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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 10年以上にわたって、日本の自殺者の数は、3万人を超え、
大きな社会問題になっています。
 先日、高校に通う私の息子の、中学時代の同級生が自殺し、
子供はその通夜に参列してきました。子供ながらに、いろいろな
ことを考えたようです。

 さて、それを何とかしたいという取り組みは、各地で行われて
いますが、東京近郊の僧侶たちでつくる「自殺対策に取り組む
僧侶の会」が、1月28日、東京の築地本願寺で、「いのちの
集い」を開催するとのことです。

 毎日新聞によると、
いのちの集い:僧侶ら主催、築地本願寺で28日 /東京

 家族や恋人、友人を自殺(自死)で失った人たちが思いを
分かち合う「いのちの集い」が28日、中央区築地3の築地
本願寺・聞法ホールで開かれる。宗派の違いを越えて東京近
郊の僧侶で作る「自殺対策に取り組む僧侶の会」が主催し、
09年6月から毎月1回実施している。

 同会は自死問題に関心を持つ僧侶が集まり、07年に設立
した。現在、20~70代の僧侶27人が所属し、手紙によ
る相談も受けている。「いのちの集い」では、参加者が4~
7人の小グループに分かれ、各グループに司会役の僧侶が加
わる。大切な人を自死で亡くした人なら誰でも参加できる。

 ITエンジニアとして約20年間のサラリーマン経験もあ
る安楽寺(港区)の藤澤克己住職=同会代表=は「一人で悩
みを抱え込まず、普段は人に言えない思いも自由に語ってほ
しい」と話す。>

 この会のHPも見ましたが、たとえばこんなことが書かれ
ていました。

<差別や貧困、いじめや虐待、孤立や過度な競争、行き過ぎ
た個人主義といった「生き方」や「いのちのあり方」に関す
る問題が、だんだん悪化し深刻化していった結果が自死(自
殺)につながっていると考えます。

 そうであれば、自死(自殺)の問題に向き合い、その原因
を少しずつ解消していくことで、生き方やいのちのあり方の
諸問題を解きほぐすことができるのではないかと思うのです。>

 これでは、世間一般の自殺対策と何ら変わるところはない
と言えるでしょう。たとえば「貧困だから自殺する」のだと、
富を得れば自殺は防げるでしょうか。

 明橋大二・伊藤健太郎著『なぜ生きる』には、こういう
指摘があります。

「 日本の自殺者は、年間三万人を超えました。交通事故で
亡くなる人の、三倍強です。平成十年の急増は、男性の平均
寿命を下げるほどの、異常事態となりました。長引く平成不
況が原因と、早計にはいえないでしょう。フランスの社会学
者デュルケムは、富豪ほど自殺率が高いことなどから、経済
的に豊かな人ほど深刻な苦悩にさいなまれていることを、各
種の統計で裏付けています。
 米国の著名な心理学者チクセントミハイは、「生きる目的」
がわからないから、どれだけ利便と娯楽に囲まれても、心から
の充実が得られないのだと説明しました。」

 富豪ほど自殺率が高い、その一因をうかがわせる、こんな
話も紹介されています。

「 大方がそう思うように、金や物、名誉や地位のないのが
苦しみの根元ならば、それらに恵まれた人生は、よろこびに
輝いていたにちがいない。だが実際はどうだろう。歴史の証
言も豊富だが、現実も目にあまる悲惨さなのだ。
 イギリス王室の華・ダイアナ妃の、自殺未遂は五回にも及
んだという。美貌といい、シンデレラストーリーといい、
〝世紀の結婚〟とまでうらやまれた彼女も、人知れず苦しむ、
一個の人間でしかなかった。日本初のノーベル文学賞に輝い
た川端康成が、ガス自殺をとげている。氏もまた苦悩の人で
あったのだろう。
 女と靴下は、戦後強くなったものの代表とされた。靴下を
かくまで強いものにした革命的繊維ナイロンを発明したのは、
アメリカのカロザースである。勤め先のデュポン社は、この
天才化学者に破格の待遇をしていたそうだ。
「生涯、どこへ旅行をし、どんな高級レストランやバーで飲
食しようが、費用の一切は会社が持つ」というのである。
 カロザースのご機嫌を損じては一大事。彼の一生の遊び代
ぐらいを保証しても、安いものだとデュポン社が考えてもお
かしくはなかろう。
 そのカロザースが、四十一歳の若さで自殺したのだ。
 金や財、名誉や地位のないのが苦悩の元凶ならば、あり得
ない結末ではなかろうか。」

それでは、仏教では、この問題に、どう答えられているのか。
同書では、このように続いている。

「 田なければ、また憂いて、田あらんことを欲し、宅なけ
れば、また憂いて、宅あらんことを欲す。田あれば田を憂え、
宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、
また共にこれを憂う。有無同じく然り
(『大無量寿経』)

「田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、有れば、管理
や維持のためにまた苦しむ。その他のものにしても、みな同じ
である」
 金、財産、名誉、地位、家族、これらが無ければないことを
苦しみ、有ればあることで苦しむ。有る者は〝金の鎖〟、無い
者は〝鉄の鎖〟につながれているといってもよかろう。材質が
金であろうと鉄であろうと、苦しんでいることに変わりはない。
 これを釈尊は「有無同然」と説かれる。
 どれほどの財宝や権力を手にしても、たとえ宇宙に飛び出し
ても、本当の苦悩の根元を知り、取り除かないかぎり、人生の
重荷はおろせないであろう。」

 こう聞けば、では、わが祖師親鸞聖人は、その苦悩の根元を
どのように教えておられるのか、知りたいところです。
 これについては、

「(4)診断――苦悩の根元は「無明の闇」

 人生を苦に染める元凶は何か。親鸞聖人の解答は、簡明だ。

  決するに、疑情をもって所止となす  (『教行信証』)

「疑情ひとつ」と決断される。「決するに」「所止となす」の
断言には迷いがない。苦悩の解決ひとつを説く聖人だから、
こんな明言が極めて多い。
「苦悩の根元は、これひとつ」と断定される「疑情」とは、
次章から詳しく述べる、死後どうなるか分からない「無明の
闇」のことである。」

とあって、以下、詳説されています。続きは、同書をお読み
いただきたいと思います。

 悩みを聞き、相談にのれば、一時、楽にはなるでしょう。
しかし、根本的な解決には、なりません。しっかりと、苦悩の
根元を知り、それを解決することが、最重要ではないでしょうか。
まさに、その大問題を教えられているのが、親鸞聖人であります。

 この会の皆さんにも、その点を、お伝えしたいと思い、今日は
書きました。
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たしかに正論ですが・・・
 交通事故で大怪我をし,激しい痛みと出血多量でショック死しそうな人に対して,根本的な問題は骨折であると,出血や痛みを放置したまま骨折の治療を始める医者,そんな医者には見てもらいたくありません.鎮痛剤を打ち,出血を止めた後,状態が安定してから本格的治療に入るのがまともな医者でしょう.

 TAXIさんがおっしゃるとおり,たとえば,経済的問題が解決しても真の解決にはなりません.しかし,今日,明日の食べるものがなくて飢えに苦しむ人々に,いきなりカロザースやダイアナ妃の話をして相手の心に響くでしょうか.

 「自殺対策に取り組む僧侶の会」のサイトを拝見しました.TAXIさんが引用されている部分のすぐ下あたりとか,他のページを見た全体的な印象では,まず,苦しんでいる人に寄り添い,その後,根本的な解決への道筋をつけようとしているように感じました.

 さらに言うなら,不当な扱いに苦しむ人々に,‘いや,真の問題は別のところにある’と説くことは,下手をすると(あくまで下手をすると,です),社会の不合理の片棒を担ぐことになります.現世における富や権力の追求は空しいと説く(このこと自体は正しい)宗教が,それによって,一部の人々の富と権力を保護する装置に堕してしまった例は沢山あります.どうも,宗教団体には,特権階級保護装置へと向かう強い引力が働くようですね.本願寺もその例外ではありません.

 本願寺をはじめとする真宗を名乗る教団・組織がそちらに引っ張られないよう,TAXIさんの辛口批評を期待しています.

 先日は,コメントへのお返事ありがとうございました.それへの2通の返信に,ハンドルネームを入れましたが,日本式と欧米式をごっちゃにして T.N.,N.T. とちがう署名をしてしまいました.失礼しました.
N.T. 2010/01/31(Sun)13:12:51 編集
聖道の慈悲と浄土の慈悲
ご指摘の点は、歎異抄第4章でも取り上げられている、「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」
に関する問題です。
 歎異抄の解説は、こちらを参考にされたらわかりやすいと思います。
http://www.10000nen.com/book/tanni/tanni.htm
一部を抜書きして紹介させて頂きます。

「【第四章】二つの慈悲を説かれたもの
|意訳|
 慈悲といっても、聖道仏教と浄土仏教では違いがある。
 聖道仏教の慈悲とは、他人や一切のものを憐れみ、いとおしみ、大切に守り育てることをいう。
 しかしながら、どんなに努めても、思うように満足に助け切ることはほとんどありえないのである。
 それに対して、浄土仏教で教える慈悲とは、はやく弥陀の本願に救われ念仏する身となり、浄土で仏のさとりを開き、大慈悲心を持って思う存分人々を救うことをいうのである。
 この世で、かわいそう、なんとかしてやりたいと、どんなに哀れんでも、心底から満足できるように助けることはできないから、聖道の慈悲は、いつも不満足のままで終わってしまう。
 されば、弥陀の本願に救われ念仏する身になることのみが、徹底した大慈悲心なのである、
と聖人は仰せになりました。」

詳細は、同書をお読み下さい。
管理人 URL 2010/01/31(Sun)20:52:00 編集
お返事ありがとうございました
高森氏の歎異抄の本はまだ見ていませんが,機会がありましたら読ませていただこうと思います.ご紹介いただいたサイトも拝見いたしました.ご教示ありがとうございました.

ちょっと雑談モード.歎異抄については,最近『漫画 歎異抄』(岡橋,広中.本願寺出版)をいうのを読みました.ずいぶん前に発表されたものです(本になったのが2003年7月,私がもっているのは2008年12月刊の第5刷,それを読んだのが去年の年末です.amazon.comで見たら高森氏の『歎異抄をひらく』は2008年3月に出ているようですので,この調子でいくと,2013年の8月頃買って2014年の秋に読ませていただく計算になります.ウ,我ながら,ちょっとなさけない).

それはともかく,その漫画で,ご紹介いただいた第4条を説明した章の最後に,登場人物の次のような会話がありました.

「ぼくたちの行う慈悲は思い上がりってことか・・・さびしい気もするなあ・・・」
「そうじゃなくて,私たちの不完全な『慈悲の心』を『大きな慈悲』で包んでくださる阿弥陀さまがいてくださるってことじゃない?」

いい味わいだなぁと読ませていただきました.もっとも,同じようなことは,私の愛読する梯實圓『聖典セミナー 歎異鈔』(本願寺出版)にも書かれてるのですが,やっぱり漫画の印象は強いですね.

「自殺対策に取り組む僧侶の会」をどう見るかという話とは完全にそれてしまいました(そもそも,先の私の投稿の後半がズレかけている^^;).

上の『聖典セミナー 歎異鈔』でいえば,

「本願の念仏という絶対無限の大悲の道に救いとられた人は,如来の大悲のうながしをうけて有縁の人びとに念仏をすすめ,もろともに如来の大悲の世界に心を開いていくようにと伝道していくようにもなります」(p.169).

ということを,「自殺対策に取り組む僧侶の会」が目指しているかどうかというところですね.私は同会のサイトをざっと見た感じで,同会もそちらを目指しているように感じました.ただ,‘入り口’(自殺を考えている人や親しい人に自殺された人の苦しみにともかく寄り添い,社会的な環境にも目を配ること)に重点を置いているので,TAXIさんのような印象をもたれる方もいらっしゃるのかなと思いましたがいかがでしょうか?

長文,失礼いたしました.
N.T. 2010/02/01(Mon)01:31:46 編集
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