世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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京都新聞の記事からです。
<無心で念仏、遺族ら反戦誓う 西本願寺で戦没者追悼法要
終戦記念日の15日、京都市下京区の西本願寺で戦没者
追悼法要が営まれた。遺族と門信徒ら約1200人が両親や
兄弟、戦友の冥福を祈り、反戦の誓いを新たにした。>
全国から1200人、耳目を疑う参詣者の少なさですが、
京都新聞が書くように「冥福を祈る」ために集ったのだと
すれば、親鸞聖人の教えに違背すること、甚だしいことです。
参詣者の少なさよりも、問題は、そちらです。
数が多かろうが、少なかろうが、聖人の教えに違背した
法要を、つとめてよいはずがありません。
「親鸞は、父母の孝養のためとて、
念仏一遍にても申したること、
いまだ候わず」(歎異抄第五章)
親鸞は、亡き父母の追善供養に、
一回の念仏も、称えたことはない
・・・・・と仰せなのですから。
<無心で念仏、遺族ら反戦誓う 西本願寺で戦没者追悼法要
終戦記念日の15日、京都市下京区の西本願寺で戦没者
追悼法要が営まれた。遺族と門信徒ら約1200人が両親や
兄弟、戦友の冥福を祈り、反戦の誓いを新たにした。>
全国から1200人、耳目を疑う参詣者の少なさですが、
京都新聞が書くように「冥福を祈る」ために集ったのだと
すれば、親鸞聖人の教えに違背すること、甚だしいことです。
参詣者の少なさよりも、問題は、そちらです。
数が多かろうが、少なかろうが、聖人の教えに違背した
法要を、つとめてよいはずがありません。
「親鸞は、父母の孝養のためとて、
念仏一遍にても申したること、
いまだ候わず」(歎異抄第五章)
親鸞は、亡き父母の追善供養に、
一回の念仏も、称えたことはない
・・・・・と仰せなのですから。
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