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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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滋賀県の安土町が、隣の近江八幡市と合併し、新・近江八幡市と
変わります。よって、歴史に名を残す「安土」の地名が消えます。

安土と言えば、「火天の城」という名の映画でしたか、でも描か
れた安土城のあった所です。もちろん城の跡形もありませんが、
日本史では「安土桃山時代」という名が示すように、一時代を築
いた場所でした。

しかし、今ひとつ、強烈に残っていないのは、最終的に信長は、
天下統一を完了できなかったからではないでしょうか。
その事業を成した人としては、秀吉、あるいは家康が、史書には
刻まれています。

信長が、天下統一を目前にしながら、その機を逃したのは、石山
合戦に十年余を費やしたのが大きかったと、歴史家は指摘してい
ます。(NHK「その時歴史は動いた」)

たびたび戦費供出を強制し、大坂・石山本願寺に圧力をかけてい
た信長は、ついに本願寺殲滅を期して、「三日で攻め落とせ」と
命じます。配下の秀吉は、「一日で落として見せましょう」と答
えたと言われています。
 多少、武士が混じっているとはいえ、大半が農民、町民の集団
であり、戦のプロであった千軍万馬の信長軍の敵ではない、と、
見くびっていたのでありましょう。

 ところが、「進めば極楽、退けば地獄」愛山護法に燃える全国
の親鸞学徒が結集し、信長の猛攻をしのぎ、ついに仏敵の蹂躙を
許さなかったのでした。
 とうとう十年もの長年月を浪費してしてしまい、信長は天下統
一を果たせぬまま、悪業の報いで、明智光秀勢の不意打ちにあい、、
五十年弱の短い生涯を、本能寺の地獄の炎の中で終えたのでした。

 ああ、そして、安土城も残らず、安土の名も消えて、残るのは
スケート選手の名ばかり、と、なってしまうのでしょうか。
 織田信長、享年49歳。
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「みほとけとともに 西本願寺の時間」で、京都府善蓮寺
(ぜんれんじ)住職で、本願寺派布教使の冨井 都美子(と
みい とみこ)さんが、
「やさしさに囲まれて」
と題して、話をしておられました。

 ずっと、「親鸞聖人と、どう関係する話なのかなあ」と
やきもきしながら聞いておりましたが、終わりのほうで、
ようやく親鸞聖人のお言葉を出され、

「南無阿弥陀仏を称えれば
 たくさんの仏がたが
 百重千重に取りまいて
 喜んでまもってくだされるのですよ」

という意味のことを言われました。
 えっ?口に念仏さえ称えたら、ホントにそんなことになるの?と
思われた方があったようです。

 そこで、このままでは、説明が尽くされていませんので、僭越
ながら・・・。

 まず、これは、親鸞聖人が「教行信証信巻」に、

「金剛の真心を獲得する者は、横に五趣・八難の道を超え、
 必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。
  一つには冥衆護持の益、
  二つには至徳具足の益、
  三つには転悪成善の益、
  四つには諸仏護念の益、
  五つには諸仏称讃の益、
  六つには心光常護の益、
  七つには心多歓喜の益、
  八つには知恩報徳の益、
  九つには常行大悲の益、
  十には入正定聚の益なり」

と書かれている中の、「諸仏護念の益」を言われたものです。
このことを、御和讃には、

「南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり」

と教えられています。

 ここで、「南無阿弥陀仏を称うれば」とあるから、口に、ただ
お念仏を称えてさえいれば、みな、このようになれるのだろうか
と思う人もあるので、教行信証にははっきりと、

「金剛の真心を獲得する者は」

と教えられています。金剛の真心とは、他力金剛の真実信心のこと
でありますから、口にただお念仏さえ称えていれば、誰でも彼でも
「百重千重にまもっていただける」のではありません。
 他力の信心を獲得した人は、このような幸せになれますよ、との
ご教導です。

そこのところ、冨井さんのお話では、明確になっていなかったので、
僭越ながら、記させて頂きました。




高校の修学旅行で、奈良の東大寺に行ったときのことです。
ある農協婦人部とおぼしき団体が入ってこられました。
「これは、なんちゅう仏さまけェ」
「阿弥陀様やないけ」
「なーん、お釈迦様やろいね」
「なんなん、大日如来やわね」
すると、あるリーダーとおぼしき女性、
「結局、いっしょの仏様やわね」
これに、みな、納得したのか。
「ほーや、ほーや」と言って、ぞろぞろと出て行かれました。
釈迦如来も、阿弥陀如来も、呼び名が違うだけで、同じ仏様だと
多くの人が思っておられますが、これは大変な誤りです。

「ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば」
と蓮如上人も御文章にハッキリと教えておられるように、
阿弥陀如来は、諸仏の王であり、本師本仏、師匠の仏です。
釈迦はその弟子であります。
親鸞聖人も、阿弥陀如来のことを、特に晩年には「無上仏」と
お呼びになっておられます。最高無上の仏様ということです。
弥陀と釈迦の関係がハッキリわかりませんと、親鸞聖人の
教えも、わかりませんので、よくよく話をしなければならない
ところだと思います。
皆さんの周りのご門徒さんは、ご存知でしょうか?
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