世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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本願寺新報などでご案内のとおり、宗門をあげて、キッズサンガが
推進されています。
「お寺を、子供が心やすらぐ場所にしよう」
という趣旨ではありますが、これって、目的間違ってません?
寺は聞法の場であり、大切な布教伝道の拠点です。
かつては、子供たちにも、この寺で仏法を伝え、親鸞聖人のみ教え
を徹底していた、「日曜学校」なる制度がありました。
宗門から、布教伝道の熱意が消えると、日曜学校もなくなってしま
い、今では、海外の寺院で、細々と「日本語学校」みたいな亜流と
なって、続いているくらいです。私も、ハワイ開教担当の頃、モイリ
イリ本願寺の牧野住職と、この点について語り合ったことがあります。
寺が布教伝道の場所でなくなった時は、宗門が使命を放棄したとき
ではないでしょうか。
キッズサンガとはいえ、最終的には、子供たちに、宗祖のみ教えを
お伝えする場でなければ、宗門をあげて取り組む意味はありません。
お寺で心が休まらない、よりは、心が安まるほうが、よいに決まっ
ています。しかし、そこで止まってはならないでしょう。問題はその
先なのです。
心しずめて、み教えを拝聴する。そのための、キッズサンガではな
いでしょうか。
そういえば、750回忌に向けての宗門のテーマも、変ですよね。
「世のなか、安穏なれ」
それじゃ、宗祖のお言葉の、半分なんですよ。
「世のなか 安穏なれ。仏法 ひろまれ」
これが、親鸞聖人の御心なのです。
そのかんじんの「仏法 ひろまれ」が、宗門から、すっかり抜けている!
はからずも、そのことを確認し、痛感させられる、キッズサンガではあります。
推進されています。
「お寺を、子供が心やすらぐ場所にしよう」
という趣旨ではありますが、これって、目的間違ってません?
寺は聞法の場であり、大切な布教伝道の拠点です。
かつては、子供たちにも、この寺で仏法を伝え、親鸞聖人のみ教え
を徹底していた、「日曜学校」なる制度がありました。
宗門から、布教伝道の熱意が消えると、日曜学校もなくなってしま
い、今では、海外の寺院で、細々と「日本語学校」みたいな亜流と
なって、続いているくらいです。私も、ハワイ開教担当の頃、モイリ
イリ本願寺の牧野住職と、この点について語り合ったことがあります。
寺が布教伝道の場所でなくなった時は、宗門が使命を放棄したとき
ではないでしょうか。
キッズサンガとはいえ、最終的には、子供たちに、宗祖のみ教えを
お伝えする場でなければ、宗門をあげて取り組む意味はありません。
お寺で心が休まらない、よりは、心が安まるほうが、よいに決まっ
ています。しかし、そこで止まってはならないでしょう。問題はその
先なのです。
心しずめて、み教えを拝聴する。そのための、キッズサンガではな
いでしょうか。
そういえば、750回忌に向けての宗門のテーマも、変ですよね。
「世のなか、安穏なれ」
それじゃ、宗祖のお言葉の、半分なんですよ。
「世のなか 安穏なれ。仏法 ひろまれ」
これが、親鸞聖人の御心なのです。
そのかんじんの「仏法 ひろまれ」が、宗門から、すっかり抜けている!
はからずも、そのことを確認し、痛感させられる、キッズサンガではあります。
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