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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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西本願寺が「第13回 全国布教使大会」を開きます。

今回のテーマのひとつに、

「布教使・住職が一体となって参詣者の聞法意欲を引き出し、

 法座開催につながるような積極的な方策を提案できないか」

ということが挙げられています。

 しかし、「聞法意欲を引き出す」と言うことは、即ち現在は

聞法意欲が無い、ということの表明です。

 なぜ、聞こうという意欲が無いか。

 なぜ、仏法を聞かねばならぬのか、分からないからです。

 法を聞いても、聞かなくても、全員が、死ねば浄土に往生

できると説いていては、「じゃあ、聞かない」となってしまう

のは、当然です。

 法を聞いても、聞かなくても、この世で救われることがない

というのでは、やはり「聞かなくていいだろう」と考えるのは

致し方ありません。


 では、なぜ法を聞かねばならぬのか。

 親鸞聖人は仰せです。

「ひとえに往生極楽の道を、問い聞かんがためなり」(歎異抄)

 また、蓮如上人も、教えられています。

「そもそも毎月両度の寄合の由来は、なにのためぞというに、

 さらに他のことにあらず。自身の往生極楽の、信心獲得の

 ためなりがゆえなり」(御文章)

 そして、その信心獲得について、

「この信心を獲得せずは、極楽には往生せずして、無間地獄

 に堕在すべきものなり」(御文章)

と、ハッキリ教えられています。

 無間地獄に堕つる一大事を解決し、いつ死んでも極楽往生

間違いなし、という身になるために、法を聞かねばならない

のです。

 今日、いずこの寺で、この親鸞・蓮如両聖人のご教導が

伝えられていることでしょう。

 聞法意欲が出てこないのは、当たり前です。







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