忍者ブログ
世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
[717]  [718]  [715]  [714]  [713]  [712]  [711]  [710]  [709]  [708]  [705
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

いきなりキリスト教の話で恐縮ですが

ローマ法王が、日本の少女と対話をしました。

読売新聞の記事からです。

<私も「なぜ」と自問…震災体験少女/ローマ法王>
 
 <ローマ法王ベネディクト16世が、22日放映のイタリア

  国営テレビRAIのカトリック教徒向け番組に出演し、

  東日本大震災を体験した7歳の日本人少女からの

  「なぜ子供も、こんなに悲しい思いをしないといけない

  のですか」という質問に答えた。
 
  RAIなどによると、法王がテレビで一般視聴者の質問に

  答えるのは初の試み。質問者は約3000人の応募から選ば

  れた7人で、うち1人がイタリア人の父、日本人の母を

  持つ千葉市の少女(7)となった。

  少女は「私は今、とても怖いです。大丈夫だと思っていた

  私の家がとても揺れたり、私と同じ年ぐらいの子供が

  たくさん死んだり、公園に遊びに行けないからです。

  なんでこんなに悲しいことにならないといけないのですか」

  と、ビデオ映像を通じて日本語で質問した。

   これに対し、法王は「私も同じように『なぜ』と自問して

  います。答えは見つかりませんが、神はあなたとともにあり

  ます。この痛みは無意味ではありません。私たちは苦しんで

  いる日本の子供たちとともにあります。ともに祈りましょう」

  などと答えた。>

それじゃ答えになってない!!!!と言いたくなるところです。

「なぜ苦しんでいるのか・・・わからない

 でもあなたと一緒にいますよ

 ともに祈りましょう」

なぜ「神はその苦しみを救う」と断言できないのか。

無論「できないから」です。

・・・・・・・・・・・・

しかし、上記の文章、どっかで読んだような記憶がありませんか?

 「阿弥陀さまはあなたとともにあります。

  この痛みは無意味ではありません。

  私たちは苦しんでいる人々とともにあります。

  ともにお念仏を称えましょう」

そう、最近のどこやらの話で、いつも聞いているフレーズです。

「苦しむ人とともにある」

「苦しみによりそう」

ということは、いつもいつも聞かされますが、

「苦しみを救う」

とは、ついぞ聞けません。

しかし、それでは親鸞聖人の教えになりません。

「難思の弘誓は 難度海を度する大船

 無碍の光明は 無明の闇を破る慧日なり」

『教行信証』の冒頭に仰せです。

「度する」「闇を破る」と、極めて鮮明におっしゃっています。

 弥陀の弘誓に救われた、ということが平生にありますから、

これを「平生業成」といわれるのです。

 なぜ「苦しみを救う」と断言できないのか?

「苦を抜くを慈といい、楽を与えるを悲という」

と仰せです。また釈尊は、弥陀の本願を「除苦悩法」と

『観無量寿経』におっしゃっています。

 これを言わねば、仏教にもならないし、親鸞聖人の教えにも

ならないではありませんか。

 これでは、現今の寺院は、外道キリスト教と同じではないか、

との非難も、当然出てくることでしょう。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
「苦」と「煩悩」
お久しぶりです。
仏教において「苦」とは「思い通りにならない」ということです。そしてその原因は「煩悩」にあります。ですから一切の「苦」を除くためには一切の「煩悩」を絶つほかはありません。
「平生業生」とは、阿弥陀如来の本願力によって「煩悩具足の凡夫が」「今生において正定聚に住し」「滅後すみやかに悟りを得る」ということですから、「(生きている今の)苦しみを救う」という言い方については慎重にならざるを得ないと思いますが、この点について管理人様はどうお考えでしょうか。
リーズル 2011/04/25(Mon)22:06:21 編集
リーズルさんへ
返信遅くなりました。親鸞聖人は
「還来生死輪転家 決以疑情為所止」
苦悩の根源は「疑情」と仰せです。
阿弥陀如来の本願を信ずる一念で正定聚に救われ、疑情は晴れますが、
煩悩はなくならぬと
「已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」
このように聖人は仰せです。
 しかし「煩悩即菩提」と、苦悩のタネが喜びのタネと転じますから
「大悲の願船に乗じて 光明の広海に浮かびぬれば
 至徳の風しずかに 衆禍の波転ず」
とお慶びになっておられます。
 そのことを「生きている今の苦しみを救う」と言ったのです。
 慎重になるとか、ならぬとかの問題ではありません。
 「現生不退」生きている現在、不退転の幸せに救われる
 「不体失往生」生きている今、往生できる
 「平生業成」生きているただ今、報土往生が定まる
 生きている今の救いを説かずして、親鸞聖人の教えにはなりません。
管理人 2011/05/13(Fri)09:07:49 編集
ありがとうございました
なるほど、そのような意味において「苦しみを救う」とおっしゃられたのですね。よく分かりました。しかしながら、まだ分からないことがあります。この記事の7歳の少女には、このみ教えをどのように説いたらよいのでしょうか。この少女はどうすれば救われるのでしょうか。どうかご教授ください。
よろしくお願いします。
リーズル 2011/05/13(Fri)23:51:03 編集
リーズルさんへ
7歳の子供にこのことを分からせるには
相当、時間がかかることを覚悟せねばならぬでしょう。
しかし、必ず仏法を知り、求め、救われるときが来ます。
あきらめず、法を説くことが大切です。
では、どう説くか。
まずは、仏教の根幹、因果の道理からでしょう。
管理人 2011/05/14(Sat)22:36:30 編集
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
忍者アド
このブログの中を検索できます
最新コメント
[02/07 NONAME]
[05/14 管理人]
[05/13 リーズル]
カウンター
アクセス解析
バーコード
このブログを携帯でご覧になる方は このコードを読ませてください。
プロフィール
HN:
TAXI
年齢:
63
性別:
男性
誕生日:
1960/10/31
職業:
真宗関係
趣味:
音楽・映画・地図を眺める
忍者ブログ [PR]