世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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布教に歩いている時、その在所の寺に、通りかかります。
すると、かなり高い率で、親鸞聖人の銅像があります。
自分自身が炎天下、歩き回っているから余計に思うのです
けれども、親鸞聖人を炎天下に立たれたままにしておいて、
住職は、冷房の効いた部屋で、テレビでも見ているのは、
どういう神経でしょう。
冬は、降りしきる雪の中に立たれ、台風の季節には、吹き
荒れる暴風雨にさらされて、そんな親鸞聖人のお姿を拝し、
何とも思わないのか。
ただの銅像だから、と言うのでしょうが、祖師聖人を尊崇
する心があれば、とてもそのままにはできないはずです。
以前に、京都で布教をしていた頃、四条通りで、「近くの
会場で、法話会をしています」と、案内チラシを、道行く人
たちに配っていました。
しかし、多くの人が、近くのゴミ箱に捨てるやら、甚だし
きは、道にポイと捨てて行かれます。
聖人のお名前を記したチラシが、道端に捨てられ、しかも
その上を誰かが踏んでいく、そんなこととても耐えられず、
すぐに拾い集め、以後、この方法は、改めました。
親鸞聖人の銅像を見るたび、これでよいのか、と思わずに
おれず、ここに書きおくものです。
すると、かなり高い率で、親鸞聖人の銅像があります。
自分自身が炎天下、歩き回っているから余計に思うのです
けれども、親鸞聖人を炎天下に立たれたままにしておいて、
住職は、冷房の効いた部屋で、テレビでも見ているのは、
どういう神経でしょう。
冬は、降りしきる雪の中に立たれ、台風の季節には、吹き
荒れる暴風雨にさらされて、そんな親鸞聖人のお姿を拝し、
何とも思わないのか。
ただの銅像だから、と言うのでしょうが、祖師聖人を尊崇
する心があれば、とてもそのままにはできないはずです。
以前に、京都で布教をしていた頃、四条通りで、「近くの
会場で、法話会をしています」と、案内チラシを、道行く人
たちに配っていました。
しかし、多くの人が、近くのゴミ箱に捨てるやら、甚だし
きは、道にポイと捨てて行かれます。
聖人のお名前を記したチラシが、道端に捨てられ、しかも
その上を誰かが踏んでいく、そんなこととても耐えられず、
すぐに拾い集め、以後、この方法は、改めました。
親鸞聖人の銅像を見るたび、これでよいのか、と思わずに
おれず、ここに書きおくものです。
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