世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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ラジオ「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、
『金沢での本願寺展によせて』と題して、龍谷大学教授
で、本願寺史料研究所所長の赤松徹眞(あかまつてっしん)
氏のお話でした。
さすが史料研究所所長だけに、各種の歴史的資料に
ついての解説は詳しいですが、最後、
「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛仁の暦、
雑行を棄てて、本願に帰す」(教行信証後序)
のお言葉を挙げられていました。
これについてのご解説がなかったのは、残念でした。
「親鸞聖人の信は、弥陀の本願に帰すところに成立する」
とだけ、あっさり述べられていますが、おや?抜けている!
と気付かれた方も多いでしょう。
そうです。
「雑行を棄てて」
の部分が、全く触れられていないのです。
「雑行」とは何か、それを「棄てる」とはどういうことか。
蓮如上人も「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」と
教えられ、両聖人ともに、「雑行(自力)を棄てねば、本願
(他力)に帰することはできない」と仰せです。
赤松氏、なぜこの部分に触れられなかったのか。
これほど大事なキーワード、ぜひ明らかにして欲しかったと
思いました。
それとも、原稿監査で、削られたのかも知れませんね。
『金沢での本願寺展によせて』と題して、龍谷大学教授
で、本願寺史料研究所所長の赤松徹眞(あかまつてっしん)
氏のお話でした。
さすが史料研究所所長だけに、各種の歴史的資料に
ついての解説は詳しいですが、最後、
「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛仁の暦、
雑行を棄てて、本願に帰す」(教行信証後序)
のお言葉を挙げられていました。
これについてのご解説がなかったのは、残念でした。
「親鸞聖人の信は、弥陀の本願に帰すところに成立する」
とだけ、あっさり述べられていますが、おや?抜けている!
と気付かれた方も多いでしょう。
そうです。
「雑行を棄てて」
の部分が、全く触れられていないのです。
「雑行」とは何か、それを「棄てる」とはどういうことか。
蓮如上人も「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」と
教えられ、両聖人ともに、「雑行(自力)を棄てねば、本願
(他力)に帰することはできない」と仰せです。
赤松氏、なぜこの部分に触れられなかったのか。
これほど大事なキーワード、ぜひ明らかにして欲しかったと
思いました。
それとも、原稿監査で、削られたのかも知れませんね。
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