世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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ラジオ法話「みほとけとともに」では、大阪の小林顕英氏の
『他力とは』でした。
こう聞けば、少しでも親鸞聖人の教えを学んだ人ならば
「他力というは、如来の本願力なり」(教行信証)の、
有名なお言葉を思い出すでしょう。
如来とは、即ち阿弥陀如来のことであり、その本願力を
「他力」という。
ところが、小林氏の話には、最後まで、「他力とは、これです」
という説明が、出てこないのです。
自分が頚椎の手術をしたことや、出前の寿司を食べた話ばかり、
親鸞聖人というお名前さえも、聖人のお言葉の一つさえも、
全く出てこないのです。
◆知らないのか?
◆どのお言葉を出せばいいのか分からないのか?
いずれにしろ、「本願寺派布教使」といっても、所詮この程度か
と思われる人が、なおさら増えそうで、残念です。
=======================
という批判ばかりで終わってはイカン、というご忠告を前に
頂きましたので、以下、他力について、書きましょう。
----------------------------------------------------------------
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
他力の本当の意味はどんなことなのか
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
みんな他力というと「他人のふんどしで相撲をとる」
ことのように考えたり「他人の提灯で明かりを求める」
ことのように思っています。
力のない人間が力のある人間に助けを求める依存心だ
と思っているのでしょう。
新聞などにも堂々と
「他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ」
と書きたてていますのもその証拠ですし、また、その
ような記事を読んでもなんの不審も疑惑も感じる人の
いないのも、その証拠です。
では、他力とは一体どんな意味なのかといいますと、
親鸞聖人が、『教行信証』に明示されていますように、
阿弥陀仏の本願力のみを他力というのです。
他力の語源は仏教なのですから仏教の意味にしたが
わなければなりません。
ですから、他力の他は阿弥陀仏のことに限るのです。
それでは阿弥陀仏の本願力とは、どんなお力なのか。
これについても親鸞聖人は『和讃』に
「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力
であると鮮明に教えていられます。
即ち、阿弥陀仏の本願力とは、我々の暗い心(苦悩
のたえない心)を打ち破って日本晴れの大安心にする
お力であり、我々の一切の志願を満たして大満足心で
生きぬけるようにして下されるお力であり、それをま
た、他力というのです。
世間一般では他力を常識的に解釈して、自分の力以
外を総て他力と思って、太陽の働きや、雨や風や空気、
その他自然の働きや、自分以外の人間の力など総てを
他力だと心得ていますが、とんでもない他力間違いで
す。
なぜなら、もし太陽やその他の自然現象を総て他力
としますと、阿弥陀仏が、時によっては干ばつで人間
を苦しませることになります。地震によって我々の生
命を奪ったり、台風で人命をおびやかしたり、財産を
失わせたりする呪うべき、ニクムべき、悪魔になるこ
とがあるということになります。これらのことを総て
他力、阿弥陀仏のお力とすることは、とんでもない
大慈大悲の阿弥陀仏に対する濡れ衣であり、大変な冒涜
といわねばなりません。
これらは自然の力であり、人間の力と言うべきもの
で、絶対に他力といってはなりません。勿論、これら
自然の力や人々の協力の恵みに対して感謝の気持ちを
もつことは結構なことではありますが、これを阿弥陀仏
のお力と思ってはなりません。
他力とは、あくまで我々を大安心、大満足の心、
絶対の幸福にさせて下されるお力のみをいうのだと
いうことを、よくよく心得て下さい。
『他力とは』でした。
こう聞けば、少しでも親鸞聖人の教えを学んだ人ならば
「他力というは、如来の本願力なり」(教行信証)の、
有名なお言葉を思い出すでしょう。
如来とは、即ち阿弥陀如来のことであり、その本願力を
「他力」という。
ところが、小林氏の話には、最後まで、「他力とは、これです」
という説明が、出てこないのです。
自分が頚椎の手術をしたことや、出前の寿司を食べた話ばかり、
親鸞聖人というお名前さえも、聖人のお言葉の一つさえも、
全く出てこないのです。
◆知らないのか?
◆どのお言葉を出せばいいのか分からないのか?
いずれにしろ、「本願寺派布教使」といっても、所詮この程度か
と思われる人が、なおさら増えそうで、残念です。
=======================
という批判ばかりで終わってはイカン、というご忠告を前に
頂きましたので、以下、他力について、書きましょう。
----------------------------------------------------------------
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
他力の本当の意味はどんなことなのか
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
みんな他力というと「他人のふんどしで相撲をとる」
ことのように考えたり「他人の提灯で明かりを求める」
ことのように思っています。
力のない人間が力のある人間に助けを求める依存心だ
と思っているのでしょう。
新聞などにも堂々と
「他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ」
と書きたてていますのもその証拠ですし、また、その
ような記事を読んでもなんの不審も疑惑も感じる人の
いないのも、その証拠です。
では、他力とは一体どんな意味なのかといいますと、
親鸞聖人が、『教行信証』に明示されていますように、
阿弥陀仏の本願力のみを他力というのです。
他力の語源は仏教なのですから仏教の意味にしたが
わなければなりません。
ですから、他力の他は阿弥陀仏のことに限るのです。
それでは阿弥陀仏の本願力とは、どんなお力なのか。
これについても親鸞聖人は『和讃』に
「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力
であると鮮明に教えていられます。
即ち、阿弥陀仏の本願力とは、我々の暗い心(苦悩
のたえない心)を打ち破って日本晴れの大安心にする
お力であり、我々の一切の志願を満たして大満足心で
生きぬけるようにして下されるお力であり、それをま
た、他力というのです。
世間一般では他力を常識的に解釈して、自分の力以
外を総て他力と思って、太陽の働きや、雨や風や空気、
その他自然の働きや、自分以外の人間の力など総てを
他力だと心得ていますが、とんでもない他力間違いで
す。
なぜなら、もし太陽やその他の自然現象を総て他力
としますと、阿弥陀仏が、時によっては干ばつで人間
を苦しませることになります。地震によって我々の生
命を奪ったり、台風で人命をおびやかしたり、財産を
失わせたりする呪うべき、ニクムべき、悪魔になるこ
とがあるということになります。これらのことを総て
他力、阿弥陀仏のお力とすることは、とんでもない
大慈大悲の阿弥陀仏に対する濡れ衣であり、大変な冒涜
といわねばなりません。
これらは自然の力であり、人間の力と言うべきもの
で、絶対に他力といってはなりません。勿論、これら
自然の力や人々の協力の恵みに対して感謝の気持ちを
もつことは結構なことではありますが、これを阿弥陀仏
のお力と思ってはなりません。
他力とは、あくまで我々を大安心、大満足の心、
絶対の幸福にさせて下されるお力のみをいうのだと
いうことを、よくよく心得て下さい。
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