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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 今週の「みほとけとともに ~西本願寺の時間~」は、富山県の山名一徳氏
でした。(詳細は、こちらを→ 「みほとけとともに」

 せっかく親鸞聖人のお言葉を出してのお話でしたが、最後の最後、この一文。


「南無阿弥陀仏のこころをしっかりいただきましょう」


 しっかりいただきましょう、と呼びかけられているということは、まだいただいて
いない人に呼びかけていることはあきらかです。
 しかも、ほとんどがいただいていて、いただいていない人が少数ならば、わざわざ
ラジオ放送でまで呼びかけることはないので、多くの人が「まだ、いただいていない」
ことも分かります。

 しかし、ここに矛盾が露呈します。

 これまでのラジオ放送で、くりかえし、「阿弥陀さまのみこころは、南無阿弥陀仏
となって、今、私たちに届いているのです」と言ってきました。

 一方で、南無阿弥陀仏は届いた、と言い、
 他方では、南無阿弥陀仏はまだ届いていない、とも言う。
 どっち?

 そして、今回の話でも、最大のポイントが抜け落ちています。
「南無阿弥陀仏をいただきましょう、と言うけれど、どうすればいただけるの?」
 いただきましょう、と呼びかけるからには、山名さん、「どうすれば」の問いに
答える責任がありますよ。
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無題
届いているということと、頂いているということは同じではありません。

届いても、頂いてない人が未信の人です。
しんちゃん 2008/09/13(Sat)15:22:43 編集
「届いても頂いていない人」
「しんちゃん」さま、コメント有難うございます。

「阿弥陀仏の御心が、南無阿弥陀仏となって今、私たちに届いている」
ということと、
「阿弥陀仏の御心を、頂いている」
ということとは違う、とのこと。

「届いていても、頂いていない人が未信の人です」
ともお書きでした。

ですから、本文でお尋ねしているのです。

「では、頂くには、どうするのですか」と。

「しんちゃん」さん、お答えくださいませんか。

ついでに、「届いて頂いた人」と「届いたけど頂いていない人」とは、
どこがどう違うのでしょうか。
管理人です 2008/09/13(Sat)18:06:02 編集
無題
仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし

これが頂いているすがたです。
しんちゃん 2008/09/14(Sun)07:59:13 編集
尋ねているのは
お分かりでないようなので、繰り返します。
本文でお尋ねしているのは、

「では、南無阿弥陀仏を頂くには、どうするのですか」ということです。

今回のお言葉を使わせていただけば、
「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」
という身になるには、どうするのですか、ということです。

「しんちゃん」さん、お答えくださいませんか。
親鸞聖人のお言葉で、ですよ。

ああ、それにしても、
「南無阿弥陀仏は、私たちに、届いてはいても、頂いてはいない」
という、ビックリ珍説、
はてさて、親鸞聖人は、そんなこと、どこにおっしゃっていますか?
管理人です 2008/09/16(Tue)00:09:13 編集
無題
「どうすれば頂くことができるのか」

とお尋ねですが、それはどうすれば信心獲得できるのかという、信心にいたる条件をお尋ねなのですか。

ならば、そのような条件はありません。条件というものは、それがクリアできれば目標が達成されるものです。そして、条件とは、こちらから手を出すものです。信心獲得に条件はありません。

ただただ、仏願の生起本末を聞くばかりです。これ以外にありません。


そして、届いていると頂くについては、

「月かげのいたらぬさとはなけれども
  ながむる人のこころにぞすむ」

ということを申し上げているわけです。

つまり、

「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」

のおこころを申し上げたわけです。


ビックリ珍説などと、はねのけるような言い方をなさらずに、もう少し真摯な対応をのぞみます。

親鸞聖人もそのような対応は、なさらないと思いますよ。
しんちゃん 2008/09/16(Tue)11:15:00 編集
質問はこれです
どうすれば南無阿弥陀仏をいただけるのですか、の問いに、

「ただただ、仏願の生起本末を聞くばかりです。これ以外にありません。」

とのお答えでした。

ということは、仏願の生起本末をお話しくださる知識にお会いして、
よくよく聞かせていただく、これ以外にない、ということでしょうか?

もう一点については、上記が明らかになってから解明していきますので。
管理人です 2008/09/16(Tue)12:38:13 編集
無題
そうですね。

蓮如上人も

「仏法は聴聞にきわまるなり」

とおっしゃっています。

ただ、善知識に遇うことも私の努力ではありません。

善知識に遇うことができたのも、阿弥陀さまが私を照らし導いて下さっているからです。

ですので、「あう」という漢字は「会う」よりも、「遇う」のほうがよいでしょう。

「会う」とは、約束して会うということです。

「遇う」とは、たまたまということです。

しんちゃん 2008/09/16(Tue)15:43:03 編集
確認します
さっそく有難うございます。
「あう」の文字の用法も含めて、確認します。

南無阿弥陀仏をいただくには、善知識にお遇いして、
仏願の生起本末を聞かせていただく、これ以外にない、
ということで、よろしいですか?
管理人です 2008/09/16(Tue)17:37:53 編集
無題
そういうことですが、「南無阿弥陀仏をいただくには、善知識にお遇いして」という表現が、どうもしっくりきません。

なぜしっくりこないのかを考えますと、この表現が、「南無阿弥陀仏をいただく」ことが目標で、「善知識に遇う」ことが手段になっているからです。

しかもそれだと、初めから「南無阿弥陀仏をいただく」ことがどんなことか分かっていて、どんな人が「善知識」なのか分かっていることになります。

では善知識はどうでもいいのかというと、そうではありません。善知識に遇うことができなければ、このたび空しく過ごしてしまいます。

蓮如上人も五重の義でおっしゃっています。

しかし、それは信の上から言えることであります。「善知識に遇うことがなかったら、また迷いの世界を経巡らなければならないことであった」と。

質問の意図するところがよく分からないので、こういうお答えになりました。

お尋ねをよく理解できずに申し訳ありません。重ねてお尋ね下さい。
しんちゃん 2008/09/17(Wed)08:17:30 編集
残念ながら肝心なところで
質問がよく分かられなかったから、「そういうことです」という誤答をされたのかも知れませんね。

「そういうこと」では、ないのです。

「聞即信の一念」で救われるのですが、その「聞」とは、知識の声を聞くのではありません。
久遠の弥陀の呼び声を聞いた一念に、破闇満願と救い摂られるのです。
ここは極めて重要なところで、丁寧にいろいろとお答えいただきましたが、残念ながら、肝心な所で、
違ってしまいました。

知識の言葉を聴いて、救われるのではない、弥陀の直の呼び声が聞こえたときに、救われるのです。

まあ、それもこれも、私の尋ねかたが悪かったのでしょう。
今回、いろいろとやりとりをしましたのは、結局は、この結論を申し上げたかったからです。
誘導尋問みたいに感じられたかも知れません。失礼致しました。
管理人です 2008/09/17(Wed)13:33:12 編集
無題
管理人さんいわく、

「「聞即信の一念」で救われるのですが、その「聞」とは、知識の声を聞くのではありません。
久遠の弥陀の呼び声を聞いた一念に、破闇満願と救い摂られるのです。 」

「知識の言葉を聴いて、救われるのではない、弥陀の直の呼び声が聞こえたときに、救われるのです。」

とありますが、全くその通りです。

ですから、仏願の生起本末を聞く、これ以外にないと申し上げていたのです。

そういうことでしたら、「善知識の言葉で救われるのか、弥陀のよびごえで救われるのか」と聞いて下さったらよかったです。

しかし、管理人さんはちゃんと知っておられるのですから、そういう質問よりも、こういうことですと仰って下さるほうが、たすかります。
しんちゃん 2008/09/18(Thu)08:31:38 編集
有難うございました
「しんちゃん」さん、どうも有難うございました。
このやりとりを機縁として、浄土真宗の大切なお話が
できたことを、うれしく思っております。

少なからぬ方々が、このブログをご覧になっておられますので、
ご覧になった皆様がたの仏縁にもなったかと思います。

この件につきましては、一応これで終わりといたします。
管理人です 2008/09/18(Thu)10:06:04 編集
無題
わかりました。

また、御法義についての厳しい御意見を楽しみにしております。

本当に有難うございました。
しんちゃん 2008/09/21(Sun)07:47:28 編集
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