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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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「みほとけとともに 西本願寺の時間」の、2009年9月
第1週は、「仏法は聴聞にきわまる」と題して、北山 祐章氏
(広島県光源寺・本願寺派布教使)のお話でした。

 ですが、あのー、すみませんが、全く言われている意味が
分からないのですが、どなたか、解説してくださいませんか?
 この部分です。

<親鸞聖人の記された「ユルサレテ(きく)」という言葉を考え
 たとき、私は工事現場の足場を思い出しました。(中略)今、
私が聞かせて頂く仏法をビルに譬えたならば、私がお寺に参って
聞こうが聞くまいが、すでに出来上がっているのが、仏法のビル
なのです。そんな完成されたビルには、本来足場は必要ないので
す。しかし、親鸞聖人はその足場を「ゆるしましょうよ」といた
だかれたのでした。それは、いくら完成されたビルであっても、
足場があることによって近くから見ることができ、いかに素晴ら
しいビルであるかということを知ることができるのです。
 すなわち「ユルサレテ(きく)」という言葉は、私を救うがため
に先がけて出来上がった仏法であったと知らしめる言葉でありま
した。>

足場があったら、せっかく完成したビルが、よく見えないと思う
のですが・・・。もちろん、ビルを建てるまでには、足場は絶対
必要です。しかし、建ってしまえば、不要なものになります。
それでも、足場を残しておく必要があるのでしょうか。あれば、
それは何でしょうか?

といったあたりが、まったく分からないのです。どなたか、ぜひ
謎解きを・・・。
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無題
「ユルサレテ キク」の解釈はこれでいいんでしょうか。
「聞こうが聞くまいが」→十劫安心くさい。
tomo anna 2009/09/10(Thu)10:08:42 編集
おかしいと思います
聞こうが聞くまいが、すでに仏法のビルは建っている・・・って、
いったい、どういうことでしょう。
私も、おかしいと思います。

十劫安心とは、
「弥陀が正覚を成就され、無上宝珠の名号を
完成されたときをもって、
衆生の往生はすでに定まっているのだから、今さら聞法することは
不要だ」と言うもので、蓮如上人は、次のように厳戒されています。

「十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定めましましたまえる
ことを忘れぬが、すなわち信心のすがたなり」といえり。これさらに
弥陀に帰命して、他力の信心を獲たる分はなし」    (御文章)

管理人 2009/09/10(Thu)19:53:30 編集
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