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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 ラジオ「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、
『金沢での本願寺展によせて』と題して、龍谷大学教授
で、本願寺史料研究所所長の赤松徹眞(あかまつてっしん)
氏のお話でした。

 さすが史料研究所所長だけに、各種の歴史的資料に
ついての解説は詳しいですが、最後、
「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛仁の暦、
 雑行を棄てて、本願に帰す」(教行信証後序)
のお言葉を挙げられていました。
 これについてのご解説がなかったのは、残念でした。

「親鸞聖人の信は、弥陀の本願に帰すところに成立する」
とだけ、あっさり述べられていますが、おや?抜けている!
と気付かれた方も多いでしょう。
そうです。
「雑行を棄てて」
の部分が、全く触れられていないのです。
「雑行」とは何か、それを「棄てる」とはどういうことか。
蓮如上人も「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」と
教えられ、両聖人ともに、「雑行(自力)を棄てねば、本願
(他力)に帰することはできない」と仰せです。

赤松氏、なぜこの部分に触れられなかったのか。
これほど大事なキーワード、ぜひ明らかにして欲しかったと
思いました。
それとも、原稿監査で、削られたのかも知れませんね。
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無題
ぜひ明らかにしていただきたいです。
「~ねば、~できない」と言い換えられているのはなぜでしょうか?
K 2009/09/23(Wed)23:49:18 編集
捨自帰他
自力を捨てなければ他力に帰することはできない、
捨自帰他は、真宗の最も大切な教えです。
故に、ぜひとも明らかにして欲しかったと書いたのです。
管理人 2009/09/24(Thu)22:12:17 編集
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