世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
◆11月28日は、親鸞聖人のご命日。
この日を中心として、浄土真宗では、年間最大の行事、
「報恩講」がつとめられます。
いうまでもなく、報恩講とは、親鸞聖人のご恩に報いる集まり。
ならば、私達が親鸞聖人から、どれほど大きなご恩を受けている
のかを、よくよくご門徒に徹底しなければならない。
しかし、果たして、聖人のご恩を知る人が、どれだけあろうか。
親鸞聖人が、身命を賭して開顕していかれた教えが明らかに
なっていないのだから、そのご恩は、知る由もない。
恩を知らないから、報いることも知らない。
先日も、このブログへのコメントで「報恩講だからといって、
なぜわざわざ本山へ参らねばならないのか」というのがあった。
年に一度の報恩講にさえ、本山へ参らなくなってしまった。
悲しいかな、これが浄土真宗の、現状なのである。
平成22年1月の報恩講のお逮夜には、本山関係者含めても、
千数百人しか集まらなかった。併催される本山成人式の参加、
それに続く帰敬式の参加者も、減少の一途だ。
その根本原因は、聖人の教えが全く伝えられていないところに
あることを、よくよく知らねばなるまい。
この日を中心として、浄土真宗では、年間最大の行事、
「報恩講」がつとめられます。
いうまでもなく、報恩講とは、親鸞聖人のご恩に報いる集まり。
ならば、私達が親鸞聖人から、どれほど大きなご恩を受けている
のかを、よくよくご門徒に徹底しなければならない。
しかし、果たして、聖人のご恩を知る人が、どれだけあろうか。
親鸞聖人が、身命を賭して開顕していかれた教えが明らかに
なっていないのだから、そのご恩は、知る由もない。
恩を知らないから、報いることも知らない。
先日も、このブログへのコメントで「報恩講だからといって、
なぜわざわざ本山へ参らねばならないのか」というのがあった。
年に一度の報恩講にさえ、本山へ参らなくなってしまった。
悲しいかな、これが浄土真宗の、現状なのである。
平成22年1月の報恩講のお逮夜には、本山関係者含めても、
千数百人しか集まらなかった。併催される本山成人式の参加、
それに続く帰敬式の参加者も、減少の一途だ。
その根本原因は、聖人の教えが全く伝えられていないところに
あることを、よくよく知らねばなるまい。
PR
この記事にコメントする