忍者ブログ
世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
[477]  [476]  [475]  [474]  [473]  [472]  [471]  [470]  [469]  [468]  [467
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

季節の一枚、秋田県の角館にある、武家屋敷の桜です。
Hさん、有り難うございます。

角館武家屋敷の桜

今、本派が力を入れているビハーラ活動の理念について、以下の
ように書かれています。
本願寺社会部 ビハーラ活動の理念

<親鸞聖人における死の受けとめ方

  親鸞聖人のみ教えは、浄土教の伝統を受け継いでいますが、
 阿弥陀仏の臨終来迎を期待するものではありません。ご消息
 には、次のように記されています。

 「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。
  このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。
  信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまた
  ず。」(『注釈版聖典』七三五頁)

  ここに親鸞聖人は、臨終の瞬間にみ仏の救いを待つ必要は
 なく、平生においてすでにみ仏に摂取不捨されているという
 救いを明らかにされています。それは、死に直面している人々
 の寂しさや不安を軽視したのではなく、いまここで、すでに
 み仏に抱きとられ護られていることを明らかにすることによ
 って、どのような最期を迎えても、必ずお浄土に往生すると
 いうことを説かれたのです。>

 さてここで、重大な一文が抜け落ちていることに、賢明な皆さんは
お気づきでしょう。
 宗祖は、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに正定聚に住す」
とおっしゃっているのであって、上記の解説文では「真実信心の行人
は」
という部分が、抜けています。あたかも、真実信心の人も、未信
の人も、すべて死ねばお浄土に往ける、と言われていませんか。
 
 これは、この部分だけでなく、あらゆる法座、文書伝道、ラジオ、
ネット上で、発信されていることにも、共通しています。
 「あなたは、すでに救われているのですよ」と言っても、「えっ?
私が・・・。ホントですか?信じられないなあ」「いや、気づいて
いないだけで、救われているんですよ」「ふーん?」で、終わりに
なってしまう、これじゃ話が進みません。

 真実信心の人は、お浄土へ行けるのですよ
 じゃあ、どうすれば、その身になれるのですか

というところから、聞法が始まるのではないしょうか。
そこを説くのが布教であり、そこを聞くのが聞法ではないでしょうか。
そうなってこそ、宗門が、活発化すると思います。いかがでしょう。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
その通り!!全く仰る通りです!! 勝手ながら、私のブログでこちらの記事を紹介させて頂きました。 ↓ http://nigawaraihonnmono.blog59.fo2.com/blog-entry-276.html ありがとうございました。
苦笑(本物) 2009/04/30(Thu)09:12:03 編集
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
忍者アド
このブログの中を検索できます
最新コメント
[02/07 NONAME]
[05/14 管理人]
[05/13 リーズル]
カウンター
アクセス解析
バーコード
このブログを携帯でご覧になる方は このコードを読ませてください。
プロフィール
HN:
TAXI
年齢:
63
性別:
男性
誕生日:
1960/10/31
職業:
真宗関係
趣味:
音楽・映画・地図を眺める
忍者ブログ [PR]