世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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東京都文京区本郷に平成14年に再オープンした求道会館は、
近角常観ゆかりの信仰の拠点でした。
近角常観といっても、最近の人はご存知ないでしょうが、明治
以降、真宗再興を願って、数々の信仰運動が起こりましたが、
中でも有名だったのが、明治3年滋賀県生まれの、近角常観氏
でした。
そして、大衆に信仰を説く場として、大正4年に建てられたの
が、この求道会館です。
学生諸氏も巻き込んで、大きなムーブメントとなったのですが、
氏の死後、急速に衰退し、この会館も50年のあいだ、さびれる
いっぽうでありました。
都の有形文化財に指定され、保護改築されて、すでに6年、
定期的に親鸞講座などひらかれてはいますが、のぞいてみると、
なんとも寂しい限り。
参考までにこちらを。親鸞講座
この衰退の原因はどこにあったのか。
それは、かつて再興の上人といわれた蓮如上人と比較すれば
明らかです。
「聖人一流のご勧化のおもむきは」「祖師聖人ご相伝一流の肝要は」
と、常に聖人の教えのみを説かれ、自分がああなった、こうなった
という自らの体験は一切語られなかった、そういう私事は一切教え
られなかったのが、蓮如上人だったのです。
それに対して、明治以来の真宗再興に立ち上がった先達たちは、
「吾が信念」とか、「私と親鸞」など、自己の信仰体験ばかりに
力が入り、聖人の教えを、徹底できませんでした。
先に、「親鸞講座」が寂しい限りといったのは、まさにこの点で
あって、「親鸞講座」とは名ばかりで、親鸞聖人の教え以外のこと
が、ほとんどの時間語られているではないですか。
本末顛倒もはなはだしい。
今一度、蓮如上人のなされたことから、学ばなければならない。
最近ふと、本郷に立ち寄ったもので、かく記しておくのであります。
近角常観ゆかりの信仰の拠点でした。
近角常観といっても、最近の人はご存知ないでしょうが、明治
以降、真宗再興を願って、数々の信仰運動が起こりましたが、
中でも有名だったのが、明治3年滋賀県生まれの、近角常観氏
でした。
そして、大衆に信仰を説く場として、大正4年に建てられたの
が、この求道会館です。
学生諸氏も巻き込んで、大きなムーブメントとなったのですが、
氏の死後、急速に衰退し、この会館も50年のあいだ、さびれる
いっぽうでありました。
都の有形文化財に指定され、保護改築されて、すでに6年、
定期的に親鸞講座などひらかれてはいますが、のぞいてみると、
なんとも寂しい限り。
参考までにこちらを。親鸞講座
この衰退の原因はどこにあったのか。
それは、かつて再興の上人といわれた蓮如上人と比較すれば
明らかです。
「聖人一流のご勧化のおもむきは」「祖師聖人ご相伝一流の肝要は」
と、常に聖人の教えのみを説かれ、自分がああなった、こうなった
という自らの体験は一切語られなかった、そういう私事は一切教え
られなかったのが、蓮如上人だったのです。
それに対して、明治以来の真宗再興に立ち上がった先達たちは、
「吾が信念」とか、「私と親鸞」など、自己の信仰体験ばかりに
力が入り、聖人の教えを、徹底できませんでした。
先に、「親鸞講座」が寂しい限りといったのは、まさにこの点で
あって、「親鸞講座」とは名ばかりで、親鸞聖人の教え以外のこと
が、ほとんどの時間語られているではないですか。
本末顛倒もはなはだしい。
今一度、蓮如上人のなされたことから、学ばなければならない。
最近ふと、本郷に立ち寄ったもので、かく記しておくのであります。
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