておりました。
なにせ、連日の猛暑です。さすがに正午前後は避けました
が、直射日光は半そでからむき出しの腕を焼き、汗は、滝の
ように流れ、日陰を探しても、その村は田んぼばかりで、木陰
とてなく、ただ、たまに吹き渡る風が、一時の慰めでした。
近くて遠いは、田舎の道。
ようやくたどりついた隣の家で、玄関に行こうとすると、
ちょうど郵便物を取りに来られたご主人と、出会いました。
「こんにちわ。実は、こんど、そこの会場で、こんな集まり
をするんですよ」と言いながら、持参の案内チラシを手渡し
ました。
「ほー、仏教入門講座・・・、浄土真宗?」
ご主人は、珍しそうに、チラシを見ておられました。
「はい、親鸞聖人の教えを、学ぶ集まりです」
と案内しますと、
「昔は、よう寺で、説教があったんやがなあ、今は、全然や」
と慨嘆されます。
「ご主人も、ようお参りしはったんですか」
「お参りゆうても、小さい頃、婆さんに連れられてやけどな」
「熱心なお婆さんやったんですねえ」
「まあ、昔は、みな、そうやったで」
「ここらは、皆さん、熱心なところらしいですね」
「そら、あんた、お寺で説教あるのに、田んぼなんか行って
おったら、人間扱いされんかったもんや」
「ほーですか」
「ほーや。御堂に入りきれんほどの、お参りやったなあ」
ご主人は、懐かしそうに言われ、
「今は、あかんなあ」
と、寂しそうに言われます。
かつて、奥能登の柳田村を布教に歩いた時にも、同じような
話を聞きました。山口県の防府、徳山を回った時も、そうで
した。真宗の盛んなところは、いずこもそうだったのでしょう。
なのに、どうして、こんな現状になったのか。
ちょっとご縁のありそうな方だと感じたので、その場で、持参
した正信偈を広げて、話を始めました。
「ご主人やったら、正信偈さん、いつも読んではるでしょう?」
「ほーや。朝晩、欠かしたことない」
やっぱり、熱心な方でした。
「もう、暗記しておられるくらい?」
「ほんでもなあ、意味がよう判らんのや」
そうそう、皆さん、そうなのです。
「たとえば、ご主人、ここに、こんなお言葉、ありますねえ」
と、いよいよ話を始めると、
「あんた、お説教しはる人か。なら、ちょっとこっちへ」
と、立ち話から、玄関に座っての話になりました。板の間に、
私の座る座布団を持ってきてくださいました。
奥のほうから、奥さん(いや、別にシャレじゃなく)らしき
人が、冷たいお茶を持って、きてくださり、一緒に話を聞いて
おられました。
こうして、話ができる家は、数十軒に一軒あるかないか、で
ありますが、どんなに暑い中、汗だくになって回っても、一言
でも聞いて下さる人があると、疲れも一遍で吹き飛び、法施が
できた喜びに、胸がいっぱいになるのでした。
やがて、次に開催する仏教講座の会場での再会を約して、
お宅を辞し、表に出れば、容赦ない夏の日差しは、全身を
照らします。
しかし、そんなとき、ふと思い出すのです。
「この里に 親をなくした 子はなきか
みのりの風に なびく人なし」
流刑の地、越後で、親鸞聖人が読まれた歌と、言い伝え
られております。
かつて親鸞聖人も、蓮如上人も、進まれた道なのです。
暑さにも、寒さにも負けず、さあ、今日も布教に歩くぞと、
勇躍せずにおれません。
日々の布教の一こまを、語らせて頂きました。
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