世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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しばらくカタイ話題が続きましたので、閑話休題。
最新刊「歎異抄をひらく」の著者、高森顕徹氏は、富山県生まれで、
龍谷大学の出身。
前に、同氏監修の「なぜ生きる」が出たときだったか、龍谷大学の
書籍販売部に並んだと思いますが、今度は、並んでいますか?
情報を求む!
「歎異抄」の解説本は、これまでにも多数出ています。
昨年、作家の五木寛之氏が、「私釈 歎異抄」を刊行しました。
最近、大手の書店に行って、その本を探したところ、見当たらず、
店員さんに聞いてみました。
「えっと、五木さんだったら、文芸のコーナーでしょうね」
とかいうので、
「いや、歎異抄を扱っているので、宗教コーナーじゃないかな」
と言ってみると、
「えっ?何を扱っているんですか」
おいおい、こっちの話をちゃんと聞いているの?と思いながら、
メモに「歎異抄」と書いて見せました。
「えっと、これ、なんと読むんですか?」
これには、ビックリ。書店の店員にして、「歎異抄」が読めなかった!
もちろん、この人だけだと思いたいが・・・。
「たんにしょう、と言う本です」
「ああ、そうでしたね」
まあ、本そのものは、知っておられました。ひと安心。
で、探してもらって、やっぱり、
「宗教コーナーにも、人文にも、ありませんねえ」
それからしばらくきょろきょろしていたら、
「あっ!ありました。エッセーのコーナーでしたね」
なるほど、五木さんの本は、宗教とか、仏教、真宗の本とは思われて
いないワケだ。
内容を読んでみれば、失礼ながら、それは明らかなんですけどね。
でも、一般には、「五木さんが、こう書いているんだから、これが、
親鸞聖人の教えなのよね」と、盲信しちゃう人もあります。
これは、けっこう、重要な問題を含んでいますよ。
最新刊「歎異抄をひらく」の著者、高森顕徹氏は、富山県生まれで、
龍谷大学の出身。
前に、同氏監修の「なぜ生きる」が出たときだったか、龍谷大学の
書籍販売部に並んだと思いますが、今度は、並んでいますか?
情報を求む!
「歎異抄」の解説本は、これまでにも多数出ています。
昨年、作家の五木寛之氏が、「私釈 歎異抄」を刊行しました。
最近、大手の書店に行って、その本を探したところ、見当たらず、
店員さんに聞いてみました。
「えっと、五木さんだったら、文芸のコーナーでしょうね」
とかいうので、
「いや、歎異抄を扱っているので、宗教コーナーじゃないかな」
と言ってみると、
「えっ?何を扱っているんですか」
おいおい、こっちの話をちゃんと聞いているの?と思いながら、
メモに「歎異抄」と書いて見せました。
「えっと、これ、なんと読むんですか?」
これには、ビックリ。書店の店員にして、「歎異抄」が読めなかった!
もちろん、この人だけだと思いたいが・・・。
「たんにしょう、と言う本です」
「ああ、そうでしたね」
まあ、本そのものは、知っておられました。ひと安心。
で、探してもらって、やっぱり、
「宗教コーナーにも、人文にも、ありませんねえ」
それからしばらくきょろきょろしていたら、
「あっ!ありました。エッセーのコーナーでしたね」
なるほど、五木さんの本は、宗教とか、仏教、真宗の本とは思われて
いないワケだ。
内容を読んでみれば、失礼ながら、それは明らかなんですけどね。
でも、一般には、「五木さんが、こう書いているんだから、これが、
親鸞聖人の教えなのよね」と、盲信しちゃう人もあります。
これは、けっこう、重要な問題を含んでいますよ。
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無題
「僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、さらに呵責駆遣せざる者は、この僧は、これ仏法中の怨なり。若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり」
真の「破邪顕正」をするべきではないですか?
「破邪顕正」とは、相手の仏縁だけを念じて、自らの心を鬼にして自分の身を切ること、ではなかったですか?
これでは、真実は誰にも伝わらないです。何がいいたいのか全然わかりません。
真の「破邪顕正」をするべきではないですか?
「破邪顕正」とは、相手の仏縁だけを念じて、自らの心を鬼にして自分の身を切ること、ではなかったですか?
これでは、真実は誰にも伝わらないです。何がいいたいのか全然わかりません。
追伸
「怒りは無謀に始まり 後悔に終るものだ」
「一切凡小一切時の中に、貪欲の心常に能く善心を汚し、シン憎の心常に能く「法財を焼く」・・・・」
「忍耐というものは「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる。
親切というのは「ここだなあ」と思えば、イヤ味なく接せられる。
勇気は「ここだなあ」と思えば、許せぬことでも許せるようになってくる」
と、書かれてありました。
「一切凡小一切時の中に、貪欲の心常に能く善心を汚し、シン憎の心常に能く「法財を焼く」・・・・」
「忍耐というものは「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる。
親切というのは「ここだなあ」と思えば、イヤ味なく接せられる。
勇気は「ここだなあ」と思えば、許せぬことでも許せるようになってくる」
と、書かれてありました。