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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 日本史では、しばしば「一向宗門徒」「一向一揆」など、
浄土真宗を、一向宗と呼ばれている。
 現在でも、時々、耳にすることがある。
 なぜだろう。

 蓮如上人にも、これを問うた人があったようだ。次のよう
に答えて下さっている。

[一帖目第十五通] 宗名・当流世間

 問うていわく、「当流をみな世間に流布して、一向宗と
なづけ候うは、いかようなる子細にて候うやらん、不審に
おぼえ候う。」
答えていわく、「あながちに、わが流を一向宗となのる
ことは、別して祖師もさだめられず、おおよそ阿弥陀仏を
一向にたのむによりて、みな人のもうしなすゆえなり。
 しかりといえども、経文に「一向専念無量寿仏」(大経)
とときたもうゆえに、一向に無量寿仏を念ぜよといえるこ
ころなるときは、一向宗ともうしたるも子細なし。さりな
がら開山は、この宗をば淨土真宗とこそさだめたまえり。
されば一向宗という名言は、さらに本宗よりもうさぬなり
としるべし。
 されば、自餘の浄土宗は、もろもろの雑行をゆるす、
わが聖人は雑行をえらびたもう。このゆえに真實報土の
往生をとぐるなり。このいわれあるがゆえに、別して眞
の字をいれたもうなり。」

 かくほどに、浄土真宗では、一向専念無量寿仏を徹底して
教えられていた。
 弥陀よりほかの、諸仏、菩薩、諸神、もちろん外道の類にも
一切礼拝せず、供養もしない。
 弥陀一仏に向かうこと、末端の門徒に至るまで、徹底されて
いたことが分かります。

 しかるに、現代はどうか。
 釈迦一代の教えの結論、往生の肝腑、自宗の骨目たる、
「一向専念無量寿仏」を、ご門徒に、どれだけ徹底して
いるか。
 猛省を促さねばなるまい。
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