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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 今朝の朝日新聞の広告特集は、驚いた。
 「人生に生きる意味もないし、生きがいもない」
 一世を風靡した元仏教学者(敢えて「元」という)ひろさちやの、異常としか
思えない発言で始まる。
 「仏教は、世間をばかにするためのもの」
 これも、ひろさちや独特の言い回しで、「世間虚仮」を言いたいのだろうが、
前後を読むと、そうでもなさそうで、ホントに、「どうしちゃたの?」と言いたく
なってくる。

 中でも、ここだ。

「仏の物差しというのは、実現は困難なもので、理想として受け止めればよい」

 ははあ、要するに、ひろさちやは、大聖釈尊の教説を、一つの理想論であり、
夢物語であって、「実現は不可能」だと受け止めていたのだ。
 とすれば、先の発言も、「世間は、ばかばかしいもの」だし、じゃあ、仏教で
説かれる理想はどうかというと、「どうせ実現はできないもの」であれば、何も
この世で、目指すものはなくなり、「狂って生きよ」というひろさちやの自説が
結論になってくるのだ。

 しかし、絶対にこの説は間違いだ。「往生即成仏」の最終目的は、無上仏の
誓願力によって、必ず果たせるのである。彼流にいえば、「実現可能」なのだ。

「若不生者のちかいゆえ
   信楽まことにときいたり
   一念慶喜するひとは
   往生かならずさだまりぬ」(和讃)

 弥陀の命がけの本願ましませばこそ、必ずこの世で、往生一定の身になれる
時がくるのである。
 ひろさちや、この仏教の真髄が、まったく分かっていないのだ。敢えて「元」
仏教学者と、揶揄した次第。

 蛇足。「狂って生きよ」と口走る氏であるが、「狂う」は、放送禁止用語で、
こんな言葉を口走られたら、放送局は大弱りだ。それでだろう、最近、どこの
番組でも、氏にコメントを求めることは、極端に減ってきた。当然だろう。
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