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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 中日新聞など、各新聞に連載されている

五木寛之氏の小説ですが、親鸞聖人を描く

と言いながら、内実は、ただの空想ストーリーで

越後の聖人を描こうとしながらも、およそ聖人とも

真宗とも、無関係な仮想ストーリーが続いています。

 東日本大震災で、日本全体が国難ともいえる

未曾有の事態に立ち向かおうとしているときに、

およそ読んでも何の意味も、意義も見出せない。

 もちろん「人生に目的などない」と言い放った

筆者です。国民全体が「がんばって生きよう」と

声を合わせていても、五木氏自身は「生きる目的など

ない」と、生きる努力を全面否定しているのだから、

大震災だろうが、何だろうが、お構いなしに、所定の

架空ストーリーを、延々と書き連ねているのでしょう。

 正直、読むだけ時間の無駄、といえば失礼でしょうか?

 中日新聞でも、別の連載小説を載せ始めており、すでに

「はじめちゃったから、載せ続けないワケにはいかない

けれども、販促の目玉にも、何もなりゃしない」という

やっかいものを扱うような態度に思えます。

 そもそも、年初の舞台が越後、4ヶ月たっても、まだ

越後で、雨乞いがどうのこうの、およそ弥陀の本願とも

往生極楽の道とも、なーんの関係もない話ばかり。

 中途打ち切りにならなかったとして、あと半年のリミット。

 この小説は、いったいどこへ行こうとしているのでしょうか?

・・・と、ここで終わっては、「また批判ばっかり」と言われるので

書いておきます。

 親鸞聖人90年のご一生を知りたければ、定番はコレでしょう。

 ぜひ、ご覧下さい。
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いきなりキリスト教の話で恐縮ですが

ローマ法王が、日本の少女と対話をしました。

読売新聞の記事からです。

<私も「なぜ」と自問…震災体験少女/ローマ法王>
 
 <ローマ法王ベネディクト16世が、22日放映のイタリア

  国営テレビRAIのカトリック教徒向け番組に出演し、

  東日本大震災を体験した7歳の日本人少女からの

  「なぜ子供も、こんなに悲しい思いをしないといけない

  のですか」という質問に答えた。
 
  RAIなどによると、法王がテレビで一般視聴者の質問に

  答えるのは初の試み。質問者は約3000人の応募から選ば

  れた7人で、うち1人がイタリア人の父、日本人の母を

  持つ千葉市の少女(7)となった。

  少女は「私は今、とても怖いです。大丈夫だと思っていた

  私の家がとても揺れたり、私と同じ年ぐらいの子供が

  たくさん死んだり、公園に遊びに行けないからです。

  なんでこんなに悲しいことにならないといけないのですか」

  と、ビデオ映像を通じて日本語で質問した。

   これに対し、法王は「私も同じように『なぜ』と自問して

  います。答えは見つかりませんが、神はあなたとともにあり

  ます。この痛みは無意味ではありません。私たちは苦しんで

  いる日本の子供たちとともにあります。ともに祈りましょう」

  などと答えた。>

それじゃ答えになってない!!!!と言いたくなるところです。

「なぜ苦しんでいるのか・・・わからない

 でもあなたと一緒にいますよ

 ともに祈りましょう」

なぜ「神はその苦しみを救う」と断言できないのか。

無論「できないから」です。

・・・・・・・・・・・・

しかし、上記の文章、どっかで読んだような記憶がありませんか?

 「阿弥陀さまはあなたとともにあります。

  この痛みは無意味ではありません。

  私たちは苦しんでいる人々とともにあります。

  ともにお念仏を称えましょう」

そう、最近のどこやらの話で、いつも聞いているフレーズです。

「苦しむ人とともにある」

「苦しみによりそう」

ということは、いつもいつも聞かされますが、

「苦しみを救う」

とは、ついぞ聞けません。

しかし、それでは親鸞聖人の教えになりません。

「難思の弘誓は 難度海を度する大船

 無碍の光明は 無明の闇を破る慧日なり」

『教行信証』の冒頭に仰せです。

「度する」「闇を破る」と、極めて鮮明におっしゃっています。

 弥陀の弘誓に救われた、ということが平生にありますから、

これを「平生業成」といわれるのです。

 なぜ「苦しみを救う」と断言できないのか?

「苦を抜くを慈といい、楽を与えるを悲という」

と仰せです。また釈尊は、弥陀の本願を「除苦悩法」と

『観無量寿経』におっしゃっています。

 これを言わねば、仏教にもならないし、親鸞聖人の教えにも

ならないではありませんか。

 これでは、現今の寺院は、外道キリスト教と同じではないか、

との非難も、当然出てくることでしょう。
大震災の報道が大半を占める中、小さく報じられていました。

「親鸞聖人750回忌法要始まる」

本願寺解散前の、最後のセレモニーともいわれる今回の行事は

午前も午後も、

・「記念布教」15分間

・「法要(または音楽法要)」1時間

・「(希望者のみ)帰敬式」

ということになっています。

はるばる遠方から参拝しても、記念布教は15分のみ。

そもそも「聞法」に力が入っていないのだから仕方ないですが

「何のために京都まで行かなきゃいかんの!」

というご門徒の嘆きが聞こえてきます。

「法要」についても、ある方は「坊主の衣装、見に行くようなもんや」

と吐き棄てられました。

これを延々、5月も、6月も、ずっと半年間やっていくのでしょうか・・・。

というところで終わっては、「批判ばっかり」ということになりますので

以下、書きます。

「仏法は聴聞に極まる」

これは、釈尊、親鸞聖人、蓮如上人、一貫して教えておられます。

親鸞聖人は、その聞法の覚悟を

「たとい大千世界に

 みてらん火をもすぎゆきて

 ほとけの御名をきくひとは

 ながく不退にかなうなり」

と教えておられます。

「火の中を 分けても法は きくべきに

 雨風雪は もののかずかは」

とも、教えられています。

ゆえに、私たちが、命をかけねばならぬのは聞法です。

 今日、いずこの地で、このような宗祖のご教導が伝えられているだろうか。

 親鸞聖人の仰せを伝えずして、何が浄土真宗か。

 あらためて「仏法は聴聞に極まる」と叫ばねばなりません。

 私自身、今日の午後からの布教で、精一杯お話ししてこようと思います。
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