世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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人が亡くなられたとき、「他界された」と言います。
「他の世界へ行った」という意味でしょう。
もうこの世にはおられないのですから、別の世界へ、
即ち他界へ行かれた、ということになります。
では、他界とは、どこなのでしょうか。
皆、あまりそこまで、深く考えないまま、この言葉を
使っているように思います。
故人の「冥福を祈る」とも申します。
「冥土の幸福」即ち、死んだ後の世界での、幸福を祈る、
という意味です。
死ねば皆、お浄土で、幸せになっておられれば、冥土
での幸福を祈る必要はないのですが、祈らずにおれない
ということは、私たち、心のどこかで、亡くなった人は
苦しんでおられるのでなかろうかと、感じているからで
ないでしょうか。
「慰霊祭」とか「慰霊碑の建立」など、「慰霊」という
言葉が使われます。故人の霊がどこかにいて、しかもそれ
を慰めるということは、やはり故人の霊が、苦しんでおら
れるのを想定して、ではないでしょうか。
こう考えて生きますと、「他界」は、何か苦しい世界だと
私たちの心は感じているのではないでしょうか。
この後生への不安な心を、後生暗い心(無明の闇)といわれ、
これを聞即信の一念で破ってみせると誓われたのが、阿弥陀仏
の御本願であります。
「他界」「冥福」「慰霊」など、日常聞かれる言葉を縁に、
親鸞聖人の教えをお伝えするきっかけになりはしないでしょうか、
というご提案でした。
「他の世界へ行った」という意味でしょう。
もうこの世にはおられないのですから、別の世界へ、
即ち他界へ行かれた、ということになります。
では、他界とは、どこなのでしょうか。
皆、あまりそこまで、深く考えないまま、この言葉を
使っているように思います。
故人の「冥福を祈る」とも申します。
「冥土の幸福」即ち、死んだ後の世界での、幸福を祈る、
という意味です。
死ねば皆、お浄土で、幸せになっておられれば、冥土
での幸福を祈る必要はないのですが、祈らずにおれない
ということは、私たち、心のどこかで、亡くなった人は
苦しんでおられるのでなかろうかと、感じているからで
ないでしょうか。
「慰霊祭」とか「慰霊碑の建立」など、「慰霊」という
言葉が使われます。故人の霊がどこかにいて、しかもそれ
を慰めるということは、やはり故人の霊が、苦しんでおら
れるのを想定して、ではないでしょうか。
こう考えて生きますと、「他界」は、何か苦しい世界だと
私たちの心は感じているのではないでしょうか。
この後生への不安な心を、後生暗い心(無明の闇)といわれ、
これを聞即信の一念で破ってみせると誓われたのが、阿弥陀仏
の御本願であります。
「他界」「冥福」「慰霊」など、日常聞かれる言葉を縁に、
親鸞聖人の教えをお伝えするきっかけになりはしないでしょうか、
というご提案でした。
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